3440.研修の方針案
「では、今から一時間、連絡に充てます。祖国の政府か職場に確認して下さい」
話がまとまり、モースト薬科大学のトラーフニク教授が宣言した。
研修生たちが連れ立って共同食堂へ移動する。ミクランテラ島にある魔法薬学会の敷地内で、インターネットに接続できるのは食堂棟だけだ。
薬師アウェッラーナとトラーフニク教授、ルブラ王国人の女性通訳士だけが座学の講義室に残った。
三人は溜息を吐いて、手近の椅子に腰を落ち着ける。
黒髪の女性通訳士が流暢な湖南語で言った。
「お手数をお掛け致しまして恐れ入ります」
「いえ、職員のみなさんも大変そうですね」
薬師アウェッラーナは、二十代半ばくらいに見える通訳の女性に微笑を返す。
トラーフニク教授が眉間に皺を寄せ、白髪交じりの茶髪をくしゃりと乱した。
「レーグルス殿下がご立腹になるのも無理はないと申しましょうか」
「研修が始まったのって、先月初旬でしたよね?」
今は印暦二二〇一年五月初旬で、研修開始から一カ月近く経つ。
「レーグルス王子殿下は共通語が堪能でいらっしゃいますので、私は又聞きなんですが、中間素材を作る作業をひとつひとつ丁寧に説明しておられたそうですよ」
「でも、半分くらいの人しか成功しなかったんですよね?」
アウェッラーナが確認すると、通訳の女性は疲れた顔で頷いた。
トラーフニク教授が頭を抱える。
「まさか、こんなに技術水準が……いや、魔力絡みの身体能力が低いとは」
「魔力は鍛えられませんけど、【水晶】である程度は何とかなりますし、作用力なら鍛えられますから、あの人たちの頑張り次第ですけど」
薬師アウェッラーナも先が思いやられ、語尾が揺らいで消えた。
魔法薬学会の通訳士が遠い目になる。
「アルトン・ガザ大陸南部出身の方々は、王族どころか、この辺りの平民と比べてもかなり魔力が弱いですからね」
「他の研修では、いつもどうしてるんですか?」
アウェッラーナは気になった。
湖北語話者の女性職員が、流暢な湖南語で答える。
「他の術の研修では、自分の魔力や技術力では無理だとわかった時点で帰国なさいます」
「えっ? 諦めちゃうんですか?」
今日のアウェッラーナは驚いてばかりだ。
「魔力の圧が足りない人は、どんなに頑張っても不可能ですから、仕方ないんですよ」
「あ……あぁ……そうですね」
「今回のように“できるようになるまで帰らせてもらえない”と言うのは、私の知る限り初めてですね」
「それで、レーグルス殿下は一カ月も付合わされてお怒りに……?」
薬師アウェッラーナは、ほんの少しだけレーグルス王子の気持ちがわかった気がしたが、巻添えで余計な仕事を押し付けられたことには変わりない。
しかも、一方的な命令で、報酬の説明もなく、慌ただしく派遣されたのだ。王子個人は気前がいいので、支払わないなどと言うコトはないだろうが、微妙な気持ちになる。
魔法薬学会の通訳士は、肩に掛かる艶やかな黒髪をさらりと払って言った。
「それだけ、アルトン・ガザ大陸では薬物汚染問題が深刻なんだと思いますよ」
「あぁ……ニュースで見る度に科学の鎮痛剤なんて使わなきゃいいんじゃないかなって思うんですけど」
「あの感じですと、魔法薬が高価で、大量生産できる科学の薬を輸入した方が安上がりだから、そう言う対応ができないんじゃないかと」
「あぁ……そうなりますか」
アウェッラーナは肩を落とした。
トラーフニク教授が顔を上げて話に加わる。
「彼らに【魔力の水晶】の購入を打診しましたが、これだけ価格差があると、転売や盗難の危険性が出てきますね」
「あッ!」
薬師アウェッラーナは冷や水を浴びせられたように身を固くした。
通訳士の女性が暗い顔で言う。
「その方面は、あちらの国で対処すべきことで、魔法薬学会の仕事ではありませんよ」
言外に講師が気にすることではないと言われたが、患者を救う為に安値で売った魔道具を投機対象として扱われたり、目的外使用されたのではいい気がしない。
「アウェッラーナさんのように作用力を鍛えれば、魔力を効率よく使えるようになって、同じ魔力量でもできることが格段に増えますからね」
「えっ? 教授、研修生さんにあんな無茶させる気ですか?」
薬師アウェッラーナは、明るい声を出したトラーフニク教授をまじまじと見た。
初老の教授が決意を籠めた目で見詰め返す。
「我が校では、あなたに教えていただいた方法で学生を指導、育成しているのですよ」
「えぇ……? あっ、投網とかですか?」
「はい。近隣の漁協のみなさんが快く指導を買って出て下さいました」
イイ笑顔を返され、アウェッラーナは曖昧な顔で微笑んだ。
「でも、さっきの感じ……研修生さん、大量調合とか夢のまた夢ですよ?」
「大量調合とまではゆかずとも、我々の平均程度のことはできるようになってもらわなければ、てんでハナシになりませんよ」
「食堂棟の売店では【魔力の水晶】も販売しておりますので、ご活用いただければ助けになるかと」
「あっ、あるんですか。助かります。一旦帰って雑貨屋さんかどこかで買ってこようと思ってました」
薬師アウェッラーナはひとつ手間が減ってホッとした。
トラーフニク教授が恐る恐る聞く。
「お値段、お幾らくらいになりますか?」
「先程のお話ですと、ラキュス・ラクリマリス王国の相場と同じくらいですよ」
「そうですか。そうですよね!」
教授は安堵の笑みを広げた。
アウェッラーナは宙を睨んで考える。
「じゃあ……えーっと、まずは【操水】で不純物をどの程度除去できるか見て、それが正確にできる人は次の段階、水と塩化ナトリウムとその他のみっつに分ける作業をしてもらいませんか?」
「そうですね。量は……あの感じですと、三百ミリリットルのビーカーで」
「あぁ……あの人、頑張らないと一リットルもできない感じでしたもんね」
教授に微妙な顔で提案され、アウェッラーナは先が思いやられた。
「あっ、偉い人から追加の質問が出るかもしれないんで、私たちも食堂に居た方がいいかもしれませんね」
「そうしましょう」
薬師アウェッラーナが腰を浮かすと、教授と通訳も同意した。
食堂の建物はアウェッラーナの記憶通りだが、中はすっかり変わった。壁際にカウンター席が増え、コンセントが等間隔で並ぶ。
昼食を仕込む美味しそうな匂いが漂う中、アルトン・ガザ大陸南部出身の研修生が、悲壮な顔で壁際のコンセントに充電器を挿し、背を丸めてそれぞれの祖国と連絡を取る。
「追加の質問があれば、答えますよ」
トラーフニク教授がよく通る声で言うと、共通語訳を聞いた約七十人の研修生は一斉に振り向いた。泣きそうな顔が多い。
何人もが一斉に共通語で質問した。
「えーっと、一度に訳せませんから、こちらの端から順番にお願いします」
通訳の女性が掌で示す。
アウェッラーナは注文カウンターのお品書きを見上げた。
「すみませーん。水と鎮花茶と、薬罐かお鍋を貸していただけませんか?」
注文係が食堂を見回して応じる。
「はいよ。カップはどうします?」
「後で研修生に聞いてみます。今は取敢えず落ち着いてもらいたいんで」
「ちょっと待ってねー」
鎮花茶を一掴み入れた空の大鍋を先に渡された。一番小さい【魔力の水晶】で支払い、【操水】で宙に浮かせた水塊の支配権を代わる。
昼食の時間にはまだまだ早く、誰も居ない中央の席に鍋を置いて【操水】で水を加温した。鍋に入れて乾燥した花を拾い上げる。
熱湯を宙に浮かせて薄く広げると、縮んだ花が開いた。薬効のある甘い芳香が食堂に広がる。
研修生たちは、十リットルくらいの水塊が宙に浮いて沸き立つのを呆然と見守った。
「鎮花茶を淹れましたから、落ち着いて偉い人とお話しして下さいね」
アウェッラーナの湖南語を黒髪の通訳士が共通語訳する。
研修生はそれぞれの国の言葉で礼を言うようだが、アウェッラーナにはひとつもわからなかった。
地図を思い浮かべて彼らの心細さを思う。
……言葉も通じないのにあんな遠くから来て、自分の能力では無理なコトをできるようになるまで帰って来るなって、あんまりよね。
軍医レーグルスは、アウェッラーナの代わりに薬師の資格を持つ衛生兵を三人、東市民病院に派遣すると言ってくれた。だが、彼らではアウェッラーナの代わりにはなれないだろう。
衛生兵は、脳解毒薬を調合できなかった程度の能力しかないのだ。
部下の薬師ソーフカとソビョーノクは優秀だが、まだまだ【見診】してもわからない症例が多い。魔法薬も、アウェッラーナと同程度の品質で、同じ量の大量調合はできない。
今春から【青き片翼】学派の呪医リーリヤが配属されたとは言え、彼女はまだ研修を終えたばかりの新人だ。
脳梗塞など、一刻を争う患者が搬送された時、彼らだけでは心許なかった。
苦しい立場に同情はするが、研修生に入れ込む気にはなれない。
……地味に迷惑だけど、研修生さんたちが悪いワケじゃないのよねぇ。
アウェッラーナは、不出来な研修生を責めないよう、自分に言い聞かせた。
☆投網……「3176.コツを伝える」参照




