3421.行き場がない
数学教諭が、そうであって欲しいと願いを籠めて発言する。
「星の標などは、呪符も魔道具も使わないのではありませんか?」
「穢れた力の最たるものですよね?」
国語教諭も彼に同調した。
ルフス神学校の理事長が表情を動かずに答える。
「国家再統合反対派も一枚岩ではありません。アーテル党員にも、戦前からランテルナ島の駆除屋と取引する者が居ました」
教職員と聖職者が息を呑んだ。何人かは気マズそうに同僚から視線を逸らす。
誰かが隣の者に小声で話し掛けると、囁きが大会議室に広がった。この場で唯一人の魔法使いである非常勤講師のアミエーラに話し掛ける者は居ない。
「神学生たちにはまだ選挙権がありません。万一にもテロに巻き込まれでもすれば、どんなにお詫びしても許されません。神学生は、投票日の前日から一時帰宅させてはいかがでしょう?」
「大統領選の投票日は夏休み中なので、多くの神学生が帰省します。七月の決選投票も、五月の今から保護者の方々にご連絡差し上げれば、対応していただけるかと思います」
教職員たちが挙手して発言すると、同僚の大半が顔を明るくして頷いた。
学生寮を預かるキルクルス教の聖職者たちが、暗い顔で反対を唱える。
「しかし、実家が遠い神学生は、旅費が嵩みますので、年に何度も帰省させることに難色を示す保護者もおられます」
「一般クラスには、貧しくて夏休みも帰省できない子が居るのですが」
教職員の誰かが提案する。
「他の学校園か、教会の宿舎で一日だけ預かってもらえばよろしいのでは?」
「他の学校園と大規模な教会も投票所になります。また、ご実家が遠方ですと、道中の安全確保も課題が残ります」
バンクシア共和国の大聖堂から派遣されたレフレクシオ司祭が、挙手して流暢な湖南語で問題を指摘すると、大会議室に冷たい沈黙が下りた。
フラクシヌス教団の神官とボランティアが毎週、結界構築でアーテル共和国本土各地を訪れ、アミエーラも呪歌【道守り】を手伝う。
その際に神官戦士と魔獣駆除業者が周辺の魔獣を駆除するので、終戦直後よりは数を減らせたが、対象地域は、ルフス神学校や他の学校園、教会、病院、避難所など、弱い人々が集まる場所に限られる。
まだまだ、徒歩や自動車での移動には危険が付き纏い、信号待ちの乗用車が、中央分離帯や歩道脇の植込みから飛び出した土魚にタイヤを齧られて立ち往生するのも日常茶飯事だ。
「確かに乗用車での移動も安全とは言えませんね。バルバツムのデュクス大統領が、我が国のポデレス政権に戦争を嗾けたことが発覚して以来、連邦陸軍の救援物資輸送部隊を狙った魔獣召喚テロも頻発していますし」
数学教諭が、溜息混じりにアーテル共和国本土の状況を客観的に語る。
教職員と聖職者は、苦い顔で頷いた。彼ら自身も、神学校の敷地から滅多に出られないのだ。
アミエーラは、アミトスチグマ王国の夏の都からアーテル共和国の首都ルフスまで、フラクシヌス教徒のボランティアに【跳躍】の術で送り迎えしてもらえる。
服に自分で防禦の呪文と呪印を刺繍して、師匠に発動の術を掛けてもらった。自前の魔力で各種防禦の魔法を発動させられるので、小型の土魚程度なら寄せ付けない。この大会議室に集まった面々の中で、最も安全な身だ。
「また、鎮痛剤系違法薬物による死者を街から離れた道路や農地に放置する例が後を絶ちませんが、これらの死体遺棄事件にも、星の標など、国家再統合反対派の関与が強く疑われます」
レフレクシオ司祭が険しい顔で言うと、教職員と聖職者が苦い顔で頷いた。
弔われない遺体は、腐敗して魔物の発生源になる。
魔物は遺体を喰らって受肉、あるいは、通行車両を襲って生きた人間を捕食してこの世の肉体を得る。
アーテル共和国の通貨は、戦争による経済破綻と戦費調達国債の債務不履行で国際的な信用力を失い、紙屑同然だ。
燃料は輸入だけが頼りだが、救急車の稼働率すら七割前後で推移する。
路線バスの運行は、間引き運転で戦前の二割前後だ。大水害で住民が死に絶え、区間全体が運休した路線もある。
工場でも燃料が必要で、火葬場で使用する燃料が不足し、順番待ちの間に遺体から魔物が涌く事故が絶えない。
ランテルナ島の葬儀屋による【火葬】の術なら、燃料不足とは無関係だが、彼らは「本土では身の安全を確保できない」と難色を示す。
本土のキルクルス教徒も、ボランティアで訪れたフラクシヌス教の聖職者が【火葬】を申し出ても、信仰の違いを理由に断る。
持て余した遺体を居住地から遠い場所や、歩道の植込みなど、土が剥き出しの地面に放置して土魚に始末させる遺族が後を絶たなかった。
アミエーラは矛盾のある行動だと思うが、力なき民しか居ない本土のアーテル人は、そうせざるを得ないのだ。
バルバツム連邦陸軍魔獣駆除特別支援部隊は、数え切れないくらい救援物資輸送車を魔獣に襲われ、多数の兵士が犠牲になった。
アーテル共和国の農地は、終戦から七年以上経つ現在も、土魚のせいで未だに大半が耕作不能だ。バルバツム連邦やキルクルス教団による食糧支援がなければ生きてゆけない。
特に北部の水害被災地では、深刻な食糧不足が続く。
バルバツム軍が駐屯する基地から近い都市では、移動の距離が短い分、比較的食料事情がマシだが、どの基地からも遠い場所は、栄養失調の患者が多かった。
体育教諭が挙手して提案する。
「バスを貸切りにして、駆除屋さんを雇えばよろしいのではありませんか?」
「運送会社は、一台につき一人魔獣駆除業者を雇って、運転手とトラックを守らせますが、かなり高額だそうですよ」
理科教諭が顔を曇らせると、国語教諭、社会科教諭、世界史教諭も続いた。
「大型免許を持つ方々は、今のお仕事だけで手一杯です。引受けていただけない可能性が高いですよ」
「大水害と魔獣のせいで大勢亡くなりましたが、新たに免許を取得できる体制が未だに整わないので、今、働いておられる運転手さんたちは、皆さん、戦前からの生き残りです」
「バスのレンタル代も燃料代も戦前より高くなりましたが、初等部から高等部まで全校生徒をそれぞれの家の前まで送るんですか? 費用はどうするんです?」
大会議室が暗い。
アミエーラが窓に目を向けると、いつの間にか雨雲が空を覆っていた。
「では、何か対案があるんですか?」
体育教諭が苛立った声で聞いて、大会議室を見回す。
誰かが案を出しても、すぐに別の誰かがその穴を突き、議論は平行線を辿った。
投票日に行き場がないのは、神学生だけでなく、ルフス神学校の職員も同じだ。
議論は昼食を挟んで夕方まで続いた。
倦んだ空気の中で理事長が発言する。
「国民投票の当日、神学生はここに留めましょう」
学長が理事長の決断に深く頷いて同意を示す。
疲れた教職員と聖職者からは、異論が出なかった。
理事長が部下たちを見回して続ける。
「当日、神学生たちには宿舎から出ないように厳命、職員は三人一組で見回りを実施。不審物がないか、特に異臭がないか注意して下さい」
「あ、あのっ、召喚に使う物が呪符や呪具だったら、臭いがありません」
アミエーラが思わず言うと、場の空気が凍った。
……クラウストラさんとかに当日の警備をお願いできればいいんだけど。
アミエーラは、クラウストラの連絡先を知らない。
ミェーフ大統領の護衛を受注して、昨夏から【道守り】の護衛に来なくなった。
「じゃあ、どうすればいいんですか?」
体育教諭の声に棘が生え、常勤職員たちの視線が尖る。
「フラクシヌス教団のボランティアに相談して、どなたか、駆除屋さんか神官戦士の方を格安で派遣していただけないか、相談してみます」
「異教徒に我が国の選挙の警備を……?」
「いや、しかし、我々が見回りをして、不審物を発見したところで、それをどうすればいいんですか?」
教職員たちが囁きを交わし、理事長とアミエーラをちらちら見る。
「現在も、結界の構築でお世話になっております。大きな問題はないでしょう。保護者の皆様には私からご説明します。アミエーラ先生、いつもとは違う日にもお越しいただけないか、神殿の方々に相談していただけますか?」
「はい。了承していただけるかわかりませんが、お伝えします」
アミエーラは、小さな光が見えた気がした。




