3412.痛みを忘れる
デルタ伍長は新聞社からの返信を待つ間にも、湖南語圏の大手ポータルサイトでニュースを読み進める。
掃除の魔女、現る インフラクタ市のスラム
今年一月初旬頃から、バルバツム連邦ヘテロプテラ共和国の首都インフラクタ市のスラム街に掃除の魔女が現れた。
首都インフラクタの一角には、古くからアルトン・ガザ大陸南部からの不法移民が住み着き、スラム化している。
違法薬物の製造拠点があると目されるが、警察当局なども足を踏み入れられない無法地帯で、極めて不衛生な環境だ。市当局は、住民の人口すら把握できない。
そんな危険なスラム街を清掃する女性たちが現れた。目撃情報などによると、印暦二二〇一年一月初旬頃からだが、正確な日付は不明。彼女らは常に一人で行動する。どこからか現れ、掃除が終わった瞬間、忽然と姿を消すのだ。
彼女らの目的や所属団体、報酬の有無など、一切が不明だ。
髪色は金髪から淡い茶髪で、年齢は二十代後半から三十代前半。全員が同じ服装だが、清掃会社の制服ではない。
若草色のジャケットとズボン。白地に緑色の繊細な刺繍のあるブラウスで、掃除には不向きな服装だ。
尤も、彼女らは箒とチリトリなどの清掃用具は使わない。
魔法で大量の水を操り、路上に散乱するゴミを洪水さながら押し流し、一カ所に集めて魔法の炎で焼払う。ゴミに直接手を触れないので、ドレスでも可能だろう。
スラムの住民が何人も、動画を撮影してユアキャストで公開(リンク先参照)している。スラムの住民も周辺住民も、彼女らがどこから来た何者で、どこへ行くか知らない。
彼女らは掃除が終わると、子供たちにゴミ袋を持たせてゴミを焼いた灰を詰め、お菓子を与えてゴミ捨て場へ捨てに行かせる。
お菓子をもらった子供たちは勿論、スラム街の路上の衛生環境が向上し、大人にも好評だ。
筆者は幸運にも、動画(リンク先参照)に姿が残る「掃除の魔女」の一人との接触に成功。氏名など、身許に繋がる情報は教えてもらえなかったが、目的は明らかになった。
彼女らの目的は、シンプルに「スラム街をキレイにすること」だ。
彼女らも不法移民なので、身許を知られるワケにはゆかないが、アルトン・ガザ大陸南部出身の魔法使いだと言う。
完全なボランティアで、報酬はない。学校すらゆけない貧しい子供たちに衛生的な住環境を与え、可能なら将来的に読み書きなども教えたいとの希望を語った。
デルタ伍長は、記事下のリンクを開いた。
リンク先はユアキャストだ。記事にある通りの服装の若い金髪女性が、スラム街を背景に大量の水を操ってゴミを集める。
……これ、【操水】の術だよな。
女性の声が、すっかり耳に馴染んだ力ある言葉の呪文を唱えるのが聞こえた。
一トントラック一台分くらいの水塊が路上で渦を巻き、ゴミが山積みになる。
水塊は女性が手にする茶色の小瓶に吸い込まれた。【無尽の瓶】だ。
女性がジャケットの胸ポケットからペンを出し、ゴミ山の周囲に円を描いて呪文を唱える。これも、租借地の病院で何度も耳にした【炉】の術だ。
……そっか。魔法を使えたら、掃除なんてあっと言う間なんだな。
デルタ伍長は、フラクシヌス教団、ネモラリス共和国軍、ラクリマリス王国軍が魔哮砲戦争の末期、アーテル共和国の水害被災地と、巨大な魔獣が暴れた首都ルフスの被災地で、人道支援として瓦礫を撤去したと耳にした。
いずれも現在、バルバツム連邦陸軍魔獣駆除特別支援部隊が救援物資を輸送する地域だ。当該地域在住のアーテル人は、あれから七年以上経つ今も、魔法使いへの感謝を度々口にする。
アーテル人の被災者は口を揃えて、魔法使いたちが魔法で瓦礫を片付けてくれたと言うが、デルタ伍長にはどんな風にしたか想像もつかなかった。
……これなら重機も掃除用具も要らないし、生き埋めの人も救助できるよな。
七年来の謎が解け、デルタ伍長はすっきりした。
「あのお姫様って、本物の魔法少女なんスね」
「は? 何言ってんだお前?」
急に隣の病床から部下に話し掛けられ、デルタ伍長は現実に引き戻された。
「そうじゃないんスか? 護衛も病院の連中もみんな、子供扱いしてません?」
「お前、湖南語わかるのか?」
「全然わかんないっスけど、雰囲気で」
兵役義務で派遣されたばかりの不運な新兵は、右足の幻肢痛を紛らわせたいのか饒舌だ。
「伍長は湖南語わかるんスよね?」
「うん。そう言われてみれば、そんな感じの扱いっぽいけど、魔法少女?」
魔法文明圏在住の少女は、魔力があれば大抵の子が魔法を使える。
無原罪の清き民でも、呪符や【魔力の水晶】などの道具を使えば、ごく限られた魔法なら使えるようになる。
バルバツム軍が保護したアーテル人の孤児たちも、訓練の結果、【魔力の水晶】で初歩的な治癒魔法のひとつ【癒しの風】を使えるようになった。
「今、ユアキャスト見てます?」
「うん。ニュースに出てた掃除の魔女の動画」
「魔法少女って検索してみて下さいよ」
「えぇ……?」
デルタ伍長も他にすることがなく、部下の無聊を慰める為に検索する。
カラフルなサムネイルがずらりと表示された。
「え? 魔法少女ってカートゥーン?」
「カートゥーンじゃなくて日之本帝国のアニメのジャンルっスよ。女児と一部の紳士とかに大人気の」
「お前、これ見てたの? 紳士なの?」
「何十年も前からある古参ジャンルっスよ。姉ちゃんが小さい頃ハマってて付き合わされてたんスよ。チャンネル争いに負けて」
「お姉さん、今もこう言うの好きなのか?」
「好きっつーか、人生の指針? みたいな」
「人生の指針?」
女児向けコンテンツに似つかわしくない単語が飛び出し、デルタ伍長は面食らった。
右足を失った部下は、仮設アルブム港湾病院の白い天井を仰いで言う。
「子供向けアニメっつっても、ストーリーの奥が深くて大人でも充分、見応えあるから、子供と一緒にハマるママやジジババが大量発生して、キャラ名を子供に付けちゃう人も居るくらいなんスけどね」
「え……えぇ?」
部下に力説され、デルタ伍長は困惑した。
「絵はこんな、いかにも子供向け~な感じなんスけど、キャラ設定も行動も凄く考えさせられるって言うか、伍長も見たら絶対ハマりますって」
「えーっと……いっぱいあるけど……どれがおススメ?」
デルタ伍長は、部下の真剣な様子に話を合わせることにした。
「今の伍長だったら、魔法少女救急キュアキュア☆マジカルドクターっスかね」
「きゅうきゅうきゅう……ドクター?」
「俺、検索しましょうか?」
部下が隣の病床で、点滴に繋がれた手を伸ばす。
デルタ伍長はそろりと身を起こした。今朝から点滴は外れたが、治癒魔法の反動による倦怠感が抜けきらず、それだけでも重労働だ。粉砕骨折した両足に激痛が走り、一瞬、息が止まった。
深呼吸して痛みを誤魔化し、私物のタブレット端末を投げて寄越す。ぽすっと音を立てて隣の寝具に落ちた。
部下が瞳を輝かせて検索する。
「一緒に見ていいっスか?」
「え? ……あ、あぁ、いいよ」
デルタ伍長は、部下自身が見たかったのだと察して苦笑した。
部下がデルタ伍長に背を向けて横向けになり、無事な手で端末を高く持って動画を再生させた。
アニメの制作会社公式チャンネルで、三話まで無料公開の第一話だ。
共通語の吹替えだが、デルタ伍長は日之本帝国製アニメを初めて視聴する。緊張して、なんとなく構えてしまった。
世界のどこかにある架空の町が舞台で、主人公は中学校に通う平凡な少女だ。
ある日突然、苦痛や病気が具現化した怪物が町を襲う。自分が逃げるだけで精一杯の少女。だが、親友が怪物に捕らえられてしまう。
苦しむ親友を前にして、何もできない自分に絶望する少女。そこへ、光に包まれた謎の生物が現れ、彼女に力を授けると提案する。
絶大な癒しの力を手に入れる代償として、これからずっと怪物を殲滅するまで闘いの日々が続くと言われる。
主人公は、魔法少女救急キュアキュア☆マジカルドクターとして戦う決意を固めた。
少女が謎の生物に授けられた魔法の杖を一振りすると、地味な普段着が装飾過多な白衣風のカラフルな衣装に変わり、魔法で怪物を次々と薙ぎ倒す。
怪物に囚われた人々が苦痛から解放され、町に平和が戻った。
部下が瞳を輝かせてデルタ伍長の反応を窺う。
「まぁ、第一話は、まだ掴みっつーか、設定の説明みたいな回なんで、ここだけ見てもストーリー全体は見えてこないんスけどね」
「うん……設定がわかりやすくてよかったよ」
三十分足らずの短い動画だ。
本物の魔法の知識を得たデルタ伍長にとっては、ツッコミどころ満載だが、失った足の痛みを忘れて楽しむ部下に指摘するのは憚られる。
デルタ伍長も不思議と話に引き込まれ、粉砕骨折した両足の痛みを一時だけ忘れられた。
「年齢的にも、あのお姫様と同じくらいだよな」
「そうなんスよ! しかも、お姫様は呪医の修業中なんスよね?」
「うん。まだ、治癒魔法の医師免許ないっぽいな」
「治癒魔法にも医師免許ってあるんスか?」
部下が意外そうに聞く。
「院長の首飾り、あれが外科系の治癒魔法の医師免許なんだ」
「えッ? マジっスか? それどころじゃなくて見てなかったんスけど、そう言や、魔法の杖とかは持ってないんスね」
部下がアニメの魔法少女と現実の魔法使いとの違いに気付く。
「リアル魔法の杖は、王族とか凄い魔法を開発した導師の身分証で、平民や一般の魔法使いは持ってないよ」
「えッ? マジで魔法の杖、実在するんスか?」
部下が食いついた。
「アニメみたいなあれじゃなくて、魔力の制御棒らしいけど」
「魔力の制御棒?」
「原発の制御棒と同じ用途らしいけど」
「原発の制御棒がわかんないっス」
「出力を制御する棒だよ。端末返して」
デルタ伍長が手を伸ばすと、部下は素直に端末を投げ返した。
寝具に落ちた端末を拾って検索し、ラキュス・ラクリマリス王国の国家再統合式典の動画を再生させる。
「ラキュス・ラクリマリス王国の王族だけど、この人たちが持ってるのが魔法の杖」
端末を投げて寄越すと、部下は小さな画面を食い入るように見詰めた。
「長っ! って言うか地味……金属? でも、装飾、豪華でキレイっスね」
「この杖には個人を識別する魔法が掛かってて、正当な所有者以外には持ち上げられないって役所の公式サイトに書いてあったよ」
「へぇー……? あ、お姫様、居た!」
部下が動画を一時停止して端末をデルタ伍長に向ける。
デルタ伍長は驚いた。
「よくこんなちっさい中からみつけたな」
「あんな超絶美少女、一目見たら忘れないっスよ」
デルタ伍長は、部下の無邪気な笑顔にイヤな予感がした。
「念の為に言っとくけど、魔法使いの医療者にセクハラしたらマジで殺されるから、絶対お触り厳禁だぞ」
「え? あー……あぁ、何か、研修で言われた気がするっス」
「王族じゃなくても、魔法使いの医療者に手を出したらお前のアレが腐って声が出なくなるだけじゃなくて、家族や親戚も同じ目に遭って子供と胎児は皆殺しだからな」
デルタ伍長が表情を改めて釘を刺すと、部下は半笑いになった。
「えぇ……怖ッ! あの兵士たちがやるんスか?」
「違う。あの研修、真面目に聞いてなかったのか?」
「すんません。途中で寝てました」
部下に申し訳なさそうな顔をされ、デルタ伍長は溜息混じりに【白鳥の乙女】の説明をした。
☆【白鳥の乙女】……「3380.ついでの調査」「3391.制裁発動範囲」参照




