3326.遠方への出張
保健省の病院部長が小さく手を挙げ、陸の民のグリツィーニヤ第二王女に言う。
「畏れながら申し上げます。確かに、我が国とバルバツム連邦は正式な国交がございません。しかし、アーテルに派遣された魔獣駆除特別支援部隊でしたら、ルスタートル司令官個人に直接、連絡できる体制がございます」
「何故です?」
「医療費の支払いがあるからでございます」
疑問を向けられ、緑髪の病院部長が一同を見回してすらすら答える。
「我が国とアーテル政府との協定で、租借地に面した道路上で発生した負傷者につきましては、我が軍の租借地駐留部隊が救助にあたり、租借地の病院で治療することになっております」
「そうでしたね」
黒髪のグリツィーニヤ第二王女が思い出した顔で頷く。
「その道路上で発生した負傷者は、アーテル人でもバルバツム人でも、分け隔てなく治療致します。しかし、バルバツム連邦政府は、租借地の病院に支払う医療費の予算を計上しておりません。ルスタートル司令官が見兼ねて、個人的に部下の医療費を立替えております」
「何ですって? バルバツムの為政者は兵士の命を何だと思っているのです!」
グリツィーニヤ第二王女が憤る。
「司令官一人ではなく、バルバツム兵の有志やその家族、退役軍人、慈善活動家や、彼らに共感したバルバツムの一般人などが、クラウドファンディングで資金を集め、また、自宅の庭で薬草を栽培、あるいは中古の銀器などを買い集めて医療費の支払いに充てております」
「そうなのですね」
「司令官は集まった資金でオリーブ油やサファイアなどを買い集め、租借地の病院への支払いに充てております」
ラキュス・ラクリマリス王国軍の情報収集室に所属する魔装兵ルベルは、バルバツム連邦軍に関する公開情報をインターネットで集めて既に知っているが、その事務を担当する部署から直接話を聞くのは初めてだ。
「バルバツム兵が租借地の病院に搬送された場合、彼らの認識票番号と負傷の程度、医療費の概算を医療秘書官が当日中にメールで伝えます」
「成程。バルバツム軍は、我が国とアーテルの協定のおこぼれに与っているのですね」
グリツィーニヤ第二王女が納得し、外務大臣の二人も頷いた。
ラゾールニク少佐が挙手して発言する。
「今回は、そのホットラインも使用致しますが、現地にも人を派遣して状況を確認しようと思います」
「何故、アーテルまで見に行く必要がある?」
アル・サダイク国王が首を傾げる。
「いえ、行き先は、バルバツム連邦です」
「何ッ?」
……え? まさか、俺?
魔装兵ルベルはイヤな予感がした。
ウヌク・エルハイア将軍が頷く。
「戦前から現地に植付けた間諜は、まだ作戦行動中だ。新たな足場として、バルバツム兵リグヌムの兄リゴーの家も使えるだろう」
「リグヌムとは何者ですか?」
シェラタン女王も知らないらしい。
魔装兵ルベルは、聞き覚えのある名の記憶を手繰った。
レーグルス王子が開発した脳解毒薬の治験で、重大な副作用が出たバルバツム兵だ。脳が初期化され、兄のリゴーが引き取って育て直すことになった。
「レーグルスが開発した薬の副作用で、脳が赤子に戻った兵士だ」
「あぁ……あの」
一同、ウヌク・エルハイア将軍の一言で納得する。昨年、国内外で大きなニュースになったからだ。
「契約で損害賠償は禁じたが、生活の扶助として、我が軍から女性の魔装兵を一人、使用人として送り込んだ。普段は力なき民のフリをするが、人目を忍んで魔法で家事をこなし、彼らの暮らしを助けておる」
「兄の一家は、口が堅いのですか?」
シェラタン女王が聞く。
いざとなれば、【制約】などで情報漏洩を封じられるが、そこまでする気はないらしい。
「兄夫婦には第一子が産まれたばかりだ。赤子の子育てに弟の介護と育て直しが加わって、苦戦しておる。訳あって両親には頼れぬそうだ。彼女が引き揚げれば、たちまち生活が回らなくなるであろう」
「成程……魔装兵であることは、知っているのですか?」
「兄には教えたが、兄が自分の妻に伝えたかは未確認だ」
ラゾールニク少佐が、にっこり笑って発言する。
「で、ラズートチク少尉は医療秘書官と一緒にルフスに行って、ルスタートル司令官に直接聞いて、ルベルは俺と一緒にバルバツムに行って欲しいんだけど、いいかな?」
「了解」
「あの……バルバツムで何をするんでしょう?」
ラズートチク少尉は即答したが、ルベルには不安しかない。
「まずは模型趣味の間諜のとこに行って、インターネットでは得られない情報を集めるんだ。俺も一緒に行くし、間諜も居るから心配しなくていい」
「えっと……リグヌムの家は、どう使うんですか?」
「連邦内の別の共和国にあるから、そっちでの情報収集に使うよ」
「大丈夫なんでしょうか? 俺、悪目立ちすると思うんですけど」
魔装兵ルベルは大柄で、地元のアサエート村以外の場所ではどこへ行っても頭ひとつ分背が高い。加えて、燃えるような赤毛と厳つい顔立ちで印象が強く、一目で顔を覚えられてしまう。
顔は【化粧】の首飾りで変えられても、体格は変えようがない。
「大丈夫だ。バルバツム人は縦にも横にも大きい人が多いから、ルベルの体格でも目立たないよ」
「は?」
ラゾールニク少佐に言われ、ルベルは思わず声が漏れた。
少佐がシェラタン女王とアル・サダイク国王に身体ごと向き直って言う。
「この動画は恐らく、政治的な宣伝戦略です。どの勢力が何を目指して実行したか、見極める必要がございます」
「そうですね。お願いします」
シェラタン女王は、ラゾールニク少佐の作戦に許可を与えた。
ルベルのバルバツム連邦への出張が確定する。
ゴルテーンジヤ外務大臣が、緑髪のシェラタン女王に視線を定めて質問した。
「それで、セプテントリオー様ご本人への伝達は、いかが致しましょう?」
「そうですね……彼にとって全く心外でしょうが……知らせずにいて、後で他の者から伝わるよりは、早い段階で知らせた方がいいでしょうね」
シェラタン女王が額に手を当てて考え込む。
……当事者なのに教えてもらえなかったらそれはそれで傷付くけど、これ知らされてもショックで寝込みそうだよな。
魔装兵ルベルは、戦時中に数回しか呪医セプテントリオーと対面したことがないが、春の陽だまりのように穏やかな雰囲気の人物で、凡そ、争い事が得意なようには見えなかった。
「病院部長、セプテントリオーが租借地から保健省の事務室へ戻り次第、あなたの口から知らせてあげて下さい」
「ひぃッ、は、はい、御意に」
病院部長は気が重い役を負わされ、踏み潰された蛙のような顔で応じた。
シェラタン女王が、外務大臣の二人と外務次官に向き直る。
「記者会見を開いても、星光新聞など、キルクルス教圏で広く読まれる新聞は、取材に来ないでしょう。ディアファネス大司教に協力を要請して下さい」
「御意」
「では、出発前に私が大司教に連絡致します。彼のことですから、既に気付いて何か手を打った可能性がありますが、念の為」
ラゾールニク少佐が請合い、取敢えず、この場は解散した。
☆模型趣味の間諜……「1479.間諜の植付け」参照




