3540.報道の公平性
緑髪の近衛兵が会議室の扉をノックする。程なく顔を出したのは、赤毛の中年女性だ。
息切れしたローシカ社長に気付いて、近衛兵に何事か話し掛ける。
共通語でも日之本帝国語でも湖南語でもない。デルタ伍長にはまったく聞き取れない言語だ。言葉の響きは、昨日、受付で少し耳にした湖北語のようだが、自信はない。
共通語を解するラキュス・ラクリマリス王国軍の近衛兵は、この言語も堪能らしく、問題なく赤毛の女性と遣り取りする。ローシカ社長に向き直ると、訛のない共通語で命じた。
「この係員が水を飲ませてくれるそうだ。中で座って待て」
「あ……有難うございます」
ローシカ社長は砂漠で水を与えられたような顔で、魔法使いの事務員に礼を言った。
事務員が備え付けの戸棚からティーカップを出し、一脚だけ円卓に置く。事務服のポケットから茶色の小瓶を出して呪文を唱えると、掌にすっぽり収まる小瓶から外見の容量以上の水がカップに注がれた。
赤毛の女性事務員が推定・湖北語で言い、緑髪の近衛兵が共通語訳する。
「汗だくだから洗ってくれるそうだ」
魔法使いの事務員は、社長の返事を待たずに呪文を唱えた。茶色の小瓶から社長と同じ大きさの水塊が現れる。ローシカ社長は腰が引けたが、水塊は容赦なく彼を丸洗いした。
屈強な秘書が、へたりこみかけた社長を支え、水が置かれた席に座らせる。
デルタ伍長は会議室を見回した。
広々とした石造りの部屋で、ここも天井が高い。バルバツム連邦の標準的な天井の二倍とまではいかないが、一.五倍以上はあった。
壁や床の石材には呪文と呪印が刻まれ、知識のない眼には凝った装飾に見える。壁の腰より上は漆喰で、その白さが圧迫感を和らげてくれた。
天井も漆喰で、照明器具が何もないのにほんのり明るい。
窓はひとつもないが、息苦しさがないので、ランテルナ島の地下街と同じく、何らかの魔法で換気されるのだろう。
エアコンの類も見当たらないが、暑からず寒からず、過ごしやすい。
十二人掛けの円卓は年季の入った木製だ。椅子も同じくらい古めかしく、学生時代に見た映画に登場した貴族の館を思わせた。
ここにも、レーグルス・ラキュス・ネーニア王子の姿はなかった。
魔法薬学会での調合研修が大学の講義と同じなら、今は午後の講義が始まった頃合いだ。
……あ、いや、違う。試験だ。
アルトン・ガザ大陸南部の国々から訪れた五人は、試験で合格しなければ、二度目の研修を受けさせてもらえないと言った。
脳解毒薬の開発者が見守る中で、その中間素材を作るのだ。
デルタ伍長は心理的圧迫感だけで心が折れそうな気がした。
四人の記者たちは、黙々と通信機器や撮影機材を設置する。
事務員と近衛兵が何やら話し始めた。社長は椅子でぐったりだ。秘書はその傍らに立って控える。
デルタ伍長一人が手持無沙汰だ。私物のタブレット端末を見たが、圏外だった。仕方なく、記者たちの作業を見守る。
緑髪の記者も、背広の左肩に腕章を巻く。これも見覚えのある社章だ。
デルタ伍長はアーテル共和国に派遣されてから、湖南語媒体のニュースにも目を通すようになった。この社章は、アミトスチグマ王国の湖南経済新聞だ。
……共通語圏と湖南語圏それぞれの最大手新聞社とフリージャーナリストか。
偏向を防ぎ、公平に報じる為には、媒体の多様化が必要だ。
陸の民と湖の民。
無原罪の清き民と力ある民。
共通語圏と湖南語圏。
科学文明圏と魔法文明圏。
キルクルス教圏とフラクシヌス教圏。
アルトン・ガザ大陸北部とチヌカルクル・ノチウ大陸西部。
女性記者が居ないのは引っ掛かるが、この四人の組み合わせだけでも、それなりの多様性が確保できる。
外見だけではわからないが、魔法使いの記者のどちらかでも長命人種なら、寿命に伴う知識や考え方の違いでも多様性が出るだろう。
ラキュス・ラクリマリス王国側が公平性を重視し、均衡のとれた報道を目指したことが窺え、デルタ伍長は感心した。
記者四人が機器の設置を終える。
赤毛の女性事務員が戸棚から茶葉の缶を出し、空のティーカップを円卓の各席に置いて回った。
茶色の小瓶から魔法で水を引き出し、宙で沸かしてティーバッグを投入する。熱湯があっという間に茶色く色付き、オルヅォの香ばしい風味が会議室に広がった。
事務員はティーバッグを小皿に置いて、お茶の缶を片付けると、今度は白い陶器の壺を出した。林檎くらいの壺から、小さな匙で一杯分だけ粉を掬い、宙で煮え立つお茶に投入した。力ある言葉で何事か命令を受け、煮え滾るお茶が一気に静かになる。
赤毛の事務員が更に言うと、お茶は円卓の各席に並べられたカップ七脚にぴったり収まった。
「オルヅォに塩を足したものだ。殿下がお見えになるまで飲んで待つといい」
緑髪の近衛兵は湖南語で言い、共通語で言い直した。
記者たちが等間隔に分かれて座り、口々に礼を述べてカップを手に取る。
ローシカ製薬の社長は、魔法で淹れられたお茶を薄気味悪そうに眺めたが、恐る恐る口をつけた。
驚いた顔でカップを唇から離す。
「冷たい……?」
「魔法で冷ましてくれたんですよ」
デルタ伍長が隣に座りながら言うと、ローシカ製薬の社長は身体ごと向き直って聞いた。
「魔法に詳しいんですか?」
「いえ、全然。ただ、入院中に看護師さんも同じようにしてくれたので」
「あぁ……」
社長はお茶を見詰めて呆然と頷いた。
デルタ伍長が、社長の斜め後ろに立つ秘書に声を掛ける。
「秘書さんの分も数に入ってるっぽいんで、飲んどいた方がいいですよ」
ガタイのいい秘書が、近衛兵に聞く。
「えッ? よろしいのですか?」
「見ればわかるだろう」
緑髪の近衛兵は面倒くさそうに共通語で応じた。
秘書が社長の顔色を窺う。
ローシカ製薬の最高経営責任者が無言で隣の椅子の背を軽く叩き、秘書はホッとした顔で浅く腰掛けた。




