3325.虚偽への対応
ついこの間、近衛兵ヨージとエヂナロークに端を発したSNSの不適切利用対策が終わったばかりで、またこんな問題が持ち上がり、魔装兵ルベルは頭が痛くなる思いがした。
……今度の残業三昧、何カ月だろ?
ラキュス・ラクリマリス王国軍総司令本部情報収集室専任の一般兵リョスが、密議の間を訪れるのは、これが初めてだ。ルベルと共に幾つもの【認証】の扉を越えて、警備兵が守る重厚な扉の前に立つ。
リョスは既に足が震えて喋るどころではない顔色だ。
魔装兵ルベルは、年下の先輩の肩をそっと叩いて促した。
「リョス、用件」
「は、はい! えっと、緊急事態であります!」
「緊急事態?」
扉を守る警備兵が怪訝な顔をする。
「おっ王族のッせっせぷセプテントリオー様をありもしない罪を捏造して糾弾する共通語の動画が公開されています」
リョスは、話し始めると勢いがついて、すらすら言葉が出た。
「え……?」
「どんな?」
金髪の一般兵リョスは震える手で、タブレット端末に表示したままの動画を再生させた。
ユアキャストの枠の中で、都市迷彩を着た金髪の若い女性が、共通語で切々と苦しみを訴える。
「あ、ごめん。俺、共通語わかんないんだ」
「俺も」
「色々言ってますけど、一言でまとめると……バルバツム軍の部隊が租借地で魔獣に襲われて、我が軍の駐留部隊に救助されて、仮設病院で治療を受けて、医療費の対価として彼女がセプテントリオー様に物納された……みたいな」
「は?」
リョスは言葉を濁したが、二人は意味を正確に理解した顔で額に青筋を立て、端末の画面を睨みつけた。
緑髪の警備兵が勢いよく身を翻して扉を叩く。
「緊急事態です!」
ややあって、密議の間の扉が開いた。
顔を出したのは、ラズートチク少尉だ。部下二人を見て驚く。
「何があった?」
リョスが早口で説明しながら端末を向ける。
扉の隙間から、会議に出席した面々がこちらに目を向けるのが見えた。
ラズートチク少尉が溜息混じりに聞く。
「……外務省に連絡は?」
「イユーリ先輩が行きました」
「ちょっと待ってろ」
ルベルが答えると、ラズートチク少尉は密議の間に入って扉を閉めた。
少尉が、ウヌク・エルハイア将軍とラゾールニク少佐を伴って出て来た。
将軍の全身から滲み出る怒りに圧倒され、ルベルは声も出ない。実家周辺の魔獣駆除や魔哮砲戦争での実戦で、何度も死を覚悟する場面はあったが、これ程までに恐怖を感じたことはなかった。
力なき民の一般兵リョスを見ると、顔から血の気が引いて今にも倒れそうだ。
「あ、ちょ、リョス、大丈夫か?」
リョスは、ラゾールニク少佐に声を掛けられたが、言葉もなく震えるばかりだ。
「それが……件の動画か?」
ウヌク・エルハイア将軍は、ひとつ深呼吸して怒りを鎮めて聞いた。
リョスが首振り人形のように頷いて端末を差し出す。
将軍は動画を最初から最後まで視聴して、端末を返した。傍らで、ラゾールニク少佐が自分の端末に同じ動画を表示させる。
「よくぞ報せてくれた。ご苦労であった。持ち場に戻ってよい」
「は、はいぃッ!」
リョスは定規を入れられたように背筋を伸ばして敬礼した。ルベルも彼に倣う。
「ルベルは俺たちと一緒に来て欲しいな」
「えッ?」
ラゾールニク少佐に声を掛けられ、魔装兵ルベルは足を止めた。一般兵リョスが不安げに振り向く。
「リョスは戻っていつもの仕事の続き」
「は、はいッ!」
リョスは端末を握って廊下を駆けて行った。
「シェラタン女王と外務省を交えて対応を協議する」
ラゾールニク少佐、ラズートチク少尉、魔装兵ルベルは、言葉もなくウヌク・エルハイア将軍に従う。
女王の執務室に入ると、外務次官が私物のタブレット端末で同じ動画を再生するところだった。
ウヌク・エルハイア将軍が声を掛ける。
「どうやら、同じ用件のようだな」
「では、軍もこの動画を」
「うむ……よりによってセプテントリオーに斯様な冤罪を着せるとは」
将軍が女王に頷き、再び怒りに身を震わせると、外務次官が震えあがった。
ノックと同時に声が掛かる。
「保健省の病院部長でございます。火急、お報せ致したい件がございます」
「入りなさい」
女王が許可すると、病院部長が背を丸めて入室した。
内線が鳴り、シェラタン女王が自ら受話器を上げる。
「アル・サダイク陛下の方にも、保健省から連絡があったそうですが」
女王が受話器の送話口を手で押え、病院部長に聞く。
病院部長は、額の汗をハンカチで拭いながら答えた。
「は、はい。私めが指示致しました」
「では、ラクリマリス城で協議しましょう」
シェラタン女王が電話に答え、受話器を置いた。
魔装兵ルベルは、何故、呼ばれたのか理由を知らされないまま、ネモラリス島のクレーヴェル城から、フナリス群島のラクリマリス城へ移動した。
シェラタン女王の近衛兵は何も知らされなかったらしく、平常心だ。王家への忠誠心の篤い彼らがこんな事件を知ろうものなら、それこそ、個人的にあの推定バルバツム人女性に呪いを掛けかねない。
ラクリマリス城の密議の間に通される。
シェラタン女王、アル・サダイク国王、グリツィーニヤ第二王女、ウヌク・エルハイア将軍、ラゾールニク少佐、ラズートチク少尉、外務大臣のゴルテーンジヤとリューチク、緑髪の外務次官、保健省の病院部長、魔装兵ルベルの順で入室した。
魔装兵ルベルは、ウヌク・エルハイア将軍の命令で席に着き、近衛兵たちは壁際に控える。
「まず、ダウンロードした動画をご覧下さい」
ラゾールニク少佐が、タブレット端末で動画を再生させる。
案の定、壁際に並んだ緑髪の近衛兵たちが怒りを漲らせた。
「落ち着きなさい。政府として対応しますので、決してあの女性を個人的に呪わないように」
「御意」
近衛兵たちは、シェラタン女王に窘められ、怒りを引っ込めた。
リューチク外務大臣が小さく手を挙げて発言する。
「まずは穏便に、外務省からユアキャストの運営会社に連絡致しますか?」
「そうして下さい」
シェラタン女王が頷くと、緑髪の近衛兵たちは不満も露わにリューチク外務大臣を睨みつけた。
緑髪のゴルテーンジヤ外務大臣も発言する。
「並行して、外務省の公式サイトに件の動画の内容を否定する声明文を掲載し、記者会見を開きましょう」
「そうして下さい」
「内容はどうする?」
陸の民のアル・サダイク国王が、湖の民のゴルテーンジヤ外務大臣に聞いた。
ラキュス・ネーニア王家のシェラタン女王とウヌク・エルハイア将軍が同時に溜息を吐く。
ゴルテーンジヤ外務大臣は、緑髪の王族二人に視線を向けて答えた。
「湖南語と共通語で、【白鳥の乙女】の説明を致します。また、個人的に呪いを掛けないよう、臣民と信徒に釘を刺します。病院部長、セプテントリオー様は本日も、病院で治療に当たっておられますね?」
「は、はい! 本日は、租借地の仮設アルブム港湾病院にて、巡回診療なさっておられます」
「では、まだ、本人の耳には入っておらんな」
ウヌク・エルハイア将軍がやや怒気を和らげた。
保健省の病院部長が小さく手を挙げ、背を丸めて発言する。
「あ、あの、僭越ながら、部下の一人が個人的にアカウントを作成致しまして、コメント欄に虚偽である指摘を書き込み、別の部下もユアキャストの通報窓口から、一般の閲覧者のフリで虚偽による名誉棄損で通報致しました。あ、それから、外務省にも連絡致しました」
「情報収集室からも、外務省に連絡しました」
魔装兵ルベルも小さく手を挙げて追加する。
「それは、いつですか?」
シェラタン女王がほんの僅か、表情を緩めた。
「情報収集室は十二時になる少し前です」
「保健省は、お昼休みが始まって……十分ばかり経った頃です」
「えぇっと……それでは、私が気付いて陛下にお報せに上がったのと入れ違いですね」
外務次官が、魔装兵ルベルと病院部長に目を向けた。
……イユーリ先輩は怒られずに済んだみたいだな。
ラキュス・ラクリマリス王国軍ネモラリス島方面総司令本部は、クレーヴェル市の防壁の外にある。防壁前まで【跳躍】し、市内の許可地点まで徒歩などで移動して【跳躍】する。城内の事務棟も広い為、時間が掛かったのだ。
リューチク外務大臣が気を揉む。
「バルバツム連邦への働き掛けは、いかが致しましょう?」
「そうは言っても、我が国とは、国交がありませんからね」
グリツィーニヤ第二王女が眉間に縦皺を刻んだ。
☆近衛兵ヨージとエヂナロークに端……「2943.SNSでの顔」~「2947.世界に筒抜け」参照
☆SNSの不適切利用対策……「2948.情報を深掘り」~「2950.面倒臭い任務」参照
☆【白鳥の乙女】……「0108.癒し手の資格」参照




