0348.詩の募集開始
諜報員ラゾールニクの話はこれで終わりらしい。
ロークのメモが終わるのを待って、呪医セプテントリオーは口を開いた。
「現在のネモラリスとアーテルは民主主義です」
三人の目が、湖の民の呪医に集まった。
「議会で過半数が賛成すれば、僅差であっても、残りの意見は切り捨てられてしまいます。民主主義を単なる多数決だと誤解する人が多いのは、その為です」
「違うんですか?」
「違います。詳しい話は後でしましょう」
セプテントリオーが頷くと、ファーキルはそれ以上の質問を飲み込んだ。
「逆に、人々の意見が平和に傾けば、庶民の力で戦争をやめさせられる可能性もあるんですよ」
呪医セプテントリオーが、ラゾールニクたちの活動を補足すると、力なき民の少年たちは深く頷いた。
ノックの音で、扉に一番近いロークが立ち上がる。細く開けると、エランティスとアマナだった。
「ごはんできたよー」
「私は後でいただきます。お先にどうぞ」
呪医セプテントリオーは、少年たちを送り出して扉を閉めた。子供たちの足音が充分、遠ざかるのを待って、ソファに戻る。
「呪医も腹減ってるだろうから、要点だけにしとこう」
「お気遣い、恐れ入ります」
「報告はふたつ。ひとつは、王都の市民楽団が平和コンサートを開いた件」
収益はラクリマリス王国内の難民支援と、楽団の運営費用に回された。
演奏された曲は「神々の祝日の為の聖歌メドレー」と、国民健康体操の替え歌、民族融和を歌う未完の曲などだ。
その音声を録音し、楽譜と共にインターネット上に公開したと言う。
ラキュス湖南地方に限らず、世界の大抵の国で、宗教音楽は著作権の規制が緩やかだ。冒涜の意図がない限り、誰でも自由に演奏し、発表できる。
未完の曲は、ラキュス・ラクリマリス共和国の民主化百周年記念に作られたそうだが、今はその国自体が内戦で解体されてしまった。共和国民向けに作られた「国民健康体操」もそうだ。今更、誰からも文句は出ないだろう。
「ラクリマリスでも、割と好評だったってよ」
「そうですか。陛下が和平交渉の場を設けて下されば、一番良いのですが」
ラクリマリス王国内で、ネモラリス難民への風当たりがマシになるだけでも、大きな成果だ。そんなコンサートを開催できること自体が、国王の寛大さと、王国の自由と平和を体現する。
「もうひとつは、ネットで歌詞の募集を始めたこと」
「新しい歌を作るのですか?」
「いや、ラクリマリスの支援者が、未完の曲はそのままじゃ歌い難いからって、コンサートで呼び掛けてた」
「あぁ、確かに……」
民族融和の曲は、旋律が盛り上がり始める所で、ふっつり歌詞が途切れる。
「ネモラリスでも、リャビーナ市民楽団が同じ呼掛けをしてる」
「成程。目的は……作詞を通じて多くの人に、平和について、民族融和について考えてもらうこと……ですね?」
「そう言うコト。呪医はいつも察しがよくて助かるよ。あの子たちにもヨロシク言っといて」
諜報員ラゾールニクが立ち上がる。
呪医セプテントリオーは庭に出て、彼が【跳躍】で姿を消すまで見送った。
……さて、私にできることは?
薬師アウェッラーナならば、そんなことはないと思うが、トラックの運転手メドヴェージは、全てを失った絶望からキルクルス教徒のテロ集団「星の道義勇軍」に身を投じてしまった。
今は戦闘に参加しないが、再び武器を手に取らないとは言い切れない。
ソルニャークと言う隊長も、餓えた目をした少年兵もそうだ。
他の者たちは成行きで偶然、彼らの街を焼いたテロリストと行動を共にするのだと言った。ならば、成行きで武器を執ることもあり得るだろう。
彼らが戦いに身を投じぬよう、なんとか無事にネモラリス島へ送り届けたい。
庭に湿った土の匂いが漂う。
隅の薬草園の傍らに畝が起こしてあった。夏の日射しに晒された土が白く乾く。ビニール紐で区切られた範囲の草を毟り、家庭菜園を作ったのだ。
彼らは、食べた野菜の種を播き、蔓草で編んだ育苗ポットで育てていた。
いつになればここ……ランテルナ島を出て、首都があるネモラリス島や、彼らの故郷ネーニア島へ渡れるのか。
長期戦に臨む彼らの用意が悲しかった。
書斎に戻り、白紙に力ある言葉を書く。
童歌のような独特の節回しを思い浮かべながら、【癒しの風】の呪文を綴った。
青い翼 命の蛇呼んで 無限の力 今 ここに来て
翼 はたはたと 癒しの風を送る ひとつの風を
泣かないでね この痛みすぐ癒す 今から心こめ癒すから
命 繕って 苦しみ去って 元気になった 見て ほら
傷ついても この痛み平気なの 言葉に力乗せ癒すから
命 補って 痛みは去って 元に戻った 元気 ほら
痣と火傷 この痛みすぐ消える 魔力を注いで癒すから
体 繕って 痛みを拭い 元に戻った 見て ほら
青い翼 命の蛇呼んで 無限の力 今 ここに来て
翼 はたはたと 癒しの風を送る ひとつの風を
術だけで傷を癒す【青き片翼】学派の呪歌だ。最初に教わる簡単な術で、子供でもすぐ使える。
対象の範囲や効果の指定が不要で、魔力の強さなども調整する必要がない。力なき民でも、作用力を補う【魔力の水晶】があれば使える。
効力は微々たるものだが、ないよりはずっといい。
……戦う力ではなく、守る力を。
半世紀の内乱中、同じ思いで術を教えた子供たちの何割が、停戦まで生き残れただろう。湖の民セプテントリオーは、乱れそうになる心を鎮めながら、呪文の読み方や意味を書き綴った。
☆未完の曲は(中略)民主化百周年記念に作られた……「0220.追憶の琴の音」「0259.古新聞の情報」「0275.みつかった歌」参照
☆民族融和の曲は(中略)ふっつり歌詞が途切れる……「0268.歌を探す鷦鷯」参照
☆リャビーナ市民楽団が同じ呼掛け……「0305.慈善の演奏会」参照
☆全てを失った絶望……「0017.かつての患者」→「0018.警察署の状態」参照
☆【青き片翼】学派の呪歌……「0033.術による癒し」参照




