0353.いいニュース
「フラクシヌス教団も事態を重く見て、現在は王国軍と協力して、魔獣が出た道の【結界】などの強化にあたっているそうです」
「作業中、襲われたりせんのかね?」
「その為に軍と協力するんですよ」
大橋の話を聞いた後では、何とも心許ない。
「今は、大型の【無尽袋】が不足して、鉄扉と拠点の修理に回せないそうで、トラックを通す為に【結界】の強化を急ぐのだそうですよ」
「まぁ、アーテルも、ラクリマリス経由で陸路からネモラリスに攻め入ろうなどとは思わんだろうが」
「それはそうでしょう。そんなコトをすれば、ラクリマリスとも全面戦争になってしまいますよ」
スニェーグが苦笑する。
聖地を擁するラクリマリス王国が招集を掛ければ、周辺のフラクシヌス教国も参戦せざるを得なくなる。そうなれば、アーテルは文字通り「焦土」になるだろう。
同意を得て、ラクエウスは安堵した。ラクリマリス王国まで参戦しては、和平の仲介役が居なくなってしまう。
ラクリマリス王家がこの戦争をどう見るか、報道からは窺えなかった。
かつての共同統治者である湖の民のラキュス・ネーニア家は、当主自ら、アーテル軍を迎撃する作戦に加わった。表舞台に姿を見せたと言うことは、再び指導者として国政に参与するつもりかも知れない。
湖の民とフラクシヌス教徒の湖の女神派はついてゆくだろうが、陸の民や主神をはじめ、他の神々を崇める者たちは反発するだろう。
……もうこれ以上、国が割れるようなことはご免蒙りたいものだ。
「いいニュースもありますよ」
スニェーグが、努めて明るい声を出す。資料を一枚取り、ラクエウスに向けた。詩の公募について、とある。
「ラクリマリスの支援者の方の提案で、未完の曲の詩を募ることになりました。昨日のリャビーナ市民合唱団のコンサートでも、呼び掛けを行いました」
「ふむ。歌詞があれば、歌いやすく、広めやすくなるからな」
「既に動画のコメント欄などにも案が寄せられているそうです」
「世界中からか」
「はい。詩作を通じて、なるべく多くの方に平和と民族融和について考えてもらいたいそうで、応募者の人種や国籍は問いません」
「成程な」
それをアーテルに届ける手段などの課題は残るが、周辺諸国が足並みを揃えて停戦への圧力をかければ、状況が好転する可能性があった。
国際世論を動かす要因のひとつとして、何もしないよりずっといい。
「それともうひとつ。アーテルの音楽家団体が、先日の大部隊出撃に抗議声明を出したそうです」
ラクエウスは声もなくスニェーグを見た。白髪のピアニストが長い指で資料を捲る。抗議声明の写しだ。
ラクエウスは老眼鏡を掛け直して目を通した。
一行目は祈りの詞で、キルクルス教界隈では公式文書の決まり文句だ。
日月星蒼穹巡り、虚ろなる闇の澱みも遍く照らす。日月星、生けるもの皆、天仰ぎ、現世の理、汝を守る。
私たち「安らぎの光」は、アーテル共和国の音楽家であり、また、知恵の灯を掲げる聖者キルクルス・ラクテウスの敬虔な信徒であります。
現在、交戦中のネモラリス共和国には、邪悪な魔法使いだけでなく、多数の力なき民も居住しています。
フラクシヌス教徒とは言え、魔法使い諸共、無原罪の魂までも葬らんとした焦土作戦は、到底、是認できるものではありません。
幸か不幸か、この度は、邪悪な魔術によって、無人機の大編隊は阻まれました。成功していれば、我が国は国際社会から厳しい批難に晒されたでしょう。
我が国がこれ以上、国際社会から孤立することのないよう、無差別攻撃の自粛を強く求めます。
異教徒と雖も、無原罪の魂に罪はありません。
聖者のお導きにより、理性の光の許、知恵と知性を以て問題の解決を図るよう、願ってやみません。
聖なる星の道より遍く照らす日月星の光の許、私たちは道を逸れることなく歩みます。
かなり強い表現で、真正面からアーテル軍と政府を批難する言葉が連なる。
聖者キルクルスの教えに則って、力なき民……魔力を持たない無原罪の魂の保護を訴えるが、実質的な要求は戦闘の終了、少なくとも、停戦合意のテーブルに着くことだ。
世界中に向けて発表して、音楽家団体「安らぎの光」の会員は無事でいられるのか。敵地とは言え、同じキルクルス教徒、同じ音楽家として、彼らの身の上に不幸が降りかからないか、不安でならない。
今日は本当に心臓によくない日だ。
ラクエウスは数回、深呼吸して気持ちを落ち着かせ、なんとか声を発した。
「アーテルには、言論統制があるものだとばかり」
「だからこそ、インターネットで声明を出したのでしょうね。当局の目に触れ、削除される前に広まれば、人々の心を揺さぶり、行動を起こさせるきっかけになるかも知れません」
「関係者が拘束されれば、国民の怒りと反発を買う……と?」
「それも狙って、捨て身の覚悟で発表したのでしょう」
ラクエウスとスニェーグは、それぞれの信ずる聖者と神に、彼らの安全と平和の訪れを祈った。




