0334.接続料の補充
すっかりぬるくなった鎮花茶を飲み干し、ファーキルは湖の民の運び屋と共に呪符屋を出た。はぐれないよう、フィアールカと呼ばれた魔女の後について行く。
降りてきた時よりずっと、料理や香辛料の匂いは薄らいだ。煉瓦敷きの通路にはみ出す雑多な商品や看板、通行人を避けて通る。
チェルノクニージニクは地下街だが、雑妖が全く居なかった。
通路と店の壁、天井などには、北ヴィエートフィ大橋やゲリラの拠点同様、各種防護の呪文が記され、様々な災厄から守られる。ここにはそれだけの術を起動し、維持できるだけの力ある民が居るのだ。
ファーキルは、タブレット端末で通路の写真を撮りながら、運び屋について歩いた。次に来る時に備え……いつまでこのランテルナ島に居なければならないか、全く予測できない。
「さ、着いたわ。おのぼりさん」
「あ、はい。有難うございます。迷子になっても困らないように撮ってました」
「そう。いい用心ね」
ファーキルが正直に言うと、運び屋フィアールカは薄く笑って細い通路の奥に入る。大人一人がギリギリ通れるだけの狭さだ。
突き当りの扉には、葦切の巣で自分よりずっと小さな親から餌をもらう郭公の雛の彫刻が掛かる。看板に文字はない。
運び屋フィアールカは、緑の髪を掻きあげて振り返った。ファーキルが頷いてみせると、ノックもせずに扉を押し開ける。
「フィアールカちゃん、久し振りねぇ」
カウンターでにっこり笑って小さく手を振るのは、逞しい体躯に少女趣味なエプロンドレスを纏ったおっさんだ。
レースに縁取られた厚い胸板で【編む葦切】の徽章が輝く。艶やかな黒髪をツインテールにし、結び目には薄紅色の薔薇を象った髪飾りまで着ける。
「お客さんを連れてきたの」
「あらぁ可愛い坊や。私、クロエーニィエ。クロエって呼んでくれていいわよ」
店主がパッと笑顔を咲かせ、ファーキルは鳥肌が立った。運び屋フィアールカは構わず用件を告げる。
「プリペイドカードちょうだい」
「いつものでいい?」
「ねぇ、どこの会社?」
湖の民の運び屋が、面食らって思考停止したファーキルに聞く。我に返って接続会社名を告げ、鞄から傷薬が入った紙コップを出した。
「これで、買えるだけ下さい」
クロエーニィエのごつい指が、カウンターから紙コップを摘まみ上げる。意外そうに丸く見開かれた目が、改めてファーキルを見た。
「上物の傷薬じゃない。これ、あなたが作ったの?」
「いえ、知り合いの薬師さんです」
「ねぇ、坊や。その人と連絡取れる? 材料と報酬は用意するから、もっと作ってもらえないか、聞いてくれない?」
ファーキルは、思わず運び屋フィアールカを見た。湖の民の魔女は、小さく肩を竦めただけで、何も言ってくれない。
薬師アウェッラーナは、シルヴァたちからも魔法薬作りを頼まれた。
本人は勿論、工員クルィーロもその手伝いで忙しそうだ。呪符屋に支払う高性能の【無尽袋】の報酬も魔法薬と素材と言われた。
ファーキルは少し考え、正直に言うことにした。
「連絡は……何日か時間が掛かってもよければ、できます。でも、その人、今はいっぱい頼まれてて、当分無理な感じでしたよ」
「いっぱいって、どのくらい掛かりそう?」
「畑の薬草、全部薬にしてって、頼まれてましたよ」
クロエーニィエは身を捩って悔しがったが、すぐにその広く逞しい肩を落とし、野太い声で言った。
「そりゃそうよねぇ。こんなご時世ですもんね」
カウンターに背を向け、棚の抽斗を開ける。
クロエーニィエは【編む葦切】学派だが、ヴィユノークとは違って力ある民なのか、少女趣味なエプロンドレスは、防禦系の呪文がレースやフリルに紛れ、色とりどりの糸で刺繍が施される。
木製の棚の各段は細かく仕切られ、抽斗や小さな扉がついて中身がわからない。
クロエーニィエが、プリペイドカードを三枚、カウンターに並べた。基本料だけなら九ヶ月くらい賄える額だ。
ファーキルは、傷薬の紙コップを四つとも渡し、カードを爪で擦った。出てきた番号を入力する。
三枚とも、無事に入金できた。
「有難うございます」
「いいのよ。私もこれ、助かっちゃうから。薬師さんにもヨロシクね」
「はい。あの、ここって、どんな物売ってるんですか?」
またここを利用する可能性は低そうだが、情報は多いに越したことはない。
郭公の巣の店主クロエーニィエは、自分の胸を指差した。
「私が作った服とか、装飾品が中心だけど、このカードみたいな委託品もちょこちょこ扱ってるわ。……その手袋も私の作品よ」
「あ、そうなんですか。助かってます」
ファーキルが言うと、クロエーニィエはイイ笑顔で親指を立てた。
運び屋フィアールカに促され、郭公の巣を後にする。
「よかったわね。いっぱいチャージできて」
「有難うございます。お陰で助かりました」
「今、移動販売の人たちって、安全な場所に居るの?」
「はい」
拠点の正確な場所は、ファーキルにもわからない。それに、この地下街ではどこの誰の耳に入るかわかったものではない。慎重に短く答える。
湖の民の運び屋はそれ以上追及せず、話題を変えた。
「地下はごちゃごちゃ入り組んでるから、地上の大通りを通った方が早いのよ」
どんどん煉瓦敷きの通路を歩いてゆく。ファーキルは、見失わないよう小走りでついて行きながら、時々立ち止まって写真を撮ることも忘れなかった。
郭公の巣に一番近い階段から、地上の街カルダフストヴォー市へ出る。蒸し暑い空気に一瞬、息が詰まった。
「色々、有難うございました」
「いいのよ。こっちも商売だし。じゃあ、袋が入荷したら連絡するから」
「有難うございます」
そこで別れ、地図を見ながら、シルヴァが拠点にした民家へ向かう。
少し迷ったが、確かに運び屋フィアールカの言う通り、地上を行く方が早く帰れそうだ。地上でも、要所要所で写真を撮り、次に来る時の目印を用意する。
そうする間にも、人通りがどんどん減ってゆく。黄昏に染まる街並をゆっくり眺める余裕はない。
時折、立ち止まって地図を確め、ついでに写真を撮る他は、大通りを全力疾走に近い速度で駆け抜けた。
☆シルヴァたちからも魔法薬作りを頼まれた……「0319.ゲリラの拠点」「0323.街へのお使い」参照
☆呪符屋に支払う高性能の【無尽袋】の報酬も魔法薬と素材……「333.金さえあれば」参照
☆その手袋……「0175.呪符屋の二人」参照




