3339.善き業の種類
今日のモーフは、午前中が学校で、午後は工場で仕事だ。
学校が午後のシフトの日、工場で残業があると間に合わない。出席日数不足で、なかなか卒業できなかった。
だが、仕事があるのは悪いコトばかりでもない。出席不足で落とした授業をもう一度習い直すと、前よりよくわかるからだ。
いつも通り工業高校に登校すると、数学の先生が教卓でノートパソコンとプロジェクターを弄っていた。
先に来た生徒たちが、黒板代わりのホワイトボードを端に寄せ、教卓の後ろで、天井にあるフックにスクリーンを引っ掛けるところだ。
白い幕が下がると、数学の先生はホッとした顔でパソコンを操作した。白い幕に画面がぼんやり投影される。
「じゃ、カーテン閉めて電気消して、チャイムはまだですが、始めます」
「え? もう授業やんの? 朝の会は?」
モーフは壁掛け時計を見た。一時間目の授業は三十分以上先だ。
「西教会で大聖堂の司祭様が生配信して下さるので、今日はそれを視聴します」
「えッ? なんでまた急に?」
後から来た年配の生徒が驚く。
先生がプロジェクターを調整すると、投影された画面がさっきよりくっきり見えるようになった。動画配信サイト「ユアキャスト」だ。
モーフはパソコンもタブレット端末も持っていないが、授業で時々視聴するのでちょっとだけ知っている。
「昨日、フェレトルム司祭様とヌーベス司祭様から学校に連絡がありました。大聖堂のレフレクシオ司祭様と地元の星道の職人、歌手の平和の花束、バルバツム人の記者なども来て大々的に生配信するから、是非、生徒たちに視聴させるようにとのことです」
「へぇー……何でまたそんな大御所ばっかり?」
「わかりません。ただ、重要な話をするので、全クラスで視聴するようにとのことです」
先生にもわからないなら、モーフたちにはもっとわからない。だが、何回聞いてもチンプンカンプンな数学の公式より、生配信の方が楽しそうだ。
様々な年齢層の生徒が教室に入る度、先に来た者たちが先生の説明を繰返す。
壁掛け時計が八時半を差した。
午前中に登校する同級生が、スクリーンに投影された画面を見詰める。
「みなさん、おはようございます。平和の花束とクアエシートル記者の公開コラボ生配信、始めまーす」
モーフは見知った顔にドキリとした。
艶やかな黒髪に勝気な光を宿した黒い瞳。アミトスチグマ王国の支援者の屋敷で会った歌手だ。
当時は高校生くらいの女の子だったが、今はすっかり大人で前より落ち着いた雰囲気になった。
それでも、芯のところは全く変わらず、一目見てわかった。
その手前に近所のねーちゃんアミエーラと、ねーちゃんの後輩のサロートカが並んで座る。
……大分前、ルフス神学校でテロがあった説明の動画に出てたけど、今日は元気そうだな。
モーフは久し振りに見たねーちゃんの様子にホッとした。
あれから、ラジオのニュースを注意深く聞くようになったが、アーテルの大統領を殺そうとした神学生がどうなったか、ねーちゃんたち神学校の先生がどうなったか、新しい話は何も聞けなかった。
工場の食堂にあるニュースの板には少しだけ続報が出たが、肝心の部分が難しい単語ばかりで、モーフには読めなかった。
……あの事件、もう解決したのかな?
生配信は湖南語と共通語だ。誰かがどちらかで喋ると、別の誰かが通訳する。時間は二倍掛かるが、わかりやすい。
「俺は昨日、建築現場でフェロスさんと魔法使いの職人さんと一緒に生配信したんですけど、今日はその続きです」
バルバツム人の記者が共通語で言い、フェレトルム司祭が流暢に湖南語訳する。
工業高校にも共通語の授業はあるが、モーフには、名前しか聞き取れなかった。
……司祭様はここに来てから超忙しくて、学校に通う暇なんかなさそうなのにいつの間にか湖南語ペラペラだもんなぁ。
「皆さんご承知の通り、聖者様が記録された善き業は、無原罪の清き民でも条件を満たせば使える、あるいは、魔法使いのお手伝いができる魔法です」
レフレクシオ司祭が説教壇から、ねーちゃんたちの後ろに視線を向けて湖南語で言う。
西教区のヌーベス司祭が共通語訳したようだが、モーフの語学力では、本当に通訳したか、テキトーかましただけかわからない。
クアエシートル記者が、昨日の生配信を見なかった連中用におさらいする。
「昨日の配信では、【巣懸ける懸巣】学派の建築士さんと一緒に魔導書を見せてもらいましたけど、あの本、魔力がないとページが開かないんで、俺たち無原罪の清き民だけじゃ勉強もできないんですよね」
「聖者様はきっと、魔法使いにページを押さえてもらって、書き写したんだろうなぁ」
大工のフェロスはしみじみ言った。
近所のねーちゃんアミエーラが遠慮がちに言う。
「そうですね。私もサロートカさんと勉強する時、魔導書のページを押さえる係をしましたから」
「そうなんだ?」
アルキオーネが後ろの席から合いの手を入れる。
「俺は自治区が普通の市になってからこっち、魔法使いの職人と一緒に仕事する現場が増えて、作業で要るから魔法の本を見せてもらうんだけど、聖典の……星道記に載ってるのとまったく同じ図面があって、しかも、あっちの方が詳しいんだ」
「星道記は、魔力がなくてもできる部分を抜粋したものだから、魔導書より記述が少ないんですよ」
大工のフェロスが微妙な顔で言うと、ねーちゃんが付け加えた。
「魔力がなくてもできるコトと、魔力なしじゃできないコトの違いを見極めるだけでも大変な手間ですよね」
サロートカが遠い目になり、後ろの席で歌手の四人がうんうん頷いた。
レフレクシオ司祭が、フェレトルム司祭の共通語をすらすら湖南語訳する。
「善き業には、星道記には記載がないものの、精光記と光跡記には行使する様子の記録が残り、それに対して否定的な記述が見当たらない魔法も含まれます」
「星道記に載ってなくても善き業なんですか?」
茶髪の歌手が、後ろの席で目を見開いて驚いてみせる。
「例えば、病気や怪我を治す魔法があります。精光記には何カ所も、魔法で人助けする様子が記録されていますが、これを悪しき業であると断じる記述は一行もありません」
フェレトルム司祭が断言し、前より毛が少なくなって広くなった額をハンカチで拭いた。
……あんな分厚い聖典を隅から隅までみんな読んで、頭に入ってんだもんなぁ。
モーフは、大聖堂の司祭たちの頭の出来に感心した。
「しかし、一部の異端信仰では治癒魔法も悪しき業に含め、魔法で治療を受けた人々の命を脅かしていました」
フェレトルム司祭が続けると、サロートカが険しい顔で頷いた。
サロートカの兄貴は戦前、事故に遭ってゼルノー市の病院に運ばれ、市民病院のセンセイに魔法で治してもらったらしい。だが、すっかりよくなって自治区に戻った途端、星の標に殺された。
「正しい信仰では、魔法による治療を受けてもなんら問題ありません。しかし、未だに魔法の治療を拒否して命を落とす信徒が世界中で後を絶たず、嘆かわしい限りです」
レフレクシオ司祭が眉間に縦皺を刻む。
モーフも交通事故で死に掛けた時、市民病院のセンセイに治してもらった。戦時中は、薬師のねーちゃんの魔法と魔法薬で怪我や病気を治してもらった。
二人が居なければ、モーフは今日、ここで動画を見られなかっただろう。
「世界中の両輪の国では、キルクルス教徒の親が、我が子の治療に魔法を使われるのを拒否する問題が頻発しています」
レフレクシオ司祭が遠い目をして語る。
あの交通事故の日、リストヴァー市立東市民病院にセンセイが巡回診療に来ていなかったら、モーフはあのまま死んでしまったに違いない。
魔法なら、死に掛けの大怪我だろうが死ぬような病気だろうが、ちゃんと元通りに治せるのだ。
「冬の大火からどうにか生き残った人の中には、火傷の後遺症で手足がちゃんと動かなくなった人も居るんだが、そんな昔の怪我でも、魔法の治療ならキレイさっぱり治して元通り動くようにしてもらえるんだ」
大工のフェロスがしんみりした声で言う。
サロートカは、それにも深く頷いた。
モーフの職場にも、市民病院のセンセイの治療で元通りに働けるようになった元患者が何人も居る。
火傷の後遺症で働けなかった連中が、普通に働きに出られるようになって、戦争が終わってから毎年少しずつ人手不足がマシになってゆく。
顔に大きな火傷痕が残る者たちは、背中を丸めて人目を忍んで暮らしたが、魔法でキレイに治してもらってからは、顔を上げて堂々と歩くようになった。
魔法の治療を受けられなかったら、リストヴァー市の復興は、もっと遅れただろう。
安心してセンセイたちの魔法で治してもらえるようになったのは、リストヴァー市の星の標が解散したからだ。
……星の標って、マジ終わってんなぁ。
モーフはかつて、キルクルス教系テロ組織の一員だったが、異端者の星の標ではない。星の道義勇軍の信仰は聖典通りだった。
不意にみんなと一緒にトラックで旅した日々や、市民病院のセンセイのやさしい声を思い出し、何故だか泣きたいような気持になった。
☆大分前、ルフス神学校でテロがあった説明の動画に出てた……「3127.予定外の授業」~「3130.質問を繰返す」参照
☆工場の食堂にあるニュースの板……デジタルサイネージ「3126.ニュースの板」参照
☆精光記と光跡記……「554.信仰への疑問」参照
☆サロートカの兄貴……「2662.知らなかった」参照
☆火傷の後遺症で手足がちゃんと動かなくなった人……「2798.初めての手術」「2799.足を鍛え直す」参照
 




