0346.幾つもの派閥
玄関を開けた途端、パンの焼ける香ばしい匂いが漂う。どんな魔法なのか、中の涼しさにホッとする。ロークは帽子を脱いだ。
「セプテントリオー呪医、居る?」
「資料室だ」
「兄ちゃん、どっか怪我してんのか?」
ソルニャーク隊長が短く答え、少年兵モーフが聞く。青年は笑って手を振った。
「いや、平気だ。呪医にちょっと話があるんだ」
「俺も、ファーキル君に用があるんで、一緒に行っていいですか?」
「俺、命令できる権限とかないし、用があるんだろ?」
ロークが頷くと、ソルニャーク隊長が地虫の袋を預かってくれた。白や薄茶色の地虫が中で蠢く。これから術で水抜きされて、熱冷ましの薬に加工されるのだ。
「じゃ、また後で~」
青年と並んで廊下を通り、ロークも資料室へ入った。
ファーキルが集めてきた情報を呪医セプテントリオーに見せ、呪医は要点を新聞の切抜きの余白にメモする。
ロークには、それにどんな意味があるかよくわからないが、口は出さなかった。
「よっ。呪医、久し振り。ちょっと見ない間に随分、賑やかになったな」
「お久し振りです。彼らはゲリラではありませんよ」
「さっき聞いたよ。成行きで流れ着いた戦争難民ってどう言うコト?」
青年は、呪医の向かいに腰を降ろしながら聞いた。
ロークもファーキルの向かい、青年の隣に座る。やわらかなソファの座り心地は良かったが、居心地は良くなかった。この人に詳しい事情を説明していいものか迷い、ファーキルを見る。
ファーキルは、困惑気味にタブレット端末から顔を上げた。
「あれっ? 君ら、ネモラリスの難民じゃないの? 何で端末持ってんの?」
「俺は、ラクリマリス人なんです。家族で知合いのとこに行った時に戦争に巻き込まれて、一人だけ助かって……俺は力なき民なんで」
「あぁ、ネット関係の仕事できるように、小さい頃から持たされてたのか」
青年は納得したようだが、暗い顔で説明したファーキルに同情する様子はなかった。ロークたちの警戒に気付いたのか、軽いノリで自己紹介する。
「俺、ラゾールニク。武闘派ゲリラじゃなくて、ただの連絡要員だから、そんな怖がんないでくれる?」
「連絡要員?」
ロークが聞くと、ラゾールニクと同時に呪医セプテントリオーも頷いた。
「俺ら、軍隊みたいなきっちりした組織じゃないんだ。それどころか、指導者も居ない。方針もバラバラだ」
「えっ?」
「考えてもみなよ。半世紀の内乱の生き残りは、戦い方知ってる奴いっぱい居るんだぞ? 力ある民なら個人でも、アーテル本土に土地勘がありゃ、性質悪いテロを仕掛けられるんだ」
ラゾールニクは、力なき民の少年二人に向き直って説明した。
例えば、【鳥撃ち】と【跳躍】ができれば、鳩や鴉の死骸を物陰に放置して、雑妖を涌かせ、呼び寄せた魔物を受肉させられる。
アーテルは、キルクルス教を国教とする科学文明国だ。【結界】も何もない。街の中で魔獣を発生させるだけで、死と恐怖を撒き散らせる。
「拠点持ってる大きい団体だけでもたくさんあるし、小さいのはネモラリス政府も把握しきれてない」
「そんなにあるんですか?」
ファーキルが驚いて聞くと、ラゾールニクは当然だと言いたげに頷いた。
「色々あって、正規軍はアーテルを直接叩きに行けない。それでみんなイラついてるんだ」
「徴兵や命令じゃなくて、自主的に戦争してる普通の人が、そんな大勢居るんですか?」
「志願兵にならずに……ですか?」
「あぁ。全然一枚岩じゃないけどな。自分でやった方が早いと思う個人なんて、軍も把握しきれない」
ロークとファーキルが聞くと、ラゾールニクは悲しそうに言って唇を歪めた。
……葬儀屋さん、ここが拠点のゲリラたちは、兵隊さんに差入れしてるって言ってたよな?
ロークは猪肉でバーベキューをした夜、葬儀屋アゴーニから聞いた話を思い出した。今は留守の武闘派ゲリラが、どんな立場で何を成そうとするのか、上手く想像できない。
湖の民のおっさんの話では、北ザカート市に駐屯するネモラリス正規軍は、彼らの差入れを受け取った。下級兵士の中には、武闘派ゲリラのアーテルでの活動を歓迎する者が居るらしい。
ネモラリス軍は少なくとも、この一団の存在を把握済みだ。ゲリラの支援はしないが、放置することで、ある意味、お墨付きを与えたのだ。
「ここに来てるのは、何もかも失くして、復讐の為に活動してる人たち。俺は、とっとと戦争終わらせたいチームのパシリ」
「私は、武闘派ゲリラに戦闘をやめるよう、説得しているのですが」
呪医セプテントリオーが悲しげに目を伏せる。ロークは思わず聞いた。
「戦争、どうすれば終わるんですか?」
「それがわかりゃ、苦労しないんだけどな。アーテルの目的がわかんねぇから」
「アーテルの目的でしたら、見当がつきましたよ」
ラゾールニクは、湖の民の呪医に信じられないものを見る目を向けた。
呪医セプテントリオーが、ローテーブルに広げたファイルとタブレット端末を掌で示す。
「尤も、複数の情報を整理して得た感触で、私見なんですけどね」
そう断って語ったアーテルの目的は、恐ろしいものだった。
ロークも、これまでのことと照らし合わせて納得はできたが、信じたくはない内容だ。アーテル政府が、ネモラリス人を根絶やしにするまで戦争をやめる気がないなら、どんな説得も通用しないだろう。
ロークはファーキルを見た。ラクリマリス人の少年も、青褪めた顔で二人の話に耳を傾けた。
☆呪医、久し振り/ラゾールニク……「0285.諜報員の負傷」参照
☆半世紀の内乱の生き残りは、戦い方知ってる奴いっぱい居る……「0015.形勢逆転の時」参照
☆猪肉でバーベキューをした夜……「0320.バーベキュー」参照
☆私は(中略)説得している……「0279.悲しい誓いに」参照




