3322.代役を立てる
「どうぞ……入って下さい」
呪医セプテントリオーは声の震えを抑え、小会議室を訪れた者を招じ入れた。
黒髪の大半が白くなった男性が、一礼して入室する。
「外務大臣のリューチクでございます」
「同じく、外務大臣のゴルテーンジヤでございます」
続いて入室したのは、湖の民の女性で、二人とも同年代だ。
国家再統合に伴い、閣僚も旧王国時代の体制に戻した。各大臣は湖の民と陸の民が一人ずつだ。
陸の民のリューチク外務大臣が、保健省の病院部長を一瞥してセプテントリオーに告げる。
「既にご報告があったと思いますが、御身に対する誹謗中傷が、共通語圏を中心にインターネットで拡散しております」
「え、えぇ……たった今、その動画を閲覧したところです」
応じた呪医セプテントリオーの胸が痛む。気分的なものではない。何かの発作を思わせる痛みだ。思わず徽章の下の辺りを押さえた。
近衛兵ジャドが、円卓で胸を押さえて前屈みになったセプテントリオーの顔を覗き込む。
「だッ大丈夫ですか?」
「え、えぇっと……ちろちろと 白き鱗の触れる者 ちろちろと 白き鱗の舐める者……」
呪医セプテントリオーは自分に【見診】を掛けた。
……何か……違和感が……血管の損傷はないが……?
心臓の辺りに違和感があることだけはわかったが、生憎、外科領域を掌る【青き片翼】学派では病気のことはわからない。
「えぇっと、よくわかりませんでしたが、どなたか、内科の呪医を」
「は、はいッ!」
医療秘書官ヂェーニが席を蹴って立つ。普段の落ち着いた彼からは想像もつかない速さで廊下に飛び出し、背広の裾を翻して駆けてゆく。
……そんなに顔色が悪いのか?
痛みが次第に強くなり、心筋梗塞の可能性に気付く。
外務大臣ゴルテーンジヤが、卓上に残った鎮花茶を【操水】で再加熱した。鎮静効果のある芳香が立ち昇り、幾分か痛みがマシになる。
……ストレスでこんなに?
セプテントリオーは呪医として、救急外来で何度も心臓発作の患者を診てきた。心臓に違和感のある患者は、すぐ魔法と科学を問わず内科医に回したので、自分では確定診断できないのがもどかしい。
幾つもの足音が廊下を駆けて来る。
近衛兵たちが【無尽の瓶】から【操水】で水を引き出し、宙に浮かべて担架にする。セプテントリオーは彼らに逆らわず、大人しく横になった。
「セプテントリオー様!」
医療秘書官ヂェーニが、【飛翔する梟】学派の医官を連れて戻った。
医官が水の担架に横たわったセプテントリオーに【見診】を掛ける。
「軽度の狭心症です。お薬をご用意致しますが、病院とご自身のお部屋、どちらがよろしいですか?」
「え……えぇッ? 狭心症?」
流石に病名を告げられれば、セプテントリオーでもわかる。
医官は、水の上で身を起こし掛けた患者の肩を押さえて微妙な顔で告げた。
「過労にご心労が重なったことが原因と思われます。当面はお仕事を離れて安静になさって下さいまし」
「しかし、それでは、公立病院の人繰りが」
「あー……その件ですが、今般、ヴェスペルゴ王女殿下が臨床研修を始められましたので、姫君にお願いする予定です」
病院部長が、ハンカチで首筋の汗を拭いながら言う。
ヴェスペルゴ王女は、王位継承順位第二位の官僚ボリスの曾孫で、継承順位は十二位。セプテントリオーの記憶が正しければ、まだ二十代半ばだ。
王族としては珍しく、クルブニーカ大学で【青き片翼】学派を学ぶ。徽章を授与されたと言う話は、まだ聞かなかったように思う。
「勿論、御身の代役が完全に務まるとは思いませんが、これも勉強です。院長らが指導に当たりますし、軍に相談して衛生兵も付けていただきますので、ご安心下さい」
病院部長は請合うが、セプテントリオーの懸念は拭えない。
初心者では術の発動に時間が掛かる。
王族出身の呪医は強大な魔力を持つ。
呪文や魔力の巡らせ方を間違えた場合、術が発動しないだけで済めばいいが、失敗の程度や態様によっては、傷の細胞が癌化して急激に増殖することがある。王族の魔力で【癒しの水】を暴発させようものなら、あっという間に全身が癌化して、原形すら留めぬ肉塊と化すだろう。
正しく発動できたとしても、患者が力なき民の場合、かなり手加減しなければ、術の反動でトドメを刺してしまう。
幾つもの「最悪の事態」が脳裡を駆け巡り、セプテントリオーの心臓が更に軋んだ。思わず、患者から何度も聞いた質問が口をついて出る。
「魔法薬なら、すぐ働けるようになるのではありませんか?」
「御身は過労が続いております。ご年齢も考慮致しまして、今はゆっくりご静養なさることをお勧め致します」
医官は呆れた目を向けるが、近衛兵の手前、口調だけは恭しい。
「特に本日は、租借地の前に巨大な鱗蜘蛛が出現し、我々五人に【従僕の絆】を掛けて駆除して下さいましたので、普段以上に負荷が掛かっております」
近衛兵テーメニが医官に告げ口した。
医官が息を呑んで渋面になる。
「それは……もう……当分は何もなさらず、ご静養に専念なさって下さい」
「はい。何もかも我々にお任せ下さい」
病院部長が背筋を伸ばして請合った。
「しかし、今日の通常業務もまだ残務処理が」
「そちらは、私、ヂェーニめにお任せ下さい」
医療秘書官が泣きそうな顔に微笑を浮かべる。
「御身は共和制への移行直後からずっと働き詰めでおられますよね?」
「休日は休んでいましたよ」
「内乱時代の勤務状況は存じませんが、共和制移行後は十連勤二十連勤が当たり前でしたよね?」
「何故、それを?」
「クルブニーカの役所に記録が残っておりましたので」
ヂェーニが眼鏡を外して拭いて掛け直す。
……半世紀の内乱と魔哮砲戦争の空襲でも燃えなかったのか。
「内乱終結後も、ゼルノー市の市民病院でほぼ三百六十五連勤が十年余り」
「いえ、休んでいましたよ」
「病院で仮眠を取って、呼出しの都度、働くのは、休日の内に入りません」
ぴしゃりと言われ、ぐうの音も出ない。
……完全に把握されているようだな。
悪事を働いたワケではないが、気マズいことこの上ない。
「魔哮砲戦争の間は、難民キャンプの医療支援で……こちらは支援者のマリャーナ氏がかなり強く言って週に一日は休日を設けたようですが、その休日も情報収集にお使いで、休養なさいませんでしたよね?」
「パソコンでニュースを読むだけで、そんな大袈裟な」
「軍の総司令本部情報収集室は、それが主要任務です」
呪医セプテントリオーは半笑いで応じたが、ヂェーニに真顔で反論されて表情を消した。
……何故、そんなコトまで把握されて……ファーキル君か!
ファーキルは戦後間もない頃、ネモラリス王国政府にパソコンとインターネットの使い方を指導してくれた。セプテントリオーが参加しなかった勉強会で、そんな話が出ても不思議ではない。
「魔哮砲戦争の終結後、この七年余りは、日中は臨床、病院の定時後は深夜まで会議や事務仕事を続け、ほぼ三百六十五連勤ですが、これは、私共が御身に頼り切りだったことも原因ですので、反省致しております」
病院部長と医療秘書官が揃って緑髪の頭を下げる。
「セプテントリオー様、病院とお城のお部屋、どちらがよろしいですか?」
医官が再び聞いた。
☆共和制移行後は十連勤二十連勤が当たり前……「2946.二種類の動機」参照
※ 姫扱いされないのが嬉しくてブラックな働き方も気にならなかった模様。
☆パソコンとインターネットの使い方を指導……「2568.新時代の教育」「2785.新世界の学び」「2786.ネットの雑妖」参照




