3353.理解力の格差
ラゾールニク少佐が、タブレット端末に視線を落として言う。
「まぁ、でも、こうやってこちら側の情報を出すことは、無意味じゃないよ」
「効果あるんでしょうか?」
SNSでは「真実の告発者」のアカウントが炎上状態だ。
ルスタートル司令官の謝罪動画を偽物呼ばわりするコメントがどんどん増え、魔装兵ルベルは不安に駆られた。
「意見の対立が生じる効果があるよ」
ラゾールニク少佐がさらりと言い、諜報員ナヴォードチクも首肯した。
魔装兵ルベルはますます心配になって聞く。
「大丈夫なんですか? それ?」
「どっちの動画を信じるか……で、バルバツム人が分断されるかもね」
気のせいか、ラゾールニク少佐は楽しそうだ。
「いいんですか?」
「大聖堂が聖典を全文公開して以来、魔法容認派と拒絶派で、既に対立と分断が生じていますからね。これもその延長ですよ」
バルバツム連邦で長らく活動を続けるナヴォードチクに言われたが、ルベルには不安しかない。
ラゾールニク少佐が表情を消して言う。
「魔法容認派の人は、治癒魔法の身体的条件についても調べるだろうから、司令官の謝罪動画を信じるだろう」
「拒絶派は、あの女の虚偽告発動画の方を信じますよね?」
「そうなるね」
「それって、セプテントリオー様の冤罪を晴らせないんじゃありませんか?」
「魔法を拒絶する人たちは、治癒魔法の身体的条件とか知らないし、説明しても聞く耳持たないからね。考えがそれで凝り固まってる人に理解を強制するコトなんて無理だよ」
「諦めちゃっていいんですか?」
魔装兵ルベルは、何故、上官がそんなコトを言うかわからない。
「そうじゃないバルバツム人がわかってくれれば、状況はマシになる。俺たちの任務は、世界中のキルクルス教徒全員に理解させることじゃないんだ」
「あッ……!」
ルベルは冷水を浴びせられたような心地になった。
「意見の対立があれば、議論が深まる。まぁ、議論や知識の習得じゃなくて、暴力に訴える人も居るかもしれないけど、それはバルバツム人の問題だ。俺たちは事実を伝えたに過ぎない」
魔装兵ルベルは釈然としなかったが、ラゾールニク少佐の説明に口を挟まず耳を傾けた。
少佐は、SNSのコメント欄を表示させた端末に目を向けて言う。
「民主主義の基本は、単純な多数決じゃなくて、話し合いによる意見と利害の調整だ」
「民主主義……?」
ルベルは急に話を変えられて面食らったが、ラゾールニク少佐は構わず続ける。
「双方の妥協点を探って、全体の損失が少なくなるように調整するのが民主主義の話し合いだ。その為には議論と情報共有が必要で、相手を言い負かして自分の陣営の意見を百パーセント通そうなんて姿勢は、諍いの原因にしかならない」
「それは……情報共有すら拒絶する人が混ざってたら、民主的な話し合いって不可能なんじゃありませんか?」
「そうなるね。我が国は半世紀の内乱と魔哮砲戦争、それに伴う貧困とかのせいで識字率が下がって、知識を共有できない人が多かったけど、今は取敢えず、みんな字を覚えて、新聞くらいは読める基礎知識を身につけて、そこそこ情報共有できるようになってきたよね」
「そう……なんですか?」
魔哮砲の操手だったルベルは、魂を半分幽世に持って行かれたせいで、政府が学び直し事業に力を入れた終戦直後の五年余りの状況がよくわからない。退院後、情報としては知ったが、世間の空気感が実感としてわからないのだ。
ラゾールニク少佐が、SNSで繰り広げられる不毛なレスバトルに可哀想なものを見る目を向けて言う。
「でも、バルバツム連邦は、連邦内の各共和国間の地域差や、国民同士の貧富の差、国民と移民とか、立場の違いで学習内容と量に大きな差があって、理解する気があっても、基礎知識や基礎学力の問題で理解が難しい人が大勢居るんだよ」
「えッ? バルバツムは七十年くらい、戦争も内戦もありませんでしたよね?」
七十数年前、キルクルス教圏を中心に世界の多くの国々を巻き込む大戦が勃発。バルバツム連邦はふたつの陣営の一方の中心だった。
半世紀の内乱の最中で、ラキュス・ラクリマリス共和国は参戦せず、国連で和平協議を呼掛け続けたが、戦禍は拡大の一途を辿り、世界大戦の終戦には四年を要した。
その後の七十年余り、バルバツム連邦は他国の紛争に武力介入を繰返すが、自国が戦場になることはなく、現在に至る。
ルベルのこの知識は、中学校の地理と世界史の教科書によるものだ。
バルバツム人の大半が力なき陸の民のキルクルス教徒で、常命人種しか居ない。三世代か四世代分の時間を平和に過ごして、何故、そんな差がつくのか。
諜報員ナヴォードチクも説明する。
「バルバツムでは、産まれた地域や実家の社会階層などで学校が分かれていて、その壁を越えて高度な勉強をするのは、凄く難しいんですよ」
「例えば、信仰心の篤いキルクルス教徒なら、封印の地ムルティフローラ王国の場所をちゃんと知ってて、その近くのラキュス湖の位置も把握してる。ウチの国までは知らないだろうけどね」
魔装兵ルベルは、ラゾールニク少佐の説明を意外に思った。
「聖典に載ってるから、鎖国で絶対に訪問できなくても、学ぶんですか?」
「キルクルス教徒にとっては重要な場所ですからね」
ナヴォードチクが頷く。
「でも、キルクルス教の信仰心が薄い人や、治安がアレな地域で授業が成立しない日が多い学校とか、移民の家庭に産まれて共通語が微妙な子とかは、バルバツム連邦の地理を覚えるのも難しいんだ」
「えぇッ? 授業が成立しないって言うのは」
今日のルベルは驚いてばかりだ。
ナヴォードチクのもう一台の端末がアラームを鳴らした。
「今月は在宅勤務ですが、そろそろ仕事を始めなければなりません」
「あ、もうそんな時間? じゃ、戻ろっか」
ラゾールニク少佐は、話をあっさり打切った。
ナヴォードチクが運転する車でホテルに戻る。
倉庫街は先程よりトラックの交通量が増えた。
「アルバ教授にアポ取っとこう」
ラゾールニク少佐が「リラシナ大学」で検索し、ビバクス・ベツラ・アルバ教授の研究室にメールで取材を打診する。
魔装兵ルベルは、ジオラマを収めたコンテナで語られた話を反芻した。
得たばかりの情報を指折り数えながら、今回の任務で与えられたタブレット端末でメモする。
ラゾールニク少佐の手の中で端末が震えた。
「おっ。もう返信来た」
「取材、受けてくれそうですか?」
「魔法文明圏の記者なら、すぐ会いたいってさ」
少佐は上機嫌でルベルに応じた。
「えっ? どうしてです?」
「理由は書いてないけど、できれば今日の午前中に会いたいんだってさ」
ナヴォードチクが前を向いたまま言う。
「私は自宅に戻らなければならないのですが」
「うん。ホテルまで送ってくれたら、タクシー拾うよ」
「了解」
ラゾールニク少佐と魔装兵ルベルは、諜報員ナヴォードチクとホテルの前で別れた。
☆封印の地ムルティフローラ王国……「0403.いつ明かすか」参照




