3541.開発者と会談
脳解毒薬の開発者レーグルス王子は、予定時刻ぴったりに到着した。
木製の扉が大きく開かれ、緑髪の魔法薬学会職員二人が、左右それぞれ片手で押さえて言う。
「レーグルス・ラキュス・ネーニア王子殿下の御出座しです」
ラキュス湖周辺地域出身者が一斉に起立した。赤毛の女性事務員も、壁際に置かれた戸棚の前で恭しくお辞儀して、隣国の王族を迎える。
緑髪の近衛兵二人が先に入り、続いて赤糸で刺繍が施された白衣を纏うレーグルス王子が、会議室の一番奥の席へゆったりした歩調で向かう。白衣を纏った茶髪の若い女性が、王子の後ろを三歩遅れて俯きがちに進んだ。
デルタ伍長と社長秘書、クアエシートル記者と星光新聞の記者も慌てて腰を上げたが、ローシカ社長は動かなかった。
残る二人の護衛が入室し、扉の左右に分かれて立つと、学会職員二人は一礼して扉を閉め、王子の両隣に立って控えた。
一同の視線がバルバツム連邦の経済界重鎮に集まる。
隣の席で立ち上がった秘書が、雇用主に気遣う視線を向けた。
ローシカ社長は、共通語でごにょごにょ言って目を泳がせる。
「あの……何分この歳ですので、先程の階段で少々足を傷めてしまったようで」
「たったあれだけの階段で? まぁいい。診てみよう」
レーグルス王子が流暢な共通語で呆れ、円卓を回り込んで社長の傍らに立った。白い手をそっと社長の首に伸ばす。
ローシカ社長は怯えて身を反らした。
ラキュス・ラクリマリス王国軍で軍医を務めるレーグルス王子が、傷付いた顔で手を引っ込める。
「痛みが酷くて立ち上がれないと言うから、私が直々に魔法で診察しようと思ったのだが、不要なら無理強いすまい」
キルクルス教徒の社長は、顔を引き攣らせただけで何も言わなかった。会議室に集まった緑髪の者たちが、バルバツム連邦から訪れた無礼者を睨みつける。
レーグルス王子は、租借地の病院でデルタ伍長たちを診察した際、アン中佐の無礼な態度を笑顔で流し、砕けた共通語で話し掛けて気さくな態度を崩さなかった。
今のレーグルス王子は、別人のように言葉も表情も硬い。
……もしかして、本気で怒ってる?
デルタ伍長は胃が痛んだが、口を挟むワケにもゆかず、唇を引き結んで社長に注目した。
フラクシヌス教徒の怒りの視線を浴び、社長もやっと失態に気付いたらしい。愛想笑いを浮かべて取り繕う。
「あ、いえ、その……単なる筋肉痛でしょうから、王子様のお手を煩わせる程のことではございません」
「そうか? なら、いい」
レーグルス王子はあっさり引き下がり、自分の席に戻った。
デルタ伍長が社長から目を逸らし、反対隣を見る。
クアエシートル記者のノートパソコンでは、既にユアキャストで生配信中だ。
……あ、そっか。さっきはアンテナの設置が途中だったから圏外だったのか。
だが、レーグルス王子が来た今、タブレット端末を弄るワケにはゆかない。ぐっと堪えてクアエシートル記者のノートパソコンを横目で見るに留めた。
〈爺やっちまったな〉
〈あぁあぁ怒らせた〉
〈護衛の人、キレてねぇ?〉
〈どう見ても、王子様のご厚意を踏み躙りやがってみたいな顔〉
〈交渉始める前からご機嫌斜め〉
〈社長、しくったな〉
コメント欄に次々と社長の失態を嘲笑う言葉が流れる。
「ただいまより、科学文明国に於ける脳解毒薬の調合に関する会議を始めます。まず、始めに脳解毒薬の開発者であらせられるラキュス・ラクリマリス王国のレーグルス・ラキュス・ネーニア王子殿下より、お言葉を賜ります」
レーグルス王子の右隣に立つ学会職員が湖南語で口上を述べ、王子の斜め後ろに控える緑髪の近衛兵が共通語訳する。
魔法薬学会の会議室に集まった一同が、レーグルス王子に注目した。
「本日は、我が国とは国交のないバルバツム連邦の製薬会社から、同国のフリージャーナリストを介して、脳解毒薬の調合に関する対話をしたいとの連絡を受け、特別に会議の場を設けた」
レーグルス王子が湖南語で開催の経緯を語り、近衛兵が共通語訳する。
ローシカ社長は唯一人、座ったままレーグルス王子に会釈した。
王子がローシカ製薬株式会社の最高経営責任者に厳しい顔を向けて続ける。
「皆も承知の通り、私は【飛翔する梟】学派の導師で、脳解毒薬は魔法薬である。対して、バルバツム連邦は純粋な科学文明国で、同国の国籍を正式に得た魔道士は一人も存在しない」
デルタ伍長は小さく顎を引いて肯定した。
ローシカ社長を挟んで反対側に座る屈強な社長秘書は、レーグルス王子を見詰めて微動だにしない。
「脳解毒薬が上級魔導書に掲載され、今年……印暦二二〇一年四月から脳解毒薬の調合研修を開講したが、受講生は全員が、アルトン・ガザ大陸南部に位置する両輪の国出身で、魔力が弱く、魔法薬調合の練度も低い者ばかりだ」
レーグルス王子のダメ出しも共通語訳され、ローシカ社長が学会職員の隣に立つ白衣姿の若い女性を睨みつける。彼女がびくりと身を縮め、首から提げた魔法使いの薬剤師の身分証【思考する梟】学派の徽章が薄い胸で揺れた。
「魔力量は生得的なもので、努力しても後天的に増加するものではない。魔力の多寡は地域的な偏りがあり、ラキュス湖周辺地域では比較的魔力の強い人間が産まれやすく、アルトン・ガザ大陸北部では魔力を有する者の誕生は稀だ。アルトン・ガザ大陸南部では、この辺りより魔力の弱い人間が産まれやすい傾向にある」
レーグルス王子は、ローシカ社長に冷たい視線を向けて続けた。
「不足する魔力はある程度、【魔力の水晶】などの魔道具で外部供給可能だが、経費が高くつく。【水晶】そのものの調達費、並びにその充填費用だ」
「そのコストは薬価に含めますので問題あ」
「バルバツム連邦の薬局で市販される一部の鎮痛解熱剤には依存性があり、病院に掛かる経済力のない世帯を中心に“市販薬で痛みを誤魔化したこと”を入口として薬物依存症を発症する者が後を絶たないと聞いた」
レーグルス王子は、声を張り上げてローシカ社長の言葉を遮った。
その「一部の鎮痛解熱剤」の製造販売を手掛けるのは、バルバツム連邦では知らぬ者のないローシカ製薬株式会社だ。
「貧しい階層の民に薬物依存症が多いにも拘わらず、薬価を吊り上げれば、最も必要とする者の手に脳解毒薬が行き渡らなくなる。バルバツム連邦では毎年、薬物依存症関連で十万人前後が命を落とすと聞いた」
デルタ伍長とクアエシートル記者、星光新聞の記者が無言で首を縦に動かした。
白衣姿の若い女性が、涙を浮かべてローシカ製薬の最高経営責任者を見詰める。
ローシカ社長と彼の秘書は表情を変えず、レーグルス王子の言葉を待った。
☆租借地の病院でデルタ伍長たちを診察……「3245.重傷度の相違」~「3250.事情を教える」参照




