0034.高校生の嘆き
「わかってたのに……」
ロークは震える声で呟いた。二階の自室には他に誰も居ない。
窓の外、ニェフリート運河の南東では、まだ煙がくすぶっていた。
ロークの自宅は運河の北、セリェブロー区にある。
運河の向こうは、ゼルノー市の中心街があるミエーチ区だ。
焼き払われたジェリェーゾ区は、南東の方角でロークの家からは遠い。
セリェブロー区は、ニェフリート運河と自然のニェフリート河に挟まれ、東西に細長い地区だ。
地区の東部は、主に倉庫業と輸送関連企業が占める。
中央部は商業と金融街が連なり、区の北西部に位置する住宅街は、ゼルノー市内でも比較的、富裕層が多い。
市内全域に非常事態宣言が発令され、学校は当面、休校になった。
今朝の新聞やラジオでは、被害は主に、湖の東岸沿いのグリャージ区、スカラー区、ジェリェーゾ区に集中していると報じられた。
運河の北にあるセリェブロー区と、グリャージ区とリストヴァー自治区の西隣にあるピスチャーニク区、グリャージ区とスカラー区に隣接するミエーチ区、西部に広がる穀倉地帯のゾーラタ区は無事だ。
ロークは昨夜、一睡もできなかった。
南西の空が赤く染まり、ニェフリート運河を渡って大勢の人が、セリェブロー区に避難して来た。
セリェブロー区内の病院は負傷者で溢れ、国内各地から応援の医療チームが派遣されている。
市境のニェフリート河を越え、近隣の他都市へ逃れた人や、ネモラリス島の親戚の許へ【跳躍】した者も多い。
公民館や体育館などが、避難所として解放され、力なき民の避難民を受け容れた。
東部の三地区は焼失し、避難所になる筈だった学校も被害に遭ったと報じられた。
ロークのディアファネス家でも、五人の男を受け容れている。
彼らが何者であるかは、予め知らされていたが、ロークはあんな者たちを家に入れた家族の気が知れなかった。
……スカラー高校のみんな、無事かな?
火事場からやって来た男たちは、煤で真っ黒に汚れていた。
家に入ってすぐ、既に沸かしてあった風呂に入れ、用意してあった服に着替えさせた。元々着ていた服は、母が洗濯して室内に干している。
ロークは、セリェブロー区内の商業高校に進学した。
中学で仲良くなった友人たちは、市立スカラー高校や、グリャージ区の工業高校に通っている。
昨日は平日だ。
自宅はセリェブロー区でも、友人たちは焼失した地区の学校で、授業を受けていた。
……風邪引いて休んでましたー……とか……………………ないか。
俯くと、涙が零れた。頬を流れた雫が唇に触れ、顎を伝って落ちる。
ロークは窓辺で崩れ落ちるように座り込み、声を殺して泣いた。
……ここまでやるとか、聞いてねぇよ。
泣いているのを知られると、自分も殺されるかもしれない。
ロークはカーテンを閉め、戸に鍵を掛けてベッドに潜った。枕に顔を押しつけ、嗚咽を堪える。
……死んだ……ヴィユノークも、チスも、チェルトポロフも、みんな……これ、絶対死んでる。こんな一気に焼けて、逃げられるワケねーだろ。
仲のいい友達は、フラクシヌス教徒の力なき陸の民が多い。
力ある陸の民や湖の民の友人も居るが、彼らの魔力では、術者自身が【跳躍】するだけで精一杯。友を見捨てて、一人だけでも逃げることができただろうか。
陸の民のラクリマリス王家や、湖の民のネーニア家のように強い魔力を持つ者は、魔法使いの中でもほんの一握りだ。
両家はその魔力の強さ故に、権力も握っている。
魔力の有無と強弱は、生得的なものだ。魔力を作用させる力は、鍛えることもできるが、高が知れている。
そもそも、軍や警察でもなければ、そんな鍛錬はしない。
一介の高校生に、複数の人間を連れて【跳躍】することなど、無理な相談だ。
……こんなになるなら、みんなに教えといたのに……
後悔で押しつぶされそうな胸に、友人たちの顔が次々と浮かんでは消える。
つい先週、会ったばかりだ。
チェルトポロフが魚の美味い食べ方を説明すると、丸っこい顔のヴィユノークが真剣に耳を傾け、チスとロークはそれを茶化しながらも、ちゃんと聞いていた。
ジェリェーゾ区にあるチェルトポロフの親戚の魚屋も、ヴィユノークに教えてもらったスカラー区の美味いパン屋も、チスに誘われてみんなで行ったグリャージ区の大人向け喫茶店も、今頃はもう灰になっているだろう。
他愛ない話をして笑いあった。
友人たちも、あの場所も、永遠に失われてしまった。
信仰の名の許に侵攻してきたキルクルス教徒の炎に蹂躙された。
……あいつらは、別に何も悪いコトなんてしてない。半世紀の内乱も、和平協定も、ずっと昔のコトだ。俺たちが生まれる前のコトで、何で殺されなきゃなんないんだよ。




