3437.基礎研修講師
薬師アウェッラーナは、王国軍からの急な呼出しで、トポリ市立東市民病院からトポリ基地へ連れ出された。
近衛兵に通された会議室には先客の姿がある。脳解毒薬の承認記念祝賀会で同じ卓に着いたモースト薬科大学のトラーフニク教授だ。
「レーグルス王子殿下は只今、租借地の病院でヴェスペルゴ王女殿下の研修指導に付いておられる」
「殿下は我々にどんなご用件なのでしょう?」
トラーフニク教授も忙しい身だ。
出て行きかけた緑髪の近衛兵は背に声を掛けられ、肩越しに振り向いて答えにならない言葉を寄越した。
「殿下はもうそろそろ、基地に戻られる頃だ」
もしかすると、軍医を務めるレーグルス・ラキュス・ネーニア王子の急な思い付きで、近衛兵も理由を知らされないまま使いに出されたのかもしれない。
アウェッラーナは、レーグルス王子の突飛な行動に振り回される近衛兵に同情した。
事務官が香草茶を淹れ、近衛兵も退室。薬師アウェッラーナとトラーフニク教授は二人きりで会議室に残された。
「ヴェスペルゴ王女殿下は元々武官志望で、終戦から一年目までは空襲被災地で魔獣駆除に当たっておられたそうですよ」
「えぇッ? 戦う王女様なんですか?」
アウェッラーナは初耳だ。
ヴェスペルゴ王女が租借地の各病院で臨床研修を受ける件については、病院局からの通達と医療ニュースで知ったが、てっきり幼少期からずっと治癒魔法を学んできたものだとばかり思っていた。
「王族の方々は大抵、その強大な魔力を収斂するのが難しく、攻撃魔法などを使えば辺り一帯を薙ぎ払ってしまわれるので、近衛兵に魔力を分け与えて代わりに戦わせるのですが」
トラーフニク教授の話には、アウェッラーナの知らない情報が幾つも含まれる。
「ウヌク・エルハイア将軍やグリツィーニヤ王女殿下など、一部の王族はその辺りの加減が非常にお上手で、民を魔獣から守る剣として御自ら戦いに出られますが、ヴェスペルゴ王女殿下も攻撃魔法の適性をお持ちの王族のお一人なのだそうですよ」
「戦える王族は稀少な人材なんですね?」
「そう言うコトになります」
アウェッラーナが理解したことを示すと、トラーフニク教授は満足げに頷いた。
「それで、どうして治癒魔法の臨床研修を? あ、ニュースでクレーヴェル大学の医学部に在学中とは書いてありましたけど」
「終戦から二年経った頃、急に軍医になりたいと思し召し、猛勉強の末、医学部に編入なさったのですよ」
「えぇ……?」
攻撃魔法と治癒魔法では魔力の練り方が全く異なる。
思い切った進路変更の理由は、想像もつかなかった。
「いえ、まぁ、急な思い付きでも医学部に編入できるのって、凄く優秀なお方なんでしょうけど」
「レーグルス殿下が急遽、ミクランテラ島からお戻りになられてヴェスペルゴ殿下の臨床研修に付き添う理由は……あまり考えたくありませんね」
初老のトラーフニク教授は、白髪交じりの茶髪を掻くと、背広の内ポケットからタブレット端末を出した。
薬師アウェッラーナも、暗い予想しか思いつかない。
……治癒魔法を暴発させてしまったとか? いや、まさか、ねぇ。
もし、魔力の手加減を誤ってそんな医療事故を起こしたとしても、神聖復古したラキュス・ラクリマリス王国では、報道できないだろう。
万が一、王族の強大な魔力で治癒魔法を暴発させれば、傷や病変のある部位の細胞が無秩序に増殖。癌化して瞬く間に全身に広がり、患者は原形を留めない肉塊と化すだろう。
教科書には、理論上の話として記載されたが、実例の記載はなかった。王族や爵位の高い貴族の失態は、民主化時代でも載せられなかったのかもしれない。
比較的魔力の弱い平民のアウェッラーナでは、そんな事故は起こしようがない。失敗しても、単に術が発動しないか、癌化したとしても、後で取り返しのつく大きさにしかならないのだ。
……優秀なお方みたいだから、暴発はなさそうだけど、手加減を間違えて衰弱死させる可能性はありそうよね。
元が魔法戦士なら、魔力を一点集中させて一気に放出する使い方はお手の物だろうが、狭い範囲に小出しで時間を掛けてじわじわ行き渡らせるのは、却って難しいかもしれない。
「二人とも、急に呼出してゴメンね」
言いながらノックと同時に会議室に入って来たのはレーグルス王子だ。
薬師と教授が席を立って一礼すると、緑髪の王子は苦笑して二人を座らせた。近衛兵が諦めきった顔でレーグルス王子に香草茶を淹れる。
軍医レーグルスは平民二人の向かいに座ると、顔の前でヒラヒラ手招きして声を潜めた。
「ちょっと聞いてくれる?」
「……はい?」
薬師アウェッラーナとトラーフニク教授が会議机の真ん中辺りに顔を寄せると、レーグルス王子は困った顔で話し始めた。
「今、魔法薬学会の研修所で脳解毒薬の作り方を教えてるんだけどね」
「はい。何か問題でも?」
トラーフニク教授が促すと、レーグルス王子は待ってましたとばかりに話し始めた。
「そうなんだよ! 研修生の技術が低過ぎて大問題なんだ」
「えぇ……?」
王子と共に一時帰国した近衛兵が壁際で微妙な顔になる。
「ギリギリで徽章をもらえただけで、精密操作すらロクにできない人も居るんだよ? 信じられる? あんなのがあっちの政府で選抜試験を通ったその国で最高の呪医や薬師だなんて」
「えッ? 梟の学派なのに精密操作ができないんですか?」
「そんなことで魔法薬の中間素材を生成できるのですか?」
薬師アウェッラーナとトラーフニク教授は、同時に驚きを口にした。
呪医の【飛翔する梟】学派も薬師の【思考する梟】学派も、術の行使に大きな魔力を必要としない。
代わりに器用さが求められる。
アウェッラーナの知る限り、食塩と砂糖を混ぜて溶かした水からそれらを別々に抽出する程度の精密操作ができなければ、仕事にならない。様々な素材から特定の成分を魔法で抽出する基本的な作業だからだ。
特に魔獣由来の素材や植物由来の素材には、極微量でも致死性の毒を持つものが存在する。ほんの僅かな混入で、毒薬になってしまうのだ。
「最初の中間素材をまともに作れたの、研修生の半分くらいしか居ないんだよ。残り半分は、不純物が多過ぎて使い物にならないゴミしか作れなくて、てんで話にならないんだ」
レーグルス王子の物言いは辛辣だが、患者の命が懸っている為、判定を甘くするワケにはゆかない。
……愚痴を聞かせる為に呼出したワケじゃないわよね。
アウェッラーナはイヤな予感がした。
軍医レーグルスが困った顔で続ける。
「下手な研修生に帰れって言ったんだけど、作り方を身に着けるまで帰って来るなって国の偉い人に厳命されてて、頑張りますから教えて下さいって泣きつかれたんだよ」
「いや……あの……泣いても喚いても、紫連樹の葉を扱わせるのが些か不安な技術力だと思うのですが」
トラーフニク教授が顔を引き攣らせる。
レーグルス王子が勢い込んで言う。
「だよね。最初の中間素材を作れた研修生も、二番目の中間素材で躓いて、誰も紫連樹の葉を扱う段階まで進められないんだよ」
「あの……それぞれの国の政府に働き掛けて、研修生を帰国させて、再度、基礎訓練から学び直して出直してもらった方がいいと思うのですが」
薬師アウェッラーナは、何をさせられるか予想が付き、先手を打って断った。
「勿論、国交のある国には外務省を通じて苦情を言ったよ。こんなヘタクソ寄越すなって」
軍医レーグルスが身振りを交えて力説する。
トラーフニク教授も、勘付いた顔で聞いた。
「先方さんは……何と?」
「研修生の出身国は全部、アルトン・ガザ大陸南部で、一人だけバルバツム連邦の製薬会社に雇われてる人が居るけど、どの国も鎮痛剤系違法薬物が蔓延してて大変だから、脳解毒薬が喉から手が出るくらい欲しいんだって」
「まぁ……必要としない国が、わざわざ国費で研修生を派遣するとは思えませんからね」
トラーフニク教授が当然の顔で頷く。
軍医レーグルスが半ベソで甘えた声を出す。
「あっちの政府みんなで示し合わせたみたいに同じコト言って研修生を帰らせないんだよ」
「どのような回答だったのですか?」
トラーフニク教授はひとつ咳払いして聞いた。
レーグルス王子が眉間に縦皺を刻み、陸の民の教授を上目遣いに見て答える。
「一週間だけでいいから、ラキュス・ラクリマリス王国の技術水準で精密操作の基礎訓練を受けさせて欲しいって」
……やっぱり!
薬師アウェッラーナはイヤな予感が当たってげんなりした。
トラーフニク教授が緑髪の薬師と視線を交し、レーグルス王子に確認する。
「つまり、我々が大学の講義や病院での臨床をひとまず措いて、研修生に基礎訓練を施すのですね?」
「うん。忙しいのにゴメンね」
小首を傾げたレーグルス王子の顔は、どう見ても申し訳なさそうには見えない。
……絶対自分の可愛さわかってやってるわ。あざとい王子様ね。
薬師アウェッラーナは念の為に聞いてみた。
「殿下も基礎訓練の講師をなさるのですか?」
「ヤだよ。あんな連中。ヴェスペルゴ王女の研修を手伝う方がマシ」
レーグルス王子がむくれてそっぽを向く。
アウェッラーナは苛立ったが、近衛兵の手前、表情には出さない。
「それで、本日は租借地に行かれたんですね?」
「うん。ちょっと様子見に行ったけど、説明に時間掛かって院長の手が塞がって治療が遅れがちだから、手伝いが必要かなって」
……私もそっちが……あっ、共通語がわかる人の方がいい?
租借地の病院には、毎日のようにバルバツム兵が搬送される。
「うん。だからね。一週間だけ、私は租借地の病院でヴェスペルゴ王女の研修の手伝いをして、君たち二人にはミクランテラ島で精密操作の基礎訓練をしてあげて欲しいんだけど、ダメ?」
王族の頼みでは、平民の二人に断る選択肢はない。
「精密操作の基礎訓練講師、謹んで拝命致します」
薬師アウェッラーナは、トラーフニク教授に倣って承諾した。
☆近衛兵に魔力を分け与えて代わりに戦わせる……「3157.【従僕の絆】」「3158.貸与した魔力」「3315.母親との通話」参照
☆モースト薬科大学のトラーフニク教授……謁見「3171.モースト再建」~「3174.人材育成基金」、祝賀会「3175.慰労の食事会」~「3179.研修の必要性」参照




