3364.魔獣の危険性
ラズールイ先輩は、魔物を召喚したセルヴス少年の疑問をさらりと流した。
「ん? 別に。ラキュス湖の畔で生きてゆくには絶対必要な知識だし、魔術概論を勉強したお陰で、大聖堂が聖職者用の聖典を全文公開した時、力ある言葉で書かれた聖句をスラスラ読めたからね」
「あの見たことない文字、読めるんですか?」
中学生のセルヴスが、驚きと尊敬の入り混じる目をマコデス人のフリージャーナリストに扮したラゾールニク少佐に向ける。
「読めるよ。聖典の護符は、力ある言葉で聖句を唱えないと効力が発揮されないし、それは無原罪の清き民でも、できるようになるまで、家と学校で繰返し教え込まれるんだ」
ラキュス・ラクリマリス王国軍の情報将校は、マコデス共和国からバルバツム連邦を訪れたラズールイ記者の顔で答えた。
セルヴス少年が恐る恐る聞く。
「そっちの大きい記者さんも……ですか?」
「あ、俺はモガールって言うんだ。君は呪符の密売人から、発動の聖句や呪文を教わらなかったのか?」
「教わりましたけど、聖句は共通語の古語で、【召喚符】は聞いたコトない言葉を丸暗記させられました」
「セルヴス君は、呪符とかの密売人とテキストの遣り取りだけじゃなくて、音声でも遣り取りしたのか?」
ラズールイ先輩は、声に魔力を乗せて質問した。
セルヴス少年は澱みなく答える。
「中学生なら共通語の古語くらい読めるだろうって、テキストで、見たことない文字は、音声ファイルで二十四時間以内に覚えろって」
「あの匿名アプリ、ファイルをダウンロードできないし、二十四時間で消えちゃうもんなぁ」
ラズールイ先輩は残念そうに言って、くすんだ色の金髪を片手で乱した。
……呪符の密売人は、証拠を残さない対策を徹底してるんだな。
どの方面の手か不明だが、フリージャーナリストに扮した魔装兵ルベルには、密売人がかなり手慣れた者に思えた。
「あ、あのっ……お二人は記者さんですけど、ウチの子のコト、記事に」
「しますけど、完全に匿名で誰だかわからないように書きますし、そもそも、新聞や雑誌が買ってくれないと、紙面にもネットにも載りませんからね」
セルヴスの母ベリスが不安を口にすると、ラズールイ先輩は苦笑交じりに先回りした。
「そ……そうですか」
バルバツム人の母子が、やや肩の力を抜く。
ラズールイ先輩は、大袈裟に顔を顰めた。
「もしかして、どこのマスコミも俺たちの記事を買いませんようにって、聖者様にお祈りしました?」
「あッ、いっいえッ、決してそんな……あなた方のお仕事の邪魔をする気はなくてですね」
「うんまぁ、お母さんの心配はわかりますよ」
ラズールイ先輩が共感を示すと、ベリスはやや表情を和らげた。
「でも、記事を書くのは俺たちの商売云々だけじゃなくて、セルヴス君みたいに悪い人に騙されて、テロの実行犯として使い捨てられる犠牲者を発生させない注意喚起の為でもあるんです」
「注意喚起……ですか」
ベリスが隣で身を縮める我が子を見た。
「セルヴス君はいきなり学校で実行せず、森の中で練習して、召喚されたのが草食性の大人しい魔物だったから、運よく助かりましたし、人殺しにもならずに済みました」
「畑はめちゃくちゃにされたけどな」
畑のキャベツをすべて魔獣に食べられたクラムベが、唇をひん曲げる。セルヴス少年はますます縮こまった。
「跳び縞は草食性ですけど、放置してると、この辺の植物をみんな食べられてしまいますよ」
モガール記者の一言で、キャベツ農家のクラムベと小麦農家のセンクロスに緊張が走った。
リラシナ大学のアルバ教授が、タブレット端末をローテーブルに置いて、つい先程、森で撮った写真を表示させた。
大木がへし折られ、梢には葉が一枚もない。周囲の下草や灌木も丸坊主だ。
画面を覗いたベリスが息を呑む。
モガールは、魔物や魔獣と遭遇した経験のないバルバツム人たちに説明する。
「魔物にはこの世の身体がないんで、足跡が残らないんですけど、この世の生き物を食べたり、魔力を含むものを食べたりすると、実体化して魔獣になります」
キルクルス教徒の大人たちが、ローテーブルに散らばる【魔力の水晶】と魔物を召喚したセルヴス少年を交互に見る。
ひ弱な外見の中学生は、身を縮めて俯いた。
「足跡があると言うコトは、質量を得たと言うコトです。足跡の深さから、実体化してかなり大きく育った状態であることが推測できます」
「はい。体重などの推測に関しては、私も異論ありません」
生物学者のアルバ教授が、モガール記者に同意した。
モガール記者は、教授に会釈して説明を続ける。
「魔獣の強さは大きさに正比例します。この世の生き物を食べれば食べる程、大きく強く、際限なく育ちます」
「際限なく? 自重で骨折したり、肺が潰れたりしないのですか?」
金髪の男子大学生が驚いた顔で聞く。
モガール記者は頷いた。
「魔哮砲戦争の末期、アーテル共和国の首都ルフスに出現した魔獣は、ビルより大きく育ちましたが、平気で歩いていましたし、アーテル空軍の戦闘機がミサイルを命中させてもビクともしませんでした」
「マジっすか?」
黒髪の男子学生が信じられないと言いたげな顔をする。
「現地の新聞記者が動画を撮ってましたよ。えーっと……これだ」
ラズールイ先輩が、タブレット端末にユアキャストの星光新聞公式チャンネルを表示させる。
動画は、ビルの防犯カメラ映像とアーテル空軍からの提供映像、星光新聞アーテル支社の記者が撮影した動画を組合せたものだ。
生物学者のアルバ教授が驚愕する。
「この大きさの陸生生物が、自重で潰れず歩行を……?」
「魔獣には、この世の生き物の常識が通用しないんです」
「と、言うと?」
教授は動画から目を離さず、ラズールイ先輩に聞いた。
「戦時中、ネモラリス人用の難民キャンプでも取材したんですけどね。アミトスチグマ王国の大森林を切り拓いて作ったとこで、野生動物や魔獣に襲われて亡くなる難民が多くて大変そうでした」
「よく無事に帰れましたね?」
小麦農家のセンクロスが、半ば呆れた顔で言う。
「勿論、護衛に魔獣駆除業者を雇いました。難民は魔法使いが少なくて、大半が無原罪の清き民だったんですよ」
「アーテルの敵国って、無原罪の清き民も居たんですか?」
キャベツ農家のクラムベが意外そうに聞く。
「そりゃ居ますよ。キルクルス教徒は自治区に住んでましたけど、魔力のないフラクシヌス教徒は、国全体に散らばって住んでますからね」
「異教徒にも、無原罪の清き民が居るんですね」
ラズールイ先輩の答えを聞いて、クラムベが感心したように頷いた。
「それと、ディアファネス大司教の一家とか、信仰を偽って暮らす隠れ信徒も大勢居ましたし」
「あっ、それ、テレビで見ました!」
モガールが言うと、大学生二人が同時に叫んだ。
「難民キャンプに避難した数少ない魔法使いの大半は、魔法戦士じゃなくて、家事用の魔法しか使えない一般人です」
「家事用の魔法ってどんなのですか?」
黒髪の学生が興味津々で聞く。
「水を操って掃除や洗濯、入浴する魔法とかですね。それを応用して、熊の肺に水を流し込んで沸かして駆除したりとか」
「それって、その気になれば、人間相手にもできるってコトですよね?」
金髪の学生が顔を引き攣らせる。
ラズールイ先輩は構わず続けた。
「で、それを魔獣にもやってみたけど、全然通用しなくて、自警団に犠牲者が出たって言ってました」
「肺に水流し込まれたら、それだけでも溺死……窒息するでしょうに」
アルバ教授が呆然と呟く。
「だから、骨の強度が足りなくて自重で骨折とか、肺が重力に負けて潰れるとか言うのも、魔獣には関係ないと思いますよ」
「成程……そう言うコトですか。解剖などで詳しく調査できれば、はっきり確認できるのですが」
アルバ教授が少年のように瞳を輝かせる。
「危ないんで絶対やめて下さい。魔獣の死骸は異界の扉になりやすいので、速やかに焼却して灰か炭にするのが鉄則です」
モガール記者は、思わず危険性を指摘した。
☆アーテル共和国の首都ルフスに出現した魔獣
実際の現場……「2477.棄てられた民」~「2479.漏れ出す呪詛」参照
デルタ目線……「3204.勝ち目がない」参照
☆テレビで見ました……「3269.留学生の報道」参照




