3333.恩返しの機会
「ちょっと、アミエーラちゃん、この動画見た?」
「どれ? あぁ……うん」
平和の花束のエレクトラにタブレット端末を向けられ、アミエーラは楽屋で化粧直しする手を止めた。SNSの投稿にユアキャストの動画が埋め込んである。
昨夜の速報ニュースで触れられたものだろう。
記事では、題名や投稿者名、動画投稿サイトなど、件の動画を特定できる要素は一切出さなかった。
報道各社は、「共通語話者の女性が、王族である保健省医官のセプテントリオーを事実無根の罪で虚偽告発する動画を投稿した」と言う客観的事実。この件に関しては、ラキュス・ラクリマリス王国政府が対応すること。この女性を個人的に呪うことは、魔道犯罪に該当するので厳に慎むようにとの注意の三点だけを掲載した。
それでも件の動画は特定され、SNSで拡散された。
元の動画は共通語だが、ほんの数時間で、湖南語の字幕を付けたものまで出回るようになったのだ。
SNSで回って来た動画を視聴してしまい、アミエーラは腹が立って殆ど眠れなかった。
アーテル共和国のルフス神学校で発生したミェーフ大統領暗殺未遂事件で警察に事情聴取された際、アミエーラは、警察にあらぬ疑いを掛けられた経験がある。呪医セプテントリオーが苦悩しているであろうことが我が事のように想像できた。
その後、警察からは特に何の接触も連絡もないが、図らずも鎮痛剤系違法薬物を口にしてしまった神学生クアエスツスは、現在も警察病院に入院したままだ。
学長の話によると、未だに公判に耐えられる体調ではないと言う。
ラキュス・ラクリマリス王国のレーグルス王子が開発した魔法薬「脳解毒薬」を使えば、重度の薬物依存症でもたちどころに完治するが、アーテル共和国では入手困難だ。
そもそも、アーテル共和国の警察病院には、脳解毒薬を使用できる上級者の薬師どころか、魔法使いが一人も居ない。
今日、アミトスチグマ王国の夏の都で開かれるコンサートで、アミエーラは久し振りに平和の花束の四人と共演する。だが、昨夜、速報と動画を目にしてから気分が沈み、睡眠不足と相俟ってなかなか浮上できないでいた。
「これ……私はコメントなしで、ラキュス・ラクリマリス王国外務省の公式発表の共通語版を拡散したけど」
アミエーラが言うと、エレクトラは瞳を輝かせた。
支度を終えたタイゲタも、画面を覗いてにっこり笑う。
「私も。他に湖南経済の共通語版ニュースも拡散しといたわ」
「セプテントリオー呪医が、そんなコトするワケないのにね」
アステローペも髪飾りを付けながら言った。
リーダーのアルキオーネが、眉間に皺を寄せて吐き捨てる。
「共通語圏の信徒は、魔法のコト知ろうともしない人が多いから」
タイゲタが、ずれた眼鏡を掛け直して呟く。
「あの女の人、本物のバルバツム兵なのかな?」
「あッ……! そっか。そうよね。偽物よね」
「近衛兵とか怒るし、助けてもらえなくなるもんね」
「本物の兵隊さんがあんな大嘘吐くワケないわよね」
エレクトラとアステローペ、アルキオーネが、目から鱗が落ちたような顔で納得する。
「じゃあ、一体、誰が何の目的で、セプテントリオー呪医を陥れる嘘をわざわざ動画で世界中に拡散したの?」
アミエーラの問いに答えられる者は居なかった。
開園時間が迫り、目の下の隈をコンシーラーで誤魔化して舞台へ向かう。
不安と睡眠不足で声が出るか心配だったが、平日にも拘わらず席が完売したコンサートは、無事に終わった。
カーテンコールでは五人揃って「すべて ひとしい ひとつの花」を歌い、盛大な拍手に送られて楽屋に戻る。
「私、セプテントリオー呪医に骨折を治してもらったり、【癒しの風】を教えてもらったり、たくさん恩があるんだけど、まだ何も返せてないの」
アミエーラは衣裳から普段着への着替えを終えると、平和の花束に言った。
元アーテル人の四人は、真剣な顔で頷いて続きを待つ。
「セプテントリオー呪医に恩返ししたいんだけど、手伝ってもらえるかな?」
アルキオーネが即答する。
「勿論よ」
「呪医がこんなコトで大ピンチになるなんてねぇ」
「逆に恩返しのチャンスじゃない?」
エレクトラとアステローペが顔を見合わせて首を傾げた。
「でも、私たちに何ができるの?」
タイゲタが眼鏡の奥で悔し涙を滲ませる。
「ファーキル君とフィアールカさんに相談してみようかなって思うんだけど、あんまり表立って行動したら、事務所に怒られるかなってちょっと心配で」
アミエーラは、小声で言って四人を見回し、最後に扉に目を遣った。
マネージャーは楽屋の扉前に立って、警備員と共に積極的過ぎるファンを食い止めるのに忙しい。
アステローペが人差し指を立て、胸の前で聖なる星の道を表す楕円を描いた。
「私たちって、共通語圏って言うか、キルクルス教圏にもファンがそこそこ居るじゃない」
「うん。居るわね。戦争前にバルバツムでコンサートしたし」
アルキオーネが頷いて続きを促す。
「ロークさんにも協力してもらえばいいんじゃないかな?」
「大司教になってから忙しそうじゃない? 連絡できる?」
タイゲタは懸念を示した。
アルキオーネが、いつになく気弱なタイゲタを励ます。
「あのロークさんよ? 彼にしかできないコトで、とっくに手を打ったと思うけど?」
「あ、あぁ……それもそうね。彼なら……今日の生配信で、何か言ってくれてるかも?」
「そうそう。絶対言いそう」
エレクトラとアステローペも声を揃えて請合う。
アステローペが確認する声音で疑問を口にした。
「あっ、じゃあ、ロークさんって私たちよりずっと影響力大きいし、私たち、何もしなくて大丈夫?」
「大聖堂の公式生配信を見る熱心な信徒は、あんな嘘に引っ掛からないんじゃないかな?」
「あんまり信心深くなくて、聖典をちゃんと読んだコトなくて教会にも通わないけど、魔法使いを敵認定してるタイプに魔法文明圏の常識を教えればいいのね」
タイゲタが鋭く指摘し、アルキオーネがリーダーとして整理した。
☆ルフスし学校で発生したミェーフ大統領暗殺未遂事件……「3113.神学生の異変」「3114.保健室の医薬」参照
☆警察に事情聴取……「3115.神学校で聴取」~「3117.弟子と大司教」参照




