0352.王国領の被害
「最近、ラクリマリス王国領でも、魔物や魔獣が活性化しているそうです」
「なんと……」
スニェーグが、食卓に紙を広げた。大判封筒の中身は、支援者が取りまとめた最近の情勢だ。項目を大きな字で、概要を箇条書きにしてある。
ネーニア島の南半分は、ラクリマリス王国だ。
クブルム山脈の稜線が天然の国境だが、魔物や魔獣にとっては障壁にならない。空襲以降、目に見えて増えたと、スニェーグは別紙のグラフを示した。最終は六月分だ。
「レサルーブ古道などが結界なのですが、保守できなくて、綻びができてしまったのでしょうね」
「ふむ……脆いものだな」
魔術の知識が乏しいラクエウスにも、破綻の理由は容易くわかる。
アーテル・ラニスタ連合軍による空襲で、保守管理の人手が失われた。死体を喰らった魔物は力を付け、より多くの魔力を求めて南の王国領に侵入したのだろう。
湖上でも、先日の護衛艦の件で魔獣が増えたらしい。
大半はネモラリス軍が倒したが、討ち漏らしたモノはラクリマリス領にも逃れただろう。
「これは、報道規制されておりますので、ご内密に願いたいのですが」
スニェーグは声を潜め、食卓に身を乗り出した。彼の自宅で二人きりだが、ラクエウスも身を乗り出し、雪色の頭に耳を寄せる。
「モースト市の守備隊が、魔獣の群に襲われて全滅したそうです」
ラクエウスは、声もなく目を見開いた。
老いた心臓には大変よろしくないニュースだ。ラクリマリス王国は、ほぼ魔法文明国と言っていい。軍人は全て魔法戦士で、それぞれが魔物や魔獣に対抗し得る力を持つ筈だ。
……何故だ?
半世紀の内乱で失われた人材が、まだ回復途上だとしても、妙な話だ。
キルクルス教徒主体のアーテル軍では、実体のない魔物には対抗できないが、ラクリマリス軍はそうではない。旧王国時代からの戦い方が引継がれ、魔物や魔獣相手なら、守るも攻めるも、魔術や戦術の心得がある筈だ。
疑問を口にすることもできずに居ると、スニェーグは更に声を落とした。
「他の部隊に応援を要請しましたが、そちらも別の群に襲われ、援軍を要請せざるを得ず、なんとか退けた頃には、モースト市の部隊は全滅、救援部隊も大打撃を受けたそうです」
「では、モースト市民も……?」
「いえ、昔の名残で『市』と呼んでいますが、大橋の再建後も人が殆ど戻らず、実質的に村の規模ですね」
「なんと……そんなことになっておったのか」
ラクエウスは、半世紀の内乱前の繁栄を思い、胸が痛んだ。
北ヴィエートフィ大橋のお陰で、モースト市はネーニア島とランテルナ島、大陸本土を結ぶ交通の要として、人と物の行き来が盛んだった。文化や学問も盛んで、ラクエウスがハルパトールと呼ばれた青年時代には、今はなきラキュス・ラクリマリス交響楽団の一員として、何度もコンサートで足を運んだ。
清潔に整えられた街並は、工夫を凝らした看板に彩られ、人々は垢抜けた衣服に身を包んで、石畳の道を闊歩した。街のそこかしこで知識人が議論を交わし、アマチュア演奏家が腕前を披露する。
市壁の内側は魔法に守られ、魔物や魔獣の襲撃に怯える者は一人もなかった。
スニェーグも老人だが、ラクエウスよりやや若く、当時を記憶に留める年齢ではない。淡々と現在の状況を説明する。
「はい。それも、人が少なくて儲けがないから店が少なく、不便だから人も集まらない悪循環で、殆どが空家だそうです」
部隊相手の店は数軒あるが、どれも他所からの通勤だ。日中だけ営業し、夕方には帰ると言う。この件を伝えたのも、店の者らしい。
魔獣が防壁を突破するのを見て逸早く【跳躍】で逃げ、三日程してから戻ったところ、大変な状態だったと言う。
「報道規制されていますが、人の口に戸は立てられませんからね。インターネット上にそれを裏付ける写真が公開されているそうです」
「何ッ? いいのかね?」
「いいも悪いも、今、申し上げた通りですよ」
人の口に戸は立てられない。
昔ながらの口コミなら、【跳躍】を使っても伝播の範囲と影響は限られるが、インターネットでは瞬時に世界中へ広まってしまう。どんな影響が出るか、ラクエウスには想像もつかなかった。
「支援者の連絡係が、ランテルナ島で撮影者らしき人物と接触できたそうです」
「何ッ? それは本当かね?」
「それとなく水を向けたそうですが、警戒されて躱されたそうです。彼の感触では、まず、間違いないだろうとのことです」
「インターネットとやらは、そんなことまでわかるのかね?」
スニェーグは小さく首を横に振った。
「流石にそこまではどうでしょう。状況証拠から、そうだろうと見当を付けたそうですよ。その人物がSNSに公開した情報と照らし合わせて」
「何故、そんな所に居るのかね?」
「乗っていたトラックが魔獣に追いかけられて、助けを求めてモースト市に逃げ込んだそうです」
北ヴィエートフィ大橋の守備隊は、トラックを橋上へ逃がして魔獣と戦ったが、敗北した。その戦闘で大橋の鉄扉が壊れて開けられなくなった、と破壊された扉などの写真を公開し、ネーニア島へ戻る手段を求めたと言う。
「ランテルナ島側に検問はないのかね?」
ラクエウスは、疑わしく思えてならない。それには、スニェーグも首を傾げた。
「さぁ? ですが実際、連絡係は、それらしい人物と接触したそうですからね」
「ランテルナ島のどこで?」
「武闘派ゲリラの隠れ家だそうです。今は留守番の呪医が居るだけだそうで、ある意味よかったんじゃありませんか?」
「ふむ……流石に街へ出るワケにはゆかぬだろうが」
……とんだ疫病神だな。いや、彼らに悪気があったワケではなかろう。
力なき民故に戦う力がなく、助けを求めて縋った先にも、彼らを守る力が足りなかっただけだ。よもや、ラクリマリス軍の部隊が全滅するなど、夢にも思うまい。
☆先日の護衛艦の件……「0274.失われた兵器」参照
☆モースト市の守備隊が、魔獣の群に襲われて全滅……「0300.大橋の守備隊」「0301.橋の上の一日」→「0302.無人の橋頭堡」「0303.ネットの圏外」参照
☆ラクエウスがハルパトールと呼ばれた青年時代……「0214.老いた姉と弟」「0220.追憶の琴の音」「0277.深夜の脱出行」参照
☆それを裏付ける写真が公開……「0303.ネットの圏外」→「0322.老婦人の帰還」参照
☆支援者の連絡係/それとなく水を向けた……「0346.幾つもの派閥」参照
☆ランテルナ島側に検問……「0312.アーテルの門」「0313.南の門番たち」参照




