3423.学習用の書籍
ファーキルとピペルがアーテル共和国の首都ルフスを訪れた第一の目的は、小説「冒険者カクタケア」シリーズの公式グッズの販売状況を確認することだ。
グッズは、光の導き教会のある名もなき村の女性たちが刺繍したハンカチで、第二巻のヒロインであるアウルラが、主人公のカクタケアに贈ったものと同じデザイン。販売場所は、ルフスとイグニカーンス市の大型書店だ。小説と同じ棚に並べて売るらしい。
首都ルフス最大のショッピングモールの広大な駐車場は、半分以上が避難所のプレハブとテントで埋まる。
建物から最も遠い端には遺体安置所のテントがあり、アーテル共和国陸軍対魔獣特殊作戦群が常駐して、物々しい雰囲気だ。そのテントの近くには、他のテントやプレハブはなく、ロープで仕切られて車も停められない。
駐車場の利用可能な区画の避難所に近い端には、バルバツム連邦陸軍魔獣駆除特別支援部隊の十トントラックが三台停まり、救援物資を荷下ろしする最中だ。
純白の制服を着たルフス神学校の神学生が、プレハブの住民を手伝って段ボール箱を運ぶ。
ファーキルはタブレット端末で写真を撮って、モールの建物に向き直った。
建物に近い区画にバスが入って来る。
車体側面にショッピングモールのロゴと名称、運行経路を示した地図のラッピング……戦前から運行されるショッピングモールの送迎バスだ。
かつては地図の横にあった「無料送迎」の文字が塗り潰され、そこだけ色が微妙に違う。
運び屋フィアールカの情報によると、モールを所有する商社が独自ルートで燃料を輸入し、テナントが毎月少額ずつ出し合って送迎バスの運行を続けると言う。
戦前は無料だったが、現在は燃料価格の高騰と【魔除け】の呪符代、各テナントの経営難のせいで有料化された。
それでも、毎日五往復もできるのは、現在のアーテル本土では珍しい。
バスの前部扉が開き、乗客がぞろぞろ降りて来る。「徒歩や自転車より安全で自家用車より安上がりなので、毎回ほぼ満員だ」との情報に合致する。
避難民より身形はいいが、ファーキルが戦前に見た客層より衣服の質が下がったように思う。
午前八時の便から降りた者たちが二手に分かれる。
ショッピングモールに入るのは従業員、敷地から出てゆく一団は、背広や作業服の勤め人だ。
運び屋フィアールカから、買物客だけでなく、ショッピングモール周辺の事業所で働く者が通勤バス代わりにすることも多いと聞いたが、これもその通りなのだろう。彼らは、昼食や仕事帰りの買物でショッピングモールを利用する。
ファーキルはこれも写真に収めてから、歩き出した。
端末で確認して、ショッピングモールの二階に上がる。
フロアの中央はフードコートで、その上は吹き抜けだ。
……そう言えば、ここって戦時中、元神学生が土魚を大量に召喚して偶々居合わせた駆除屋さんが戦ったけど、大勢が捕食されたとこなんだよな。
巨大な事故物件は惨劇の痕跡など見当たらず、飲食店の従業員らが開店準備で忙しく働く。
ファーキルはニュースと同志から得た情報を思い出し、うすら寒い思いでフードコートから目を逸らした。
護衛として雇ったランテルナ島の魔獣駆除業者ホルィは、何か言いたそうな顔をしたが、黙って二人について来る。
書店のシャッターが上がり、従業員が段ボールを乗せた台車を押して出て来た。
「おはようございます。パルンビナ株式会社です」
「あ、はい。店長から聞いてます。少々お待ち下さい」
ファーキルが社員証を見せて声を掛けると、店員は台車を置いて店内に引っ込んだ。
書店のロゴ入りエプロンに「店長」の名札を付けた年配の男性が出て来た。従業員は品出しに戻る。
「おはようございます。わざわざ恐れ入ります」
店長は愛想よくファーキルに声を掛け、横目で緑髪のピペルとホルィを見た。
ピペルは身分証を提示せず、ファーキルの斜め後ろで控える。彼はパルンビナ株式会社の役員マリャーナ宅で雇われた使用人で、社員ではない。今日はファーキルを【跳躍】で運ぶ為に同行したのだ。
「こちらこそよろしくお願いします」
ファーキルは店長と握手を交わし、早速、本題に入った。
「来月から、聖典に記された善き業に関する書籍を販売なさりたいとのことでしたが」
「はい。このフードコートの丁度反対側に呪符屋さんができましてね」
大型書店の店長が、掌で前方を示す。
ここからでは開店準備中の飲食店が邪魔で、新装開店した呪符屋は見えない。
駆除屋のホルィがそちらに目を遣って感心した。
「へぇー。そこがルフスで唯一の呪符屋かぁ」
ファーキルは店長に向き直って聞いた。
「呪符屋さん……販売形態もランテルナ島にあるみたいな感じですか?」
「生憎、私はランテルナ島へ行ったことがございませんのでわかりかねますが、仕入れはランテルナ島だそうですよ」
「呪符屋の配達、顔見知りの駆除屋が受注してたぞ」
先に払った情報料のお陰か、ホルィは聞かれもしないのに会話に混ざった。
ファーキルは頷いて聞く。
「後で呪符屋さんも見に行きます。それと、書籍の仕入れとのご関係は」
「一般向けの聖典には聖句が共通語の古語で載っていますが、それでは呪符を使えないんですよ。さらに古い言葉でなければならないと言うことで、しかし、我々一般信徒はあの文字を見ても発音が全くわからないんですよ。教本になるオーディオブックがあればと思ったのですが、国内の出版社に問合せてもそう言うものはないとのことで、検索してみたのですが、それらしいものがひとつも見当たらなくてですね、何かおススメはございませんか?」
店長はファーキルに皆まで言わせず、早口で説明した。
「聖典の護符で人気商品と言うと、【魔除け】【簡易結界】【灯】ですね?」
「流石、よくご存知ですね。聖典が全文公開されてから、通勤用などで人気なんです」
ファーキルが確認すると、店長は愛想笑いで応じた。
……【編む葦切】学派の職人さんが、ユアキャストで【魔力の水晶】で使える術を教えてるけどな。
何故か、その初学者向け魔法講座の動画は全編、共通語だ。
あの職人の語学力は大したものだが、共通語圏に魔法を広めてどうしたいかわからない。
緑髪のピペルが説明に加わる。
「魔法の勉強は基本的に自学自習しません。親から子、あるいは師匠から弟子に直接、口頭で伝えるので、そう言う本がないのですよ」
「ないんですか? 教科書とかもですか?」
大型書店の店長が目を丸くして、湖の民の青年を見詰める。
「魔導書や初学者向けの教本はありますけど、魔力がなければページを捲れません。大抵は親か師匠と一緒に読み進めます」
「無原罪の清き民は本を開くことすらできないんですか? どうしてです?」
「魔法で鍵が掛かっているからです。その魔導書に書いてある魔法を使いこなせる魔力のある人か、魔法使いでも特定の徽章を持つ人でなければ、ページを捲れません」
「魔法で鍵……本にですか?」
本屋の店長は半信半疑で、湖の民の青年をじろりと見る。
マリャーナ宅の使用人ピペルは、キルクルス教徒の店長に失礼な物言いをされても、顔色ひとつ変えず答えた。
「はい。資格がないと発動しない術も多いですし、使えない人が見ても仕方がありませんからね。それから、多分、悪用を防ぐ為もあると思うんですけど」
「へぇー……えッ? じゃあ、オーディオブックもないんですか?」
店長は感心しかけたが、商社を呼んだ理由を思い出して青褪めた。
ピペルが申し訳なさそうに肯定する。
「そうですね。発音を練習する子供向けの本は何種類かありますが、これも、親が読み聞かせる前提です」
「仕入れをご検討でしたら、購入者向けの読書会を開催するなど、工夫が必要ですね」
「それ、ウェブ会議か何かネットでできませんか? いえね、ここは送迎バスがありますけど、お客様が読書会の為に通うとなると大変ですから」
ファーキルが提案したが、店長は泣きそうな顔で聞いた。
「では、購入特典として、ウェブ会議の招待券を付ければよさそうですね」
「発音を教える魔法使いの手配もしていただけるんですか?」
本屋の店長が、ファーキルに不安な顔を向けた。
ファーキルは営業スマイルで応じる。
「もし、出版社に読み聞かせの了承を得られましたら、弊社の社員が一定期間だけ講師を務めさせていただきますが、如何でしょう?」
「流石にずっとと言うワケにはゆきませんよね」
「きっと、勝手に動画を撮ってユアキャストとかに載せる人が出るでしょうし、そもそも、出版社の了承を得られなければ、読み聞かせは致し兼ねます」
「そうですよね……入荷なんですが、しばらく考えさせてもらえませんか?」
「構いませんよ。こちら、その本のチラシです」
ファーキルは鞄からクリアファイルを出して本屋の店長に渡した。
☆元神学生が土魚を大量に召喚して偶々居合わせた駆除屋さんが戦った……「2203.書店の大混雑」~「2208.頼りない援軍」参照
☆魔法で鍵……「3297.閉架での閲覧」参照




