0343.命を賭す願い
「私も、ゼルノー市になら【跳躍】できます。【魔力の水晶】を使えば、一人くらいは一緒に跳べますよ」
みんなの視線が、呪医と葬儀屋から薬師に移る。
「トラックを置いて行くんでしたら、自治区のみなさんは」
「それは、少し考えさせてくれないか?」
薬師アウェッラーナが勇気を振り絞った提案は、ソルニャーク隊長に遮られた。隊長の湖水のような瞳が微かに揺らぐ。
「これまで散々、魔術の恩恵に与りながら、今更、こんなことを言うのは……自分でも、どうかと思うのだが、それでも、やはり」
他のキルクルス教徒三人が頷き、アウェッラーナに恐れを含んだ目を向けた。
……慣れてくれたと思ったんだけど。
それでも、魔法に完全に身を委ねるのは抵抗があるらしい。
アウェッラーナの視界の端で、クルィーロが小さく溜め息を吐いた。アマナがそんな兄を心配そうに見る。
「俺……自治区に帰ったって、もう母ちゃんも姉ちゃんも居ねぇし……ねーちゃんだってそうだろ?」
それまで大人しく話を聞いていた少年兵モーフが、アミエーラをチラリと見て早口に言う。針子のアミエーラは何も言わず、睫毛を伏せた。
薬師アウェッラーナはあの日、鉄鋼公園で見た号外を思い出した。続報で、リストヴァー自治区を襲った大火がバラック街の八割を焼いたと知った。
今は、その復興が着々と進む。
呆気にとられたみんなを置き去りにして、少年兵はピナティフィダを見詰めて捲し立てた。
「だったら、歩いてでも南の橋渡って、イグニカーンス市に行ってもいいんじゃねぇか?」
誰も返事をしないが、少年兵モーフは熱っぽい目でみんなを見回した。
「それに、力なき民だったら、改宗すりゃ、アーテルで普通に暮らせるんだ。帰るトコがなくなってどこ行っても一緒なら」
「イヤッ! おうち帰るッ!」
エランティスの悲鳴が、少年兵にそれ以上言わせなかった。
レノ店長が椅子を寄せて末妹の手を握る。小さなエランティスは、声と同時に涙をこぼした。涙も言葉も止まらない。
「お父さんはムリだったけど、お母さんは、漁師さんが助けてくれたもん! どこかの港で、役所の人が、おうち帰っていいって言うの待ってる……お兄ちゃんとお姉ちゃんと私が帰るの、待っ……」
そこから先は言葉にならず、嗚咽を上げて泣きじゃくる。
レノ店長が跪き、声もなく妹を抱きしめた。
ピナティフィダが唇を引き結び、こぼれそうな涙を堪えて、少年兵モーフに厳しい視線を注ぐ。モーフは蒼白な顔で唇を震わせたが、微かに漏れた息は声を成さなかった。
「モーフ君……と言いましたか」
呪医セプテントリオーの声が、エランティスの泣き声を背負い、少年兵に向けられた。
「確かに君の提案は、単に生き延びる為だけなら、選択肢のひとつとして、それ程悪いものではありません。ですが」
クルィーロとアマナが、友達兄妹を泣きそうな目で見守る。ロークとファーキルの視線が、呪医と少年兵の間を彷徨って食卓に落ちた。
少年兵モーフが下唇を噛んで俯く。
隣のメドヴェージが、やれやれと肩を竦めてピナティフィダに申し訳なさそうな苦笑を向けたが、パン屋の長女は石のように表情を動かさなかった。
湖の民の呪医は、ひとつ大きく息を吐き、ソルニャーク隊長に視線を向けた。
「……ですが、人にはそれぞれ、自分の生命よりも大切な何かがあります。私たちはこの数カ月、ずっと武闘派ゲリラのみなさんを説得してきました。ネモラリス島の仮設住宅への入居を勧め、聖地で神々と神殿を頼るように説き、アミトスチグマの難民キャンプで同じ身の上の人々と助け合うよう、言葉を尽くしてきました」
緑の瞳が、キルクルス教徒のテロリストから、フラクシヌス教徒のテロ支援者に移る。
老婦人シルヴァは涼しい顔で視線を受け流し、熱い香草茶をちびちび啜った。
「それでも、彼らは生命尽きるまで……いえ、死して尚、【魔道士の涙】となってさえ、大切なものを奪ったアーテルへの復讐に存在の全てを捧げています」
「勿論、そんなのは、いいコトでもなきゃ、正しい行いでもない」
みんなを見回し、葬儀屋アゴーニも緑の頭を掻きながら言った。針子のアミエーラが、茶器に伸ばしかけた手を引っ込める。
「憎しみで濁った【魔道士の涙】は、雑妖を涌かせて、異界からどんどん魔物を呼び寄せやがるんだ。ゲリラの【涙】を転がしとくだけで、アーテルの街ん中に地獄絵図ができあがるって寸法だ」
葬儀屋アゴーニが、虚空に向かって湖の女神への祈りを唱える。
湖の民アウェッラーナは、その声にそっと自身の祈りを重ねた。
「その願いが叶うなら、自分の生命など惜しくはない……と言う人に、他人が何を言っても、届かないのです。君も、改宗すれば自治区の外で暮らせると知っていても、そうしなかったのでしょう?」
湖の民の呪医セプテントリオーの穏やかな声に、少年兵モーフは顔を上げたが、すぐ俯いた。食卓に置いた握り拳が小刻みに震える。
ロークとファーキルが同時に顔を上げ、呪医を見た。
「命を賭しても故郷に帰りたいと言うのが、パン屋さんたちの願いなら、私は」
「何でだよッ!」
少年兵モーフが椅子を蹴って立ち上がった。
☆鉄鋼公園で見た号外……「0055.山積みの号外」参照
☆お父さんはムリだった……「0071.夜に属すモノ」参照
☆彼らは生命尽きるまで(中略)復讐に存在の全てを捧げています……「0279.悲しい誓いに」参照




