3322.医者の不養生
呪医セプテントリオーは医官の顔色を窺いながら聞いた。
「えーっと……病院を選んだ場合、どこに」
「病院では、救急外来などを手伝いに行ってしまわれます」
近衛兵ジャドに断言され、セプテントリオーは反論できなかった。他の近衛兵四人と医療秘書官ヂェーニも揃って首を縦に振る。
呪医セプテントリオーは【飛翔する梟】学派の医官の表情から、完全に静養しなければ命に関わるのだろうと察し、不承不承答えた。
「自分の部屋で」
「暦の上での“休日”のように事務仕事をするのも禁止です」
医療秘書官ヂェーニに先回りされ、呪医セプテントリオーはぐっと詰まった。
「……しかし、それでは、ヴェスペルゴ殿下に引継ぎが」
「私が致しますのでご安心下さい。御身の診療データはすべてデータベースに登録済みです。本日の分も、そろそろデータの複写が終わった頃でございます」
医療秘書官ヂェーニが、外部接続用のノートパソコンに目を遣って言う。
彼は、暦通り休日を取る。
土日祝日の電子カルテ作成業務は、他の医療秘書官が入るので休めるのだ。
対して、熟練の呪医は半世紀の内乱と今回の魔哮砲戦争で多くが命を落とし、育成にはまだまだ時間が掛かる。
終戦から七年経ち、医療系魔法の徽章を得て医大を巣立った者が、独り立ちして臨床の現場に出る時期を迎えたが、この道四百年以上のセプテントリオーとは比較にもならない。
官僚ボリスの曾孫ヴェスペルゴ王女は、まだ学生の身だ。徽章を得るには、卒業までに治癒魔法による治療実績を積まなければならない。
病院部長が医官とセプテントリオーを交互に見て言った。
「ご心配でしょうが、巡回診療先の各病院の【青き片翼】学派の呪医や院長が、ヴェスペルゴ王女殿下の指導に当たりますので、引継ぎもその時になされます。是非とも、お仕事から完全に離れて、お部屋でご静養下さい」
「お部屋の方がご心労が少なそうですし、その方がよいでしょう」
医官の一言で、近衛兵が改めて【操水】を唱え、水の担架を廊下に出す。
医官が外務大臣の二人に向き直った。
「当面の間、ご心労を避ける為、例のお話は控えて下さいますよう、お願い申し上げます」
「致し方ありません」
「両陛下には、我々からお伝え致します」
外務大臣のリューチクとゴルテーンジヤが、セプテントリオーに申し訳なさそうな目を向けた。近衛兵たちが【操水】で水の担架を動かした為、言葉を交わす間もなく大臣二人から引き離される。
廊下の途中で医官と別れた。彼は調剤室へ向かったのだ。
セプテントリオーは、すれ違う官僚たちの不安な視線を浴びながら、水の担架でクレーヴェル城の居住区に運ばれた。
クレーヴェル城はウヌク・エルハイア将軍の居城で、セプテントリオーは一室を与えられた居候の身だ。ミーリカ島にある実家に帰るつもりはなく、同市に寄付した。間もなく郷土資料館として一般公開される。
廊下に控えた夜勤の近衛兵が、私室の扉を開けた。
日勤の近衛兵が【操水】で水の担架を部屋に入れる。
女官たちが既に寝床を整え、壁際で不安な顔を並べる。
どうやら既に連絡があったらしい。
ジャドたちが、水の担架からセプテントリオーを慎重に寝台へ移す。
ストレッチャーのように上体をやや起こした水の担架から、平らな寝台へ移されると、途端に息苦しさを覚えた。
……本当に……心臓が弱ってしまったのだな。
近衛兵ラシーハが、壁際に控えた女官に指示する。
「寝巻へのお召し替えのお手伝いをお願いします」
「畏まりました」
女官の一人が小さな箪笥に向かう。
「いえ、結構です。着替えはいつも自分でしていますし」
「まだ治療を受けておられないのですから、ご無理は禁物です」
呪医セプテントリオーが寝台の上で半身を起こしかけると、近衛兵ジャドに肩を押さえられた。
女官の一人が顔色を変え、近衛兵ラシーハに聞く。
「そんなにお加減が?」
「あの……私たち、先程、ヂェーニさんから内線で、セプテントリオー様がもうお休みになられるとしか」
「先程、会議室で胸に違和感を覚えられ、医官が【見診】したところ、狭心症だと」
ラシーハの答えで、女官たちが声にならない悲鳴を上げる。
呪医セプテントリオーは、患者を安心させる時の微笑を部屋付きの女官三名に向けた。
「大丈夫ですよ。極軽いものですし、今、医官が調剤室で薬を作っていますし」
「さ、左様でございますか?」
「でも、お大事になさるに越したことはございません」
「私共を安心させる為と思って、今はお任せ下さいませんか?」
湖の民の女官たちに心配され、セプテントリオーは諦めて応じた。
「あ、ジャドたちは夕飯がまだでしたね。遅くなってすみません。夜勤と交替して下さい」
「お薬を服用なさるまで、お部屋に留まらせていただいても構いませんか?」
近衛兵テーメニに泣きそうな顔で聞かれた。
呪医セプテントリオーは、書き物机の上にある古い時計に目をやって言う。もう九時前だ。
「しかし、おなかが空いたでしょう?」
「大丈夫です」
「お傍にあまり大勢で控えては気詰まりです。病状はまた明日、医官に聞けばよろしい」
年嵩の女官にぴしゃりと言われ、この隊で最年少のテーメニが、叱られた子犬のような目でセプテントリオーに縋る。
セプテントリオーは溜息交じりに命じた。
「今日は大型魔獣の討伐もありましたし、きちんと食事を摂って、早く休んで下さい」
「御意」
近衛兵ジャドが応じ、テーメニの手首を掴んで廊下に連れ出す。彼らに続いて残る三名も退室した。
入れ替わりに夜勤の近衛兵が入る。
セプテントリオーが近衛兵に支えられて寝台に半身を起こすと、女官たちは手際よく軍医用の赤い刺繍入りの白衣を脱がせ、ベルトを緩めた。
それだけでも、一気に魔力の消費が減って楽になる。
……そんなに弱ってしまったのか。
セプテントリオーは衰弱の自覚がなかったことに愕然とした。
寝巻への着替えを誰かに任せたのは、幼い頃以来だ。
下着姿になったところで、女官が【操水】を唱え、ぬるま湯に浴用の薬草を浸して身体を下着と一緒に洗う。
他人が操る湯で洗われるのも、数百年振りだ。
セプテントリオーは思春期以降、身体の秘密を知られるのがイヤで、普通の貴人たちが使用人に任せる身の回りの世話を拒絶してきた。
この程度なら知られることはないが、長年、自分でしてきたことを任せるのは、それだけで落ち着かない気分になる。
女官の手で、ゆったりした寝巻を着せられた。最低限の【魔除け】【耐寒】【耐暑】【耐衝撃】だけを刺繍したものだ。
廊下に控えた近衛兵が声を掛け、先程の医官がワゴンを押して入室する。
「お待たせ致しました」
「時間外に有難うございます」
「いえ、御身が第一ですから」
セプテントリオーが、処方された魔法薬の薬湯を飲み干すと、【飛翔する梟】学派の医官は改めて【見診】を掛けた。先程より時間をかけてじっくり診察する。
「率直に申し上げますと、医者の不養生でございます」
セプテントリオーは、返す言葉もない。
医官はワゴンに置いた空の紙コップを見て続けた。
「これから一週間、毎日、食前に同じ薬湯を処方致します」
「一週間も?」
セプテントリオーは驚いた。
「作用の穏やかな魔法薬で、様子を見ながら少しずつ減らしてゆきます」
「狭心症の患者さんは、魔法薬の処方から三日程度で退院していましたが?」
セプテントリオーは、これまでの病院勤務で得た知識で反論したが、医官は患者となった呪医の目を見て応じた。
「なりません」
「何故です?」
「強い薬で一気に治療を進めれば、御身はまたすぐにご無理をなさいますから」
「しかし」
「なりません」
医官はセプテントリオーに皆まで言わせず、寝台に横たわらせた。
先程のように息苦しい感じがしない。彼は作用が穏やかな魔法薬だと言ったが、即効性はあるようだ。
「明日は朝食の時間までゆっくりお休みになられて、服薬後、軽めに召し上がって、それから」
「今夜のお食事もまだでございます」
「えッ……?」
年嵩の女官が口を挟むと、医官はセプテントリオーにあり得ない物を見る目を向けた。
「あの……お夕飯が、まだ、お済みでない……と? 食欲は如何ですか?」
「夕飯はいつも食べる気がしないのですが、近衛兵に食堂へ連れてゆかれて仕方なく」
セプテントリオーが正直に答えると、医官は盛大に溜息を吐いた。
「今から、塩分を減らした軽いもの……パン粥を用意して下さい」
「畏まりました」
女官の一人が一礼して出て行った。
☆ミーリカ島にある実家に帰るつもりはなく、同市に寄付……「2906.家族の記念樹」参照




