3329.【不老の術】
ラゾールニク少佐が帰った後、ロークは生配信の中身を練り直した。
定刻になり、キルクルス教ネモラリス教区を預かるローク・ディアファネス大司教として、ノートパソコンを前に生配信を始める。
「聖なる星の道を歩む皆さん、こんにちは。火曜担当、ラキュス・ラクリマリス王国ネモラリス教区大司教のローク・ディアファネスです」
まずは、星道の職人サロートカに送られた画像と聖典の該当箇所を示して、共通語で聖職者の衣制作の進捗報告をする。
「聖職者の衣は、右袖の刺繍が完成しました。だんだん形になってきましたね」
世界中の信徒たちが直ちに反応し、生配信のコメント欄に一言ずつ共通語で他愛のない感想を書き込む。絵文字を投稿する者も居るが、すべて好意的な反応だ。
キルクルス教の聖典には、呪医と推測できる人物の記述が何カ所も登場する。
ロークは今回の定例生配信で、男性の呪医について記した箇所を読み上げた。
「それでは、前回の続きから共に読みましょう。聖典の第一章第十七節、八十一ページの言葉です。“聖者様は長い旅の途中、人々の営みが僅かに残る町に辿り着きました”」
三界の魔物によって町の多くの部分が滅びましたが、東側には無事な街区が八分の一ばかりありました。
聖者様は、家を失った人々が身を寄せ、助け合う様子をご覧になりました。
この街区に残った魔法で、魔物や魔獣から守られるのがわかりました。
少年がたった一人、壊れた防壁の傍で草を摘むのが見えました。
聖者様が声を掛けると、七つくらいの少年は、手を休めずに答えました。
「薬草を摘んでいるのです。私はこの先、大人になることもできず、もう薬を作ることしかできませんから」
「その薬で、多くの命を救えるではありませんか。あなたは立派です」
「癒しの術を使えなければ、間に合わない命は多いのです」
「癒しの術を使わないのですか」
「男の身であんな目に遭わされるとは思ってもみませんでした」
少年はそれきり何も言わず、薬草を摘み続けました。
ロークは、画面の向こうで三億人近い信徒が同じ箇所を音読する時間を待って、解説する。
「この箇所は従来、勉強中の少年が自分の未熟さを謙遜して言うと解釈されて来ましたが、魔術の知識を得た最新の神学では異なります」
〈どんな解釈なんですか?〉
待ちきれない信徒がコメント欄で催促する。
「まず、“私はこの先、大人になることもできず”ですが、これは、【不老の術】によるものです」
〈【不老の術】って何ですか?〉
〈老化しない魔法があるなら、みんな喜んで掛けてもらうと思うんですけど〉
〈永遠の若さが手に入るって凄くないですか?〉
〈権力者が欲しがりそうって言うか自分も欲しい!〉
〈もしかして、魔法使いの長命人種ってその魔法を使ってるとか?〉
共通語話者の反応は、ロークの予想通りだ。
「以前、“治癒魔法の多くは未婚であることが術者の身体条件である”とお話をしましたが、憶えていますか?」
世界中で生配信を視聴するキルクルス教徒たちが、一斉に肯定のコメントや絵文字を投稿した。
全員が憶えているとは思わないが、そこそこの手応えを感じて説明を続ける。
「この【不老の術】は、子供の成長を止める魔法です。現在は、魔法使いの国際組織“霊性の翼団”に禁呪指定されています。また、魔法文明圏の国々では、人道上の見地から、数百年前に条約でも禁止しました」
〈それってもしかして、結婚したがらないように?〉
〈子供のままって、未来を奪うってことですよね?〉
〈そりゃ禁止されるわ〉
「身体が術に適合しない場合、発動した瞬間に死んでしまう危険な魔法ですが、適合者が長命人種なら、幼い子供の姿のまま千年近く呪医として働けます」
〈怖ッ!〉
〈想像以上にヤバい魔法だった〉
〈悪しき業じゃないですか〉
「かつての魔法文明圏で呪医になるのは、生まれつき子孫を残せない身体の者以外は、孤児が大半を占めました。その他、王族や貴族などで、子孫を残されると継承問題が発生する立場の子も、呪医として育てられました」
〈酷い人権無視〉
〈そりゃ禁止されるわ〉
〈弱い立場の子を悪しき業の餌食にするとか、魔法使いはこれだから〉
「恐らく、この少年は幼い頃に【不老の術】で成長を止められた大人です。壊れた防壁の傍で薬草摘みすることから、まだ魔力があって自力で身を守れたことがわかります。また、“もう薬を作ることしかできません”と“男の身であんな目に遭わされるとは”との発言から、性的暴行を受けたことが窺えます」
コメント欄が静かになる。
ややあって、慎重に言葉を選んだ投稿が現れた。
〈同性でもダメなんですか?〉
「治癒魔法を行使する身体的条件は、同性が相手でも失われます。魔法文明圏では、極限られた条件ではありますが、男性でも出産が可能だからではないかと推測されます」
〈ちょっと待って!〉
〈情報量多いです!〉
〈男が子供産めるとか、悪魔の所業じゃないですか〉
〈魔法文明圏って同性婚で子孫を残せるんですか?〉
「妊婦が死亡して胎児がまだ生きている場合、【子産す父】の術で胎児を実の父親の腹腔に移して続きを育てて、帝王出産で命を助けられます」
〈流石に男同士で子作りできるワケじゃないんだな〉
〈魔法でも男がイチから産むのは無理かーそっかー〉
〈奥さんと子供を同時に亡くさなくて済む魔法なんだな〉
〈それなら、人命救助だから悪しき業じゃなさそう〉
〈その魔法があったら俺も一人にならなくて済んだのに〉
〈実の父親限定?〉
〈不発だったら奥さんの不倫がバレる魔法か……スゲぇ〉
ロークはコメント欄のざわつきを置いて、最新の神学の解説を続ける。
「この少年が壊れた防壁の傍、つまり、魔物や魔獣に襲われる可能性のある場所に一人で居ることから、三界の魔物による襲撃後も魔力を保持し、身を守る魔法を使えることが窺えます」
〈魔力があっても条件を満たさなくなったから、呪医の仕事ができなくなったってコトですか?〉
〈それで薬草摘みの仕事を?〉
〈薬は作れるって言ってんじゃん〉
〈三界の魔物のせいで魔力がなくなったからとかじゃなくて?〉
「恐らく、この少年は、術と薬を組合せて癒やす呪医だったようです。薬を作る魔法には身体的条件がないので、薬師に転向したのだと推測できます」
三界の魔物がチヌカルクル・ノチウ大陸西部に到達した後、魔法使いの国際組織「霊性の翼団」が結成され、術を学派に分けて効率よく学べる体制を構築した。
聖者キルクルスが誕生したのは、最初に創られた最大の三界の魔物が封印される少し前だ。
聖典の書かれた時代には、既に各学派に分かれていたが、聖典には学派を象徴する鳥の細密画はあっても、名称は一度も登場しない。
「多くの治癒魔法は、呪医の同意があろうがなかろうが、相手の性別も全く関係なく、性行為によって発動の身体的条件を失います」
〈でも、そんなコトしたら、以前のお話にあったナントカの乙女の魔法って言うか、呪いが発動しますよね?〉
〈ショタホモ野郎はアレが腐り落ちて、声が出なくなって、どっかで死んだってコト?〉
〈わかってて何で手ぇ出したし〉
〈理性が吹き飛ぶレベルの美少年だった可能性〉
〈でも、身内も全滅するってわかっててヤるとか、ないわーマジないわー〉
〈三界の魔物にみんな殺されて、自棄になってたのかも〉
〈自棄になったからってあんまりじゃね?〉
〈孤独は人を狂わせるんだよ〉
〈でも、医者ヤったら他の人も助からなくなるんだぞ?〉
〈自分が不幸だからみんなも不幸になればいいって奴、よく居るよな〉
〈まだ治癒魔法使える貴重な医者を……勿体ない〉
〈呪い云々じゃなくて住民の私刑で死んでそう〉
ロークが治癒魔法の身体的条件を改めて強調すると、共通語圏の信徒たちはやや下品な言葉を交えてコメントを書き込んだ。
〈じゃあ、例の動画の女兵士、嘘吐きなんだ?〉
〈あぁ……ディアファネス大司教様の生配信見てたらあんなん言わないよな〉
最近、共通語圏で話題沸騰中の動画と絡めた投稿も散見されたが、ロークは敢えてその件には触れずに生配信を終えた。
☆胎児を実の父親の腹腔に移して続きを育て……「1506.潜在需要発掘」参照




