3408.高貴な研修医
緑髪のヴェスペルゴ王女は、中学生くらいにしか見えないが、それなりに治癒魔法の訓練を済ませて臨床研修に出されたらしい。
赤毛の女性院長と二人で同じ呪文を唱え、仮設アルブム港湾病院の救急処置室に搬送されたバルバツム兵の傷を一緒に確認し、使用する消毒薬の種類を看護師たちに指示した。
「えっと、この患者さんは出血がないけれど」
「いいえ。ヴェスペルゴ王女殿下、よくご覧下さい」
赤毛の女医に否定され、緑髪の王女はデルタ伍長をもう一度、目視で確認した。
デルタ伍長の両足は、蛇と百足を足したような魔獣に運転席ごと潰され、腫れ上がってパンパンだ。
「えぇーっと……両足の粉砕骨折と……皮下出血がこんなに?」
魔法で診察したヴェスペルゴ王女が、湖南語で驚きを口にする。
バルバツム連邦陸軍のデルタ伍長は、湖南語がわからないフリをして無反応だ。
救急処置室の壁際に控えた近衛兵が口を挟む。
「租借地駐留部隊の報告によりますと、この患者は魔獣に踏み潰されたトラックから救助したそうです。内部で血管が損傷していても不思議はありません」
「こう言う時は確か……少し切って【操水】で皮下出血を取除いてから【止血】を掛けて、【癒しの水】で血管の傷を治療……でしたわね?」
白衣を纏ったヴェスペルゴ王女が、赤毛の女医の顔色を窺う。
赤毛の院長は頷いた。
「まずは、患部に【麻酔】を掛けてあげて下さいまし」
「あ、そっか。そのまま切ったら痛くて大変ですわね」
「場合によっては、【麻酔】なしで同様の処置をすることもございます」
「えッ? ……えっと、後で教えて下さる?」
「御意」
ヴェスペルゴ王女には、魔法使いの医師免許である銀の首飾りがない。
デルタ伍長は限りなく不安だが、翼を持つ蛇の首飾りを提げた院長は、手本を実演してくれそうもなかった。
「王女殿下、【麻酔】も切開する部分のみにほんの少しの魔力を流すだけで結構です。処置後、直ちに解除することもお忘れなきよう」
「は、はい。ほんの少しでいいんですのね」
赤毛の女医に注意点を与えられ、緑髪のヴェスペルゴ王女は素直に従った。
「看護師さん、メスを貸して下さい」
「御意」
ヴェスペルゴ王女は力ある言葉で呪文を唱え、デルタ伍長の足を指で押した。
「患者さん、これ、痛いですか?」
「は、う……うぅ……」
デルタ伍長は危うく湖南語の質問に答え掛け、呻き声で誤魔化した。
壁際に控えた緑髪の近衛兵が、共通語で質問し直す。
「だ、大丈夫です」
デルタ伍長は、共通語で一言答えるだけで体力の消耗を思い知らされた。
王女が力ある言葉で呪文を唱える。デルタ伍長の腫れ上がった足を遠慮がちな手つきで小さく切開し、呪文の続きを唱えた。
傷口から暗赤色の血液が溢れる。
ヴェスペルゴ王女はメスをステンレストレーに置くと、小瓶を手に取って、力ある言葉の呪文を諳んじた。コップ一杯分程度の水が血液を絡め取る。更に別の呪文を唱えると、出血が止んだ。
水塊が傷口から足の中に侵入した。皮膚の下を水が這い回る。魔法で【麻酔】を掛けられて感覚はないが、見ただけで奇妙な気持ちになった。
水塊が二十分ばかり皮下で這い回り、切開された部分から出る。血液で赤く染まった水塊が触れると、傷口が拭い去ったように消えた。
赤毛の女医が呪文を唱え、デルタ伍長の首筋に手を触れる。
「王女殿下、お見事でございます。血管など軟部組織の傷がすべて完治しました」
デルタ伍長は見守っただけだが、どっと疲れが押し寄せた。
巡回診療する王族出身の男性医師なら、酷い状態の外傷でもほんの数秒で癒せる。仮設イグニカーンス港湾病院の院長も、同程度の傷ならほんの数分で済む。
説明の時間もあるが、ヴェスペルゴ王女による治療は三十分近く掛かった。
医療秘書官が、バルバツム兵たちの認識票を見て大判のタブレット端末で何事か入力する。
院長に笑顔を向けられ、王女が明るい顔で聞いた。
「次は、粉々になった足の骨を【骨繋ぐ糸】で治療するんですのね?」
「いいえ。先程も申し上げましたが、現在、救急処置室に居る患者は全員が力なき民でございます」
「力なき民でも、骨折を治してあげないと痛いでしょうに」
「いいえ。なりません。術の反動で衰弱死してしまいます」
「えぇッ? この程度の治療にも耐えられないんですの? わたくしではなく、院長が癒やしてあげればよろしいのではなくて?」
「私共でも同じことです。まずは、命に別状ある傷を癒やし、時間を掛けても別条ない傷は、体力の回復を待って治療することが鉄則です」
赤毛の女性院長は、王女の不満いっぱいの顔にも負けず、譲らなかった。
……えッ? もしかして、俺、良かれと思った王女様に殺され掛けてんの?
「でも、治療するまで、患者さんは痛いままでしょう?」
「夜間は睡眠薬で寝かしつけますので問題ございません」
……マジ? ……あ、でも、租借地の他の病院でもそうだったな。
租借地の病院には科学の鎮痛剤がなく、治療の続きを待つ間、気持ちを安定させるお茶は出たが、痛みの中に置かれた。
赤毛の院長が促す。
「さぁ、【麻酔】を解除してあげて下さい」
「痛いでしょうが、辛抱して下さいね」
ヴェスペルゴ王女が不承不承、魔法の【麻酔】を解除した瞬間、デルタ伍長の両足に激痛が戻った。声にならない悲鳴が漏れる。
赤毛の女医が、緑髪の王女の肩を軽く叩いて身体の向きを変えさせた。
「さあ、王女殿下。患者はこの兵士だけではありませんよ」
「あっ、は、はい! えっと、次の患者さんは」
たどたどしい治療だったが、救急処置室で人生を終えるバルバツム兵は出ずに済んだ。
病室に移され、デルタ伍長はひとまず安堵した。
六人部屋で、患者は全員バルバツム連邦陸軍兵だ。
「あんな小さい子なのに治癒魔法使えるんだな」
「あぁ……初々しくてよかったな」
「よくねぇよ。死ぬかと思ったわ」
「いや、でも、超カワイイじゃん」
「可愛くても骨折はなんもしてくれてなかったぞ」
「どうせ殺されるんなら、化け物じゃなくて超絶美少女の方がいい」
比較的軽傷で済んだ兵士二人だけが言葉を交わす。
デルタ伍長は腕すら上げられなかった。まるで初めて治癒魔法を掛けられた時のようだ。これでは何かあってもナースコールを呼べない。
イグニカーンス港湾病院の院長か、同じ王族でも年配の男性医師の治療なら、ここまでの倦怠感を覚えずに済んだ。
お喋りに興じる二人以外は、点滴に繋がれて言葉もない。
……魔力の手加減、失敗したってコト?
アルブム港湾病院を預かる赤毛の院長は、魔力を小出しにするよう繰返し注意を促した。
それでも、このザマなのだ。もし、院長が魔力の出力を絞るように指導しなければ、死者が出たかもしれない。
昨年、レーグルス王子が脳解毒薬の治験を実施した際、バルバツム兵の薬物依存症患者は、何があっても損害賠償しない旨の誓約書に署名させられた。
二人は無事、薬物依存症が完治したが、デルタ伍長の部下リグヌムは重篤な副作用で記憶をすべて失い、赤子同然にされたのだ。
デルタ伍長は、幼い外見通りに治癒魔法が未熟なヴェスペルゴ王女の治療をもう一度受けるのが恐ろしくなった。
☆【骨繋ぐ糸】……手技で骨を整復する必要があってめっちゃ痛い「720.一段落の安堵」参照
 




