3539.会談への階段
デルタ伍長たちの一行がミクランテラ島に到着した翌日。
昨日の近衛兵が、魔法薬学会の食堂に入って来た。クアエシートル記者が取材する「脳解毒薬の開発者であるレーグルス王子とローシカ製薬株式会社最高経営責任者との会談」予定時刻の一時間前だ。露骨にイヤな顔をして湖南語で呟き、舌打ちまでする。
「部屋に居ないと思ったら、こんな所に居たのか」
「見当たらないと思ったら、ここに居たんですね」
デルタ伍長は当り障りのない言い回しに変換して共通語訳した。
「は、はい。ここでしかインターネットが繋がらないものですから」
ローシカ製薬の社長が怯えた顔で答える。
昨日、魔法薬学会の敷地内で他にもインターネットが使える場所があるか、近衛兵や学会職員に聞きそびれた。社長は夕飯後、食堂が閉まるギリギリまで粘って、バルバツム連邦の本社に指示を飛ばし続けたのだ。
今朝も、朝食で食堂が開くのを待って入り、昼食後の今までずっとリモートで仕事して過ごした。
デルタ伍長は、湖南語のわかる食堂職員との通訳で早朝から付き合わされた。
クアエシートル記者も食堂に入り浸る。共通語が通じる受講生への取材や、湖北料理の食レポなどで忙しく過ごしたが、意外と楽しそうだ。
オバーボク市で知り合ったアルトン・ガザ大陸南部出身の薬剤師五人もここで食事したが、彼らもタブレット端末でどこかへ連絡するのに忙しく、とても声を掛けられる状態ではなかった。
レーグルス王子と近衛兵は、一度もこの食堂に姿を見せなかった。王族専用か、講師専用の食堂が別にあるのかもしれない。
社長はノートパソコンと近衛兵に視線を往復させるばかりで動かない。
緑髪の近衛兵はますます険しい顔になり、ローシカ製薬の最高経営責任者に訛のない共通語で命じた。
「今から会議室を開けるから来い」
「その……会議室は遠いんでしょうか?」
「この棟の三階だが、その記者はアンテナの設置など、支度が要るのだろう?」
近衛兵がクアエシートル記者に顔を向ける。
バルバツム連邦から遠路遥々、ラキュス湖北部に浮かぶルブラ王国領ミクランテラ島を訪れたフリージャーナリストは、直立不動の姿勢で答えた。
「は、はい。持参したアンテナを設置して、パソコンやタブレット端末、マイクなどの設置と生配信の設定ですとか、色々準備が必要です」
「まとめて連れて行くから、お前たちも来い」
「は、はいッ参ります」
バルバツム連邦屈指の大企業の最高経営責任者は、ラキュス・ラクリマリス王国軍の近衛兵の有無を言わさぬ物言いに圧され、一も二もなく従った。
魔法薬学会の建物にはエレベーターもエスカレーターもない。縦方向の移動はすべて階段だ。天井が高いせいで、階段も長くなる。階数は三階でも、バルバツム連邦の一般的な建物なら五階相当の高さに近い。
現役兵士のデルタ伍長はともかく、年配の社長はあっという間に息切れして汗だくだ。踊り場に出る度に一休みしなければ、次に進めなかった。
社長の荷物は秘書が持つが、屈強な外見通り、全く疲れた様子がなく、社長を気遣う余裕すらある。
クアエシートル記者は三脚と一眼レフカメラを肩に掛け、機材を詰めたリュックを背負う。社長よりは速いが、休み休みでどうにかついて来た。
三階の手前まで昇り、ローシカ社長が額の汗を拭って息も絶え絶えに言う。
「魔法使いと言うのは……意外と……足腰がじょ、丈夫……なんですね」
「これって、身体が不自由な人とか、もっと大変じゃないですか?」
踊り場での小休止中、クアエシートル記者が呼吸を整えながら近衛兵に聞いた。
近衛兵は息ひとつ乱さず答える。
「本人の魔力が充分あれば、【操水】で水に乗って移動する」
「水に乗る……? あッ、魔法で水を動かしてエレベーターの代わりにするんですね? 成程、それなら車椅子では無理なとこも余裕で行けますね」
クアエシートル記者が、想像して納得した顔になる。
デルタ伍長は、租借地の病院で駐留部隊の兵士や看護師に魔法でそうされたのを思い出した。あれは担架やストレッチャー代わりで、主に水平移動だったが、垂直方向でも問題なく動かせるのだろう。
……魔力が充分あれば……か。
デルタ伍長は、昨日の五人を思い出して微妙な気持ちになった。彼らでは、人間を浮かせて運べるだけの水を動かせないだろう。
ローシカ社長はハンカチで何度も汗を拭いながら、手すりと秘書の手に縋って昇るが、近衛兵に魔法で助けて欲しいとは言わなかった。
やっとの思いで三階に着く。廊下の反対側から撮影機材を担いだ男性が三人、歩いてくるのが見えた。どうやら向こうにも階段があるらしい。
クアエシートル記者が笑顔で手を振った。
「ラゾールニクさん、お久し振りです」
「クアエシートルさんも来たんですか。遠いとこ、わざわざお疲れ様です」
金髪の若い男性が、流暢な共通語で手を振り返した。デルタ伍長よりやや年上に見えるが、服に呪文と呪印の刺繍があるので、魔法使いだ。実年齢は外見だけではわからない。
緑髪の中年男性も、背広のあちこちに呪文と呪印の刺繍がある。
金髪の中年男性は背広の左肩に腕章を巻く。星光新聞の社章だ。
……星光新聞がこんなところまで取材を……?
デルタ伍長は腕章を二度見したが、毎日、ニュースサイトで目にするロゴと同じだ。
「クアエシートルさん、あの記者とお知り合いなのですか?」
社長秘書がラゾールニクの背広の刺繍を見詰めて聞く。
クアエシートル記者は三脚を担ぎ直して答えた。
「彼もフリージャーナリストですよ。魔哮砲戦争の最中、アミトスチグマ王国に開設された難民キャンプの取材で知り合ったんです」
「無駄口を叩く暇があるなら、さっさと準備しろ」
緑髪の近衛兵に共通語で一喝され、大荷物の記者たちは会議室前まで駆け足で移動した。
☆難民キャンプの取材で知り合った……「2294.寄付して取材」参照




