0345.菜園を作ろう
朝靄が漂う庭に出て、葬儀屋アゴーニは北ザカート市の廃墟へ【跳躍】した。
老婦人シルヴァが昨夜、普通の袋に詰めた傷薬と素材のメモをオリョールら武闘派ゲリラに届けに行く。
シルヴァも昨夜は病室に泊まり、今朝はアゴーニより先にどこかへ跳んだ。
二人が居なくなると、外界から隔絶された別荘の空気が緩んだ。
ロークは、星の道義勇軍の三人と共に庭で作業する。
レノ店長が昨日、老婦人シルヴァに苗を植える許可をもらった。薬草園の傍の雑草が生い茂った場所だ。店長は、家庭菜園にしていい範囲と農具の場所を説明すると、パンの仕込みに台所へ行った。
……今はいいけど、今日も暑くなりそうだなぁ。
ロークは、昨日できたばかりの蔓草細工の帽子をしっかり被り、ソルニャーク隊長の説明を聞く。
「鍬が一本しかない。畝は私が作ろう」
「隊長、うねって何スか?」
少年兵モーフが元気よく質問した。ロークはホッとした。昨日の話で少し心配したが、この分なら大丈夫だろう。
「畑の土を耕して筋状に盛り上げた部分だ。野菜などが育ちやすいよう、また、我々がその後の作業をしやすくする為そうする」
多分、畑を見たことがないのだろう。少年兵モーフは、わかったようなわからないような顔で頷く。
ロークはゾーラタ区で畑を見たことがある。あの部分は「畝」と言うのか、と隊長のわかりやすい説明に納得した。
……隊長さんって、農家の人だったんだ?
ソルニャーク隊長が、他の隊員と全く雰囲気を異にする理由はわかったが、別の疑問が生じた。
リストヴァー自治区では、西部の農村地帯の住人はエリートで富裕層だ。それが何故、バラック地帯の住人が主体の星の道義勇軍に参加し、こんな所に居るのかわからない。
「三人は、草取りの続き。根ごと引き抜いてくれ」
指示を与えられ、声を揃えて返事をした。
ビニール紐を括った棒切れが、薬草園の傍の地面に刺してある。レノ店長が、畑にしていい場所を囲んでくれたのだ。三分の一くらいは草取りが済んだが、後は薬にも食用にもならない雑草が蔓延る。
「雑草は強いから、根が残っていると、また生えてくる。鎌で根を断ち切って引き抜くように」
雑草隊長の説明にメドヴェージが苦笑する。隊長も薄く笑い返して、自分の作業に取り掛かった。
鎌は五丁ある。三人は一丁ずつ手にして、言われた通り草取りを始めた。
刃を雑草の根元に突き立て、根を切りながら掘り起こす。草熱れの中に湿った土の匂いが立ち昇る。軽く振って土を落とすと、地虫も一緒に落ちた。ドーシチ市の屋敷でうんざりする程すり潰したあれだ。
生きた地虫は思いの外動きが速く、あっと言う間に土に潜って見えなくなった。
「根を齧って野菜を枯らすことがある。地虫も取り除いてくれ」
「坊主、小さい袋、三枚持って来てくれ」
少年兵モーフがトラックに走った。
ロークは黙々と作業を続ける。抜いた草をゴミ袋に入れ、次々と根を切り、掘り起こす。逃げる地虫は敢えて追わず、草取りに専念した。
「ありがとう」
戻ってきたモーフからA4サイズくらいのビニール袋を受け取り、まだ半分見える地虫を摘まんで入れる。
透明の袋に入れられた地虫は、土に向かって白い身体をくねらせた。丸々と太った地虫がどんなにもがいても、目の前にある地中に潜れない。地虫の小さな脚では袋を破れず、つるつる滑るばかりだ。
赤い頭の下三分の一くらいが口だが、根を噛み千切れても、ビニール袋は食い破れないらしい。
……【結界】って、こう言うもんなんだよな。
ロークたち、力なき民は【結界】に阻まれ、この別荘に自力で入れない。
透明な袋の中でもがく地虫が自分のように思え、ロークはそっと脇に退けた。
「あんたら、新入りか? ご苦労さん」
日射しが強くなってきた頃、不意に声を掛けられ、ロークは顔を上げた。
ソルニャーク隊長が鍬を持ち直し、若い男性を観察する。
麦藁色の髪が昼前の日射しに輝き、印象の薄い顔が人懐こい笑みを浮かべる。目を離せば次の瞬間には忘れてしまいそうだ。どこかの街で再会しても、きっとわからないだろう。
メドヴェージと少年兵モーフが立ち上がった。ロークも立ち上がり、帽子を取って会釈する。露草色の瞳は無邪気に見えた。
……こんな人が、武闘派ゲリラやってんの?
「……成り行きで、ここに流れ着いた戦争難民だ」
「婆さんの許可はもらってる」
ソルニャーク隊長の説明にメドヴェージが言い添えた。少年兵モーフが額の汗を袖で拭う。
青年は、三人のボロボロの服とロークの冬服を見て言った。
「暑そうだな。中で話そう」
「そうだな」
青年の提案に隊長が同意し、四人は井戸端へ行った。青年もついて来る。
隊長とメドヴェージが井戸を覗き、周囲を見回した。何かを探す顔だ。
「あれっ? ひょっとして、みんな力なき民? どうやってここ入ったの?」
「あれ」
少年兵モーフが、庭の隅に停めたトラックを指差す。青年の視線がトラックから門に移り、ソルニャーク隊長で止まった。
「ここ、力ある民専用の別荘だから、魔法使えないと不便でしょ」
「……まぁな」
……あ、井戸水汲み上げる桶がないんだ。
ロークはゾーラタ区で見たロープ付きの桶を思い出した。メドヴェージが隊長と素早く視線を交わし、笑顔で言う。
「多分、力ある民が一緒に乗ってたから、通れたんだろ。今、中で別の作業してて忙しいんだ」
「そっか。じゃ、洗ったげるよ」
「すまんな」
隊長が軽く頭を下げ、ロークたちもそれに倣った。
青年が【操水】で井戸水を汲み上げ、一人ずつ洗ってくれる。日射しに焙られた身体に水の冷たさが心地良かった。
☆昨日の話で少し心配……「344.ひとつの願い」参照
☆隊長さんって、農家の人……「0046.人心が荒れる」「338.遙か遠い一歩」参照
☆西部の農村地帯の住人はエリートで富裕層……「0156.復興の青写真」参照
☆ドーシチ市の屋敷でうんざりする程すり潰したあれ……「0250.薬を作る人々」参照




