3330.開館一番乗り
ミーリカ島の郷土資料館が完成した。
庭園で開かれた記念式典には、ミーリカ市とラキュス・ネーニア王家の関係者、報道陣に加え、抽選で予約を勝ち取った一般市民が参列する。
ファーキルは、運び屋フィアールカにペアチケットの相棒として声を掛けられ、会場入りできた。
平日なので、パルンビナ株式会社の役員マリャーナにお伺いを立てると、これも商機に繋がる可能性があるからと、出張扱いになった。
「神官だった頃、ミーリカ神殿には何回か行ったコトあるんだけど、セプテントリオー呪医のおうちは初めてなのよね」
「意外ですね」
「そりゃそうよ。王家の血を引く公爵家って、旧王国時代は大貴族よ。平民の神官風情が簡単に出入りできるとこじゃなかったんだから」
ここは、呪医セプテントリオーの実家を保存した郷土資料館だ。
綺麗に整えられた庭園には、色とりどりの花が咲き乱れる。
点在する大きな切り株の傍らには、真新しい四阿が整備され、ゆっくり寛げそうないい雰囲気だ。
ミーリカ市のムルス市長とミーリカ神殿のシトレア神官長の挨拶が終わり、王族の女性が壇上に立つ。
「本日は、体調を崩されたセプテントリオー元公爵に代わって、ガリクーハ神殿の神官長カミェータがご挨拶します」
ファーキルが以前、ランテルナ島の村で鉢合わせした地主だ。今日の彼女は、湖の女神に使える神官の衣を身に纏い、神々しく見えた。
先程のニュースによると、呪医セプテントリオーは昨日、過労で倒れたらしい。
命に別条ないとのことだが、開館記念式典に立会える体調ではないようだ。
ファーキルは、呪医セプテントリオーが気懸りで、カミェータの挨拶が右から左へ抜けてゆく。
運び屋フィアールカがタブレット端末で動画を撮るので、もし、マリャーナに聞かれても、後で見せてもらえば何とかなるだろう。
式典が終わり、ムルス市長とシトレア神官長、カミェータと近衛兵たちが大邸宅に入る。記者団も続き、係員の誘導でファーキルたち一般市民も、郷土資料館に足を踏み入れた。
ファーキルが居候するマリャーナ宅も豪邸だが、元公爵邸は、平民の大富豪の家とは全く格が違う。
白壁と腰板には精緻な植物の彫刻が施され、よく見ると、その中に紛れて各種防護の術も組込んである。腰板一枚だけでも、相当な値打ち物だ。
要所要所にサファイアが組込まれて、邸宅を守る術を維持する。
「凄いわね。この術を全部起動するの、私一人じゃ無理よ」
運び屋フィアールカが溜息を洩らした。
宝石が一般人の手の届く場所にあるのは、何らかの防犯魔法が施してあるからだろう。
呪医セプテントリオーと初めて出会った時、ファーキルは彼を元貴族だとは全く思わなかった。平民のみんなと気さくに話し、偉ぶった所が全くなく、あの輪に自然と馴染んでいたからだ。
……呪医が王族って言うの、未だにピンと来ないんだよな。
神政復古後、クレーヴェル城の研修会で顔を合わせた時も、くたびれた様子で他の王族のような威圧感がなく、気楽に話せた。
地元のボランティアが、半世紀の内乱時代の出来事を解説しながら歩く。
「ミーリカ島も激しい空襲に晒され、多くの市民が焼け出されました」
廊下の所々に台座があり、大きな花瓶には花が盛られて華やかだ。
窓から差し込むやわらかな光の中で、暗い時代の話が続く。
「当初、焼け出された市民はミーリカ神殿に避難しました。セプテントリオー様のご一家は、そこで住民の救護をなさいましたが、キルクルス教徒のテロリストが化学兵器を使用し、誰一人として生き残れなかったのです」
……セプテントリオー呪医はそれでも、モーフ君たち「キルクルス教徒のテロリスト」と話し合おうとしてたんだな。
ファーキルは、彼がどんな思いでソルニャーク隊長たち、ゼルノー市を……職場の市立中央市民病院を焼払ったテロリストと対峙したか、想像しただけでも胸が痛んだ。
呪医セプテントリオーは復讐に駆られず、彼らと共に旅をして、平和を取り戻す活動に参加した。
ファーキルの隣を歩く運び屋フィアールカは、アーテル共和国の一般市民に対して、魔哮砲戦争による夥しい死の報復を実行した。
彼女は、攻撃魔法を行使したワケではない。市場操作で小麦価格を乱高下させ、貧しいアーテル人を経済苦に陥れて、多くの死を招いたのだ。
フィアールカには武力がないが、大勢を殺せる知恵と経済力がある。
もし、呪医セプテントリオーがかつての近衛兵などに声を掛ければ、彼らは喜んでアーテル本土に武力で報復しただろう。だが、彼はそうしなかった。
……呪医はこの家でどんな風に育ったんだろう?
「セプテントリオー様は、ご家族を一度に喪った悲しみの中でも、我々市民を気遣い、この邸宅を避難所として開放して下さいました」
大広間の扉が開かれ、地元のボランティアが掌で示す。
ふかふかの絨緞には花模様が織り込まれ、ここにも呪文や呪印が目立たないように入れてある。
「私たちは、この大広間で毛布を与えられて寝起きしました。蔵を解放して、炊き出しの指示もして下さり、セプテントリオー様のご英断で、多くの市民が餓死を免れたのです」
「また、セプテントリオー様は、元官吏の私めに市長死亡による選挙の実施をお命じになり、市政の立て直しも指示して下さいました」
年配の男性が、遠くを見詰める眼差しで付け加えた。
赤毛で体格のいい記者が、一眼レフカメラでその様子を撮る。
……呪医が役所の仕事を指示するのって、想像つかないな。
呪医セプテントリオーは元公爵だ。
領地の行政を掌った経験があるのだろうが、市民病院の呪医としての彼しか知らないファーキルには、よくわからなかった。そもそも、旧王国時代の貴族が執り行った行政の業務内容もわからない。
ボランティアの女性が、少し誇らしげに当時の状況を語る。
「こちらの客間では、妊婦や負傷者らを収容し、セプテントリオー様が手ずから手当てして下さいました」
「シトレア神官長は当時まだ見習いでしたが、神殿から少し離れた施療院で負傷者の治療に尽力しておられました」
元官吏の男性が付け加えた。
当の神官長は、カミェータたちを案内して先頭を歩く。
「ここは以前、お茶会などに使用されたお部屋ですが、現在は、公爵家の方々の肖像画の展示室として公開しております」
ファーキルたち、一般市民と記者の一部が元官吏の男性に続いてサロンらしき部屋に入る。
入って右手側の壁には家族写真風の肖像画が掛かり、額縁の傍らには案内板が取り付けてあった。
呪医セプテントリオーの祖父母と両親、兄弟姉妹だ。
当時、祖母がミーリカ神殿の神官長を務め、母が当主だった。当主の椅子に腰掛けた母親の腕の中に赤ん坊が抱かれ、幼い呪医セプテントリオーは祖母と手を繋いで立つ。
説明によると、セプテントリオーの弟妹は、先天性の疾患で幼くして亡くなったと言う。
治癒魔法は、後天的なものなら怪我でも病気でも大抵のものを治せるが、先天的なものは治療の対象外だ。
王族でも、ままならないことがあるとわかり、ファーキルは簡潔な解説に胸が痛んだ。
同じ壁面には、セプテントリオーの兄姉が単独で描かれた肖像画が並ぶ。みんな一目で彼の血縁者だとわかる穏やかな顔立ちだ。
……みんないい人そうなのに毒ガスで皆殺しにされるなんて。
ファーキルは腹の底に暗い澱みが産まれるのを感じた。
運び屋フィアールカは、無言でボランティアたちの説明に耳を傾ける。
「カワイイ……!」
一枚の肖像画の前で、ファーキルと記者の声が重なった。赤毛の大男と思わず顔を見合わせて、照れ笑いする。
春の木漏れ日の中で咲く花のように儚げな美少女だ。
王族の身分証である呪杖を手にして、伝統的な長衣を纏う。その薄い胸で【青き片翼】学派の徽章が輝く。男女兼用の長衣に刺繍された呪文や呪印まで、ひとつずつ読み取れる写実的な筆致だ。
案内板を読んで、ファーキルは目を疑った。
運び屋フィアールカも言葉が続かない。
「あ、あら……これ……」
セプテントリオー・ラキュス・ネーニア様。
軍医を拝命。御年二十五歳。
「呪医が美少女……え? 待って? お姉さんじゃなくて? 本人?」
ファーキルは、肖像画と説明を何度も見比べた。
言われてみれば、面影があり、最初の家族の肖像との連続性もある。
だが、ファーキルの頭の中では、どうしても、現在の呪医セプテントリオーと結びつけられなかった。
「君もセプテントリオー様にお目通りしたことがあるのか?」
赤毛の記者に聞かれ、ファーキルは一瞬、躊躇した。運び屋フィアールカに目顔で促されて、正直に答える。
「えぇ。戦時中に難民キャンプの医療支援で凄くお世話になりました」
「うん。俺も戦時中、何回かお目にかかったコトあるけど、驚いたよ。肖像画は二割増しくらいで美男美女に描くって聞いたコトあるけど」
「それはない! 断じてない!」
聞き覚えのある声でファーキルが振り向き、運び屋フィアールカも声の主を見て固まった。
☆クレーヴェル城の研修会で顔を合わせた時……「2783.地主との再会」参照
☆報復を実行……「588.掌で踊る手駒」参照




