3542.開発者の宣言
ラキュス湖北部に浮かぶミクランテラ島の魔法薬学会で、科学文明国に於ける脳解毒薬の調合に関する会議が始まった。
脳解毒薬の開発者であるレーグルス・ラキュス・ネーニア王子が、会談を申し込んだローシカ製薬株式会社の最高経営責任者に厳しい視線を向け、冷たい声で前口上を述べる。
「歯科医院や開業医、総合病院などで、件の鎮痛解熱剤には依存性がない……あるいは軽度であると偽り、安易に処方するよう医師や薬剤師を誘導し、また、それを処方した医師や薬剤師に別途対価を与えることで、他の鎮痛解熱剤より使用を優先するように仕向け、更にはバルバツム連邦議会でのロビー活動を通じて、依存性のある鎮痛解熱剤を薬局でも一般販売できる体制を整えた製薬会社があると耳にしたことがある」
デルタ伍長は共通語と湖南語の通訳として連れて来られたが、レーグルス王子の護衛を務める緑髪の近衛兵が訳してくれるので、出る幕がない。
レーグルス王子は敢えて名指ししないようだが、普段からニュースに目を通す者が聞けば、すぐに社名が思い浮かぶ言い回しだ。
……どっかで聞いたコトある話って言うか、ローシカ製薬のコトだよな?
デルタ伍長は、隣で座ったままのローシカ社長を横目で見下ろした。
年配の社長は筋肉痛を言い訳に一人だけ座って話を聞く。額に脂汗を滲ませ、何とも言えない表情でレーグルス王子の言葉に耳を傾けた。
「バルバツム連邦では、正規品の鎮痛解熱剤を入口に薬物依存症患者が急増したとの統計を目にしたことがある。時を同じくして、複数の犯罪組織が、より依存性の高い鎮痛剤系違法薬物を密造し始めた。バルバツム連邦のみならず、共通語圏全体でも二十年来に亘って安値で売捌き、近頃では非キルクルス教圏の同盟国にまで薬物汚染を広げ、国際問題に発展していると聞いた」
レーグルス王子は共通語が堪能だが、敢えて湖南語で語る。
緑髪の近衛兵が正確に共通語訳するので、意思疎通には問題ない。だが、敢えてローシカ社長に理解できない言語で語る姿には、言い知れぬ威圧感があった。
「我が国とバルバツム連邦に正式な国交はないが、アーテル政府との協定に基づき、アーテルの民の為に活動するバルバツム連邦陸軍の救援物資輸送部隊が魔獣に襲撃された際は、我が国がアーテル地方で得た租借地に面する道路上に限って、租借地駐留部隊が救助することになっている」
「は、はい……我が国の兵士が貴国の軍と医療機関に大変お世話になりまして、恐れ入ります」
ローシカ社長は、愛想笑いを浮かべた。
レーグルス王子は険しい顔を崩さない。
「そのバルバツム兵も、多くが薬物依存症に苦しみ、我が国の医療関係者に多大な負担を掛けている」
ローシカ社長は石を飲んだように黙った。
レーグルス王子が僅かに表情を和らげて続ける。
「尤も、キルクルス教圏から発信される報道には、事実の裏付けが不確かなものが多い。薬物依存症患者の増加に正比例して件の製薬会社の株価が上昇し、業績を拡大した件を鵜呑みにするワケにはゆかない」
ローシカ製薬の最高経営責任者は、その一言で緊張を解いた。
……でも、ラキュス・ラクリマリス王国には本人が何も知らなくても、それを確認できる魔法の道具があるよな。
デルタ伍長は、これまでに何本ものニュース動画で、アーテル共和国のミェーフ大統領らが銀の深皿【明かし水鏡】に手を浸して、真実を明らかにする様子を視聴した。
薬物依存症で苦しんで死んでいったオッターたちや、脳解毒薬の治験で重篤な副作用が発現したリグヌムの顔がチラ付き、真実を明らかにする魔道具の存在を社長に伝える言葉が引っ込んだ。
「私は、薬とは傷や病で苦しむ患者を救う為のものだと考えている」
デルタ伍長もレーグルス王子と同感だ。他にどんな用途があるかわからない。
共通語訳を聞いたローシカ社長が、レーグルス王子の言葉に深く頷いてみせた。それでも、王子が社長を見詰める目から威圧感のある鋭さは消えない。
「私は、強い依存性と併せ、常用すれば副作用で多臓器不全を引き起こし、患者を数年で死に至らしめるものは、毒物だと考える」
王子の言葉が共通語訳されると、ローシカ社長から愛想笑いが消えた。
「バルバツム連邦をはじめとするキルクルス教圏やその同盟国などでは、件の鎮痛解熱剤の流入後、鎮痛剤系違法薬物による薬物依存症が急増し、民を薬物から守ることが焦眉の課題となった。例の薬は、このラキュス湖周辺地域にも、貿易や援助などを通じて悪影響を及ぼしている」
ローシカ社長はレーグルス王子から視線を逸らした。
円卓の中で扉に最も近い席は、フリージャーナリストのクアエシートル記者に割り当てられ、正面の席で立って会議冒頭の演説をするレーグルス王子の様子を生配信する。
動画用カメラは三脚に取り付けられ、クアエシートル記者の左斜め後ろから会議室全体を撮る。
星光新聞社は、その三歩右側に三脚を立てて全体を撮り、クアエシートル記者から九十度右の席に立った記者の手にあるタブレット端末でも撮影する。
新聞記者は端末で、レーグルス王子とローシカ社長を交互に撮るようだ。
「魔法薬の調合と販売は、魔法薬学会の指針に基づき、どこの国のどんな属性の患者に対しても、救いを与えるものでなければならない」
記者四人のカメラとタブレット端末が、険しい表情で冒頭演説を続けるレーグルス王子を捉える。
湖南語圏から訪れたフリージャーナリストのラゾールニク記者は、新聞記者の向かいの席で端末を手にして各個人に向ける。三脚に立てたカメラは、レーグルス王子の左斜め後ろから全体を撮った。
湖南語圏の最大手である湖南経済新聞の記者は、ラゾールニク記者とクアエシートル記者の間の席で同様に生配信する。
彼の動画用カメラは、席の右斜め後ろに置いて全体を撮るようだ。
「私は、鎮痛剤系違法薬物に限らず、様々な薬物依存症で苦しむ患者たちを救う為に脳解毒薬を開発した。右手で依存性薬物を売捌きながら、左手で高価な治療薬を売りつけるような道義に悖る行為を許すつもりはない」
レーグルス王子の両隣は魔法薬学会の職員が占め、ラゾールニク記者と職員の間には、白衣姿の若い女性が居る。茶髪の若い女性薬剤師は、レーグルス王子の発言が共通語訳されると、涙目で頷きながらローシカ社長を睨みつけた。
デルタ伍長はクアエシートル記者とローシカ社長の間に座り、社長の隣は屈強な秘書、その隣は星光新聞の記者だ。
社長は、席次の常識を無視してでも、両隣を自分が雇った者で固めたかったらしい。
緑髪の近衛兵四人はレーグルス王子の傍らと扉脇に二人ずつ分かれて立ち、学会職員である赤毛の中年女性は会議室備え付けの棚の前で控える。
十二人掛けの円卓だが、湖南経済の記者とクアエシートル記者の間に空席がひとつできた。
「出席者と記者は、“魔法薬は、どこの国のどんな属性の患者に対しても、救いを与えるものでなければならない”と言う魔法薬学会の指針を再確認の上で発言せよ。以上」
脳解毒薬の開発者であるレーグルス王子は、常識的な内容の命令で会議冒頭の演説を締め括った。
☆正規品の鎮痛解熱剤を入口に薬物依存症患者が増加……「3277.フリマで買物」「3278.妄信に基づく」参照
☆薬物依存症で苦しんで死んでいったオッター……「3275.使い捨ての命」「3276.任務を続ける」参照
☆脳解毒薬の治験で重篤な副作用が発現したリグヌム……「3305.ヤク中の部下」~「3310.失敗した治験」参照




