3327.取り得る対策
「大司教様にお客様です。お約束はございませんが、ラゾールニクと言えばわかるとおっしゃっておられるのですが、どうされますか?」
朝の礼拝が終わったばかりの時間帯で、クレーヴェル教会の事務員が申し訳なさそうに告げた。
居合わせたキルクルス教ネモラリス教区信徒会の男性が、どうしたものかと若い大司教を見詰める。
知合いなので、教会の執務室に通してもらう。
「ラゾールニクさんですか。彼はフリージャーナリストなので、神出鬼没なんですよ」
「フリーの記者でも、取材の予約くらいするものだと思いますが」
事務員が眉を顰める。
「彼はそう言う人だから」
ローク・ディアファネス大司教が苦笑してみせると、信徒会の年配の男性は諦めた顔で退室した。
予想通り、ラゾールニクは戦時中と同じフリージャーナリストに扮して現れた。
ロークがシポーブニク大佐に身体を乗っ取られた時の記憶によると、彼はラキュス・ラクリマリス王国軍の電脳軍に所属する情報将校だ。
事務員が先客の食器を片付け、新しい紅茶を置いて出た。
ラゾールニク少佐が、執務室の扉に手を当てて力ある言葉で呪文を唱える。【防音】の術だ。
ロークはかつての仲間に親しみを籠めて声を掛けた。
「お久し振りです。この人はどうしましょう?」
執務室に残ったのは、ローク・ディアファネス大司教とラゾールニク少佐、白黒のハチワレ猫だけだ。
斑猫は、ラキュス・ラクリマリス王国政府につけられた監視員の使い魔で、今日もロークの膝の上で寛ぐ。
「彼にも聞いてもらった方がいいだろう」
ラゾールニク少佐が、あくびする猫を見て言う。
猫は口を閉じて少佐を見上げた。
ロークも居住まいを正してラゾールニクに注目する。執務机のノートパソコンには、ユアキャストの画面が表示されたままだ。
二人は応接机と執務机に分かれて座り、斑猫は聖典を避けて執務机の端に座り直した。
「ローク君のことだから、もう知ってると思うけど、セプテントリオー呪医を冤罪で告発する動画、見た?」
「えぇ……昨夜のニュースで知って、視聴しました」
「流石だな。話が早くて助かるよ。魔法文明圏の人なら、彼女の告発が真っ赤な嘘だって一瞬でわかるけど、キルクルス教徒にはわかんないのが困りものだな」
「えぇ……大勢が騙されて投げ銭してますね。政府の対応は、あの記者会見だけですか?」
ロークはラゾールニク少佐を窺って慎重に質問した。
「外務省がユアキャストの運営会社に抗議したし、動画の削除依頼も出したんだけど、今のところ会社側の動きはないね」
「そうですよね。まだ視聴できますもんね」
ロークはパソコンの画面に視線を戻した。
コメント欄には、投稿者の女性への同情と気遣い、呪医セプテントリオーに対する罵詈雑言が溢れる。ラキュス・ラクリマリス王国に対する制裁を云々するコメントまであった。
「役所の人が、一般視聴者のフリして私物の端末でコメント欄に【白鳥の乙女】の説明を書き込んだり、ユアキャストの通報窓口に詐欺だって通報したりしたんだけど、コメントは速攻で削除されたし、通報にも反応がないんだ」
「彼女の嘘を指摘するコメントは、どんなものでも、リロードする度に片っ端から削除されてましたね」
ロークは勿論、それを見越してスクリーンショットを撮っておいた。
ファーキルもこの件を知ったなら、同じことをするだろう。
「政府としては、正規の窓口から穏便に打てる手は全部打ってみたけど、無視されてる感じだな」
ラゾールニク少佐が苦笑する。
斑猫が大きく振ったしっぽで執務机を叩いた。
「虚偽の告発で投げ銭を詐取する刑事事件だと思うんですけど、バルバツム政府は動かない感じですか?」
「今ンとこ、動きはないね」
ラゾールニク少佐は短く答えた。表情だけでは、調査予定の有無はわからない。
「この件って、セプテントリオー呪医は」
「租借地の病院からお城に帰られてすぐ知らされて、驚いてらしたよ」
「でしょうね。大丈夫ですか?」
「うーん……まぁ、今日のお昼のニュースで発表するし、いいかな? それまで黙っててくれる?」
ラゾールニク少佐は少し迷う素振りを見せたが、ロークの目を見て念押しした。
「はい。勿論です。何なら【制約】とかしてもらってもいいですよ」
「ローク君を信じるよ」
少佐は紅茶を一口啜って続けた。
「動画の対応をどうするかって会議の最中に倒れてしまわれてね」
「えぇッ? 大丈夫なんですか?」
「命に別状はないよ。昨日は租借地の傍に物流倉庫並にデカい鱗蜘蛛が出て、その駆除で現場に出たのもあってお疲れで……って言うか、そもそも終戦からこっちずっと三百六十五連勤だったから、過労で限界だったんだろうね」
「あぁ……あぁぁぁぁぁ……!」
ロークは呪医セプテントリオーの過重労働を想像し、言葉にならない声を上げて頭を抱えた。
呪医セプテントリオーは戦時中、アミトスチグマ王国のマリャーナ宅で居候した頃も、難民キャンプの医療支援に尽力した。マリャーナが支援の打切りをチラつかせて、かなり強硬に休みを取らせたから、毎週日曜は夏の都で過ごしたが、そうでなければ、難民キャンプに入り浸り、三百六十五連勤状態で昼も夜もなく治療を続けただろう。
薬師アウェッラーナも、ネモラリス島北東部の農村地帯で麻疹が流行した時、魔力切れで倒れるまで治療薬を作り続けた、と報告書で読んだ。
彼らは責任感が強く、「自分が休んだら患者が死ぬ」との思いから、自分の身を擲ってしまうのだ。
ラゾールニク少佐が単刀直入に聞いた。
「で、ローク君の方でも、何か対応って考えてたりする?」
「はい。今日の定例生配信で、虚偽告発動画の件には触れませんが、聖典の記述に絡めて【白鳥の乙女】の説明をもう一度しようと思っています」
現状、キルクルス教の聖職者であるロークにできる精一杯のことだ。
「うん。そのくらいで頼むよ。あんまり王族を擁護すると、共通語圏の信者から買収を疑われかねないからね」
「気を付けます」
ロークが応じると、ラゾールニク少佐は話題を変えた。
「信者の人たちの様子はどう?」
「例の動画のせいで、またキルクルス教徒が迫害されるのではないかと心配する人が増えています」
先程、教会の執務室を訪れた信徒会の男性も、その一人だ。既に彼の元には、心配する信徒たちから相談が舞い込んだと言う。
ラゾールニク少佐は当然だと頷いた。
「ウチの国のキルクルス教徒は、魔法文明圏の常識とか説明済みだから、あの動画を信じる人は居なさそうだけど、手近なサンドバッグではあるよね」
「そうですね。投稿者を呪わないように釘を刺した政府の対応は当然だと思いますが、その分、どこか他の部分でガス抜きできないと、国内の信徒が標的にされそうなんですよね」
「昨日の今日で、教会に何かあった?」
「今のところ無事ですけど、また生ゴミをぶちまける人とか来そうです」
そうは言っても、まだ午前九時台で、今日は平日だ。
「警察に巡回増やすように言っとくよ」
「よろしくお願いします」
その警察官も、手近なキルクルス教徒に恨みをぶつけるタイプの人物なら、見て見ぬフリをされそうだが、ロークにも、それ以上の対策を考えつけなかった。
☆聖典の記述に絡めて【白鳥の乙女】の説明……「3139.解釈の見直し」「3140.生配信で導く」参照
☆生ゴミをぶちまける人……「3135.ロークの憂鬱」参照




