0338.遙か遠い一歩
七月の暑さはキツいが、植物の生命力は旺盛だ。
ゴミ袋が次々いっぱいになる。むっとする草熱れの中、冬服の袖を捲くったくらいでは大して涼しくならず、みんな汗だくになった。
「そろそろ水を飲みに」
「シッ!」
ソルニャーク隊長がレノを黙らせ、手振りでしゃがませる。四人はよくわからないまま、指示に従った。暑さとは別の汗がこめかみを伝う。
隊長が足下の石を拾った。視線の先は広場だ。草地に水鳥の群が舞い降りる。岸が近いからだろう。のんびり草を啄み始めた。
ソルニャーク隊長が足音を殺して数歩、広場に近付く。幻術のお陰か、水鳥の群はまだ気付かない。
隊長が続けざまに石を投げた。
幻の木立を素通りし、草を啄む水鳥を不意打ちする。一羽の頭に当たり、身体が斜めに飛ぶ。異変に気付いた鳥が警告と驚愕の声を上げ、一斉に飛び立った。
少年兵モーフとメドヴェージも石を拾い、飛ぶ鳥の群に力いっぱい投げつける。
モーフの石はかすりもせず、メドヴェージの石は鳥の胴に当たったが、落とせなかった。
群が飛び去った後には、翼をぐったり広げた鳥の死骸がふたつ取り残された。
「あれだけ居ながら、たったの二羽か」
ソルニャーク隊長が自嘲し、拾いに行く。少年兵モーフが慌てて後を追った。メドヴェージが苦笑しながら、新品のゴミ袋の口を広げる。
レノは大きく息を吐いた。知らず知らず、肩に力が入ったらしい。ロークはただ驚きに目を見開く。
普通はそんなやり方で鳥を獲れない。
「有難うございます。肉の処理もありますし、もう戻りましょう」
「そうだな」
レノがメドヴェージ、ロークはモーフと手を繋ぎ、別荘の庭に送り届けた。レノは袋を預け、一人残ったソルニャーク隊長の元へ駆け戻る。
力なき民のレノたちは、【魔力の水晶】などの道具がなければ、決して越えられない。【結界】に隔てられたこの一歩は、遙か彼方の道程よりも遠かった。
「お待たせしました」
「いや、構わん」
「……あの、さっきみたいなのも、訓練で?」
「必要に迫られて、だ。畑を荒らす鳥を追い払い、食糧も調達できる。一石二鳥と言うワケだ」
「畑……農家の方だったんですか」
「子供の頃の話だ。そんなコトを聞いて、どうする」
咎める口調ではない。
純粋に向けられた問いが心に刺さり、レノは返答に詰まった。いっぱいで持ち切れず、取り残された袋を拾い上げ、胸の奥から言葉を押し出す。
「あの運河でも思ったんですけど、隊長さんって、星の道義勇軍の他の人たちとは、何か違うなって」
静かな光を宿した瞳が、レノに先を促した。
ここまで言ったからには、もう後には引けない。レノは思い切って言うことに決めた。背筋を伸ばし、湖のように澄んだ瞳を見詰め返す。
「何て言うか……キルクルス教徒だけど、狂信してるワケじゃなくて……テロの種類が星の標とは全然違うって言うか」
信仰に基づいて結束したところまでは同じだが、行動原理と目的が全く異なる。
キルクルス教原理主義団体「星の標」は、複数の国から国際テロ組織に指定される。悪しき業を用いる魔法使いの根絶が主な目的だ。
リストヴァー自治区の星の道義勇軍は、ネモラリス政府の偏った政策で自由と最低限の生活保障を奪われ、瀕死の状態から立ちあがったように見える。
「信仰の証として魔法使いを殺すんじゃなくて、生命と信仰を護る為に仕方なく立ち上がった……みたいな」
「だが、結果は同じことだ。君たちの街と家族を奪い、こちらも壊滅した。勝者はなく、得るものもない」
虚しいだけの戦いだった、と言いたげに睫毛を伏せた。湖と同じ色の瞳が翳る。
レノはずっと胸に溜まっていた問いを口に出した。
「店は焼けたし、父さんと母さんも……でも……どうしてだか、自分でもわからないんですけど、何故か、隊長さんたちを憎めないんです」
ソルニャーク隊長が目を上げる。
「仇の筈なのに、こうして傍に居て、一緒に何かするのがイヤじゃない」
「そうか。他の者は知らんが、私も、魔法使いと行動を共にし、その手伝いをすることに嫌悪感はない」
梢がそよぎ、熱された空気が動いた。
「幼い頃は、レーチカ市付近の農村に住んでいた。内乱中も、近所の魔法使いの子と何も考えずに遊んだ。親にみつかれば叱られるから、内緒でな。モーフたち若い世代が、君たちや魔法使いをどう思うかは、わからん」
束の間、悪戯っぽい笑みを浮かべたソルニャーク隊長の目が、ここではないどこか遠くを見詰める。
レノは、憎しみはなくとも、許せないことを言い出せず、幻の樹木を見上げた。遮られずに降り注ぐ夏の日差しが、大地の色をした目を射る。レノは目を細め、見えない青空から視線を逸らさなかった。
「おーい、大丈夫かー」
メドヴェージの声だ。帰りが遅いのを心配する。
二人は手を繋いで【結界】を越えた。
☆あの運河でも思った……「0062.輪の外の視線」~「0065.逃げ場はない」参照
☆星の標……「0005.通勤の上り坂」「0293.テロの実行者」「0325.情報を集める」参照
※ 星の標と星の道義勇軍の違い……「0213.老婦人の誤算」参照
☆複数の国から国際テロ組織に指定……「0213.老婦人の誤算」「0284.現況確認の日」「0325.情報を集める」参照
☆君たちの街と家族を奪い
街が壊滅……「0016.導く白蝶と涙」参照
レノたち……実家の店「0021.パン屋の息子」、一家離散「0022.湖の畔を走る」、父死亡「0071.夜に属すモノ」参照
クルィーロたち……一家離散「0040.飯と危険情報」参照
アウェッラーナ……実家炎上「0008.いつもの病室」、父射殺「0012.真名での遺言」、一族離散「0024.断片的な情報」参照
ローク……実家炎上&家族の安否不明「0096.実家の地下室」「0097.回収品の分配」参照
☆こちらも壊滅……「0013.星の道義勇軍」~「0015.形勢逆転の時」「0020.警察の制圧戦」「0043.ただ夢もなく」参照




