3321.そんな目線で
ノートパソコンに表示されたユアキャストの画面で、動画が再生される。
都市迷彩を着た金髪の若い女性が涙を拭い、何度も声を途切れさせながら悲痛な表情で言葉を並べた。
近衛兵ジャドは、どうにかして自分の口を塞ごうと試みる。だが、王族のセプテントリオーの魔力には抗えず、顔を歪めながら彼女の共通語を湖南語に訳した。
「私は去年、兵役義務でバルバツム連邦陸軍に入隊しました。兵役義務で招集された新兵は国内だけと言う話でしたが、訓練が終わるとすぐにアーテル共和国に派遣されました」
彼女の背後はどこかの部屋で、薄緑色のカーテンしか見えない。
「戦争は何年も前に終わりましたが、アーテルには魔法使いのテロリストが呼出した怪物がたくさんいました。いえ、今も居ます。たくさんの怪物がそこら中に居るんです」
金髪の女性が嗚咽して、しばらく話が止まる。
「怪物は植込みの影から飛び出して通行人を襲ったり、救援物資を輸送する私たちを襲ったりしました。怪物はグリズリーより狂暴で貪欲で、ピューマより悪質です。だって、銃が効かないんですよ? 私たち無原罪の清き民にそれ以上どうやって身を守れって言うんです?」
……ここまで、私の悪口らしきものはないな。
どちらかと言えば、バルバツム軍の上層部や、デュクス大統領、連邦議会への批難に聞こえる。
呪医セプテントリオーは、何故、共通語が堪能な病院部長と医療秘書官、近衛兵が頑なに内容を伝えようとしなかったのか、内心首を傾げた。
「怪物は、アーテル人も私たち救援物資輸送部隊も関係なく、襲いました。アーテルでは人間なんて怪物の餌でしかないんです」
動画を再生する枠の下にはコメント欄があるが、見える範囲に並ぶのは共通語ばかりで、呪医セプテントリオーにはひとつも読めない。
「ネモラリス軍の租借地駐留部隊は、租借地のすぐ近くの道路でだけ、怪物に襲われた人を救助しますが、そこから少しでも外れた場所なら、見えていても知らんぷりで、どんなに叫んでも助けてくれないんです。仕事や買物で外出した地元の人や、彼らを助けようとしたバルバツム軍の人とか、大勢が駐留部隊に見殺しにされて、怪物に食い殺されました」
……我が国とアーテル政府との取り決めがそうだからで、それ以外の場所に我が軍を派遣すれば、侵略だと騒ぎ立てるだろうに。
呪医セプテントリオーは、バルバツム軍の女性兵士の身勝手な物言いにやや神経を逆撫でされたが、これも、セプテントリオー個人に向けた罵詈雑言ではない。国家間の協定に関する単なる事実だ。
「租借地の傍で怪物に襲われてネモラリス軍の駐留部隊に救助されたら、租借地の病院に運ばれて、そこには魔法使いの医者が居ました」
都市迷彩の女性が手の甲で涙を拭った。
呪医セプテントリオーは、やや身構えて近衛兵ジャドの湖南語訳に耳を傾ける。
「救援物資を避難所へ届ける任務の最中に怪物が襲って来て、私もそこに入院しました。魔法使いの国では現金もカードも使えなくて、医療費でもなんでも物々交換なんです」
これも単なる事実だ。
しかも、ネモラリス王国や再統合したラキュス・ラクリマリス王国の通貨は、魔哮砲戦争と、国連安全保障理事会が発動した経済制裁の影響で、外国為替市場では元々低かった価値が、紙屑同然にまで下がった。物々交換取引が主流で貨幣経済に重きを置かない為、アーテル共和国程には、国内経済や湖南語圏での国際取引に深刻な悪影響が及ばなかっただけに過ぎない。
バルバツム連邦とは国交がなく、現金で支払われても両替できない。
ネモラリス王国とラクリマリス王国は、再統合後もクレジットカードの導入には慎重な姿勢を維持する。一部の民間企業では試験的に導入するが、公立病院の支払いには使えない。
「現金は使えないし、軍務だからアクセサリーなんて持って行ってませんし、私たち下級兵士には、払えるモノが何もないんです」
……ルスタートル司令官が立替えてくれるから、心配ない筈だが?
呪医セプテントリオーは、動画の中で涙ながらに窮状を訴える女性を訝った。
バルバツム兵たちの話を総合すると、ルスタートル司令官一人に全員の医療費を払わせるのは心苦しい為、インターネットで募金を集め、あるいは家族や慈善団体が貴金属を供出、自宅の庭で薬草を栽培して乾燥させたものを救援物資と共に送り、医療費の足しにする世帯もあるらしい。
司令官と直接話す機会はなくとも、部隊長や先輩から説明されるだろう。
「私は……女性、だから……医療費の支払いに……カラダを求められました」
「は?」
呪医セプテントリオーは、彼女が何を言ったか、一瞬、理解できなかった。
「湖の民の王族を名乗る魔法使いの医者は……治療の後……私にカラダで支払いを求めたんです。初めてだったのに……穢れた力を持つ王族に……親よりずっと年上の男性に……穢されました」
「は?」
王族の強大な魔力で支配され、強制的に通訳させられる近衛兵ジャドが目を逸らした。セプテントリオーが命令を解除しない限り、彼の口は止められない。
「他の隊員の分も……私一人が“立替払い”させられて……何度も……何度も……繰返しッ!」
都市迷彩の女性が両手で顔を覆って俯いた。
保健省の小会議室に集まった四人は、彼女の啜り泣きが止むまで一言もない。
都市迷彩を着た若い女性が顔を上げ、手の甲で涙を拭って再び話し始める。
「デュクス大統領と連邦議会がアーテルに派兵するのをやめない限り、これからもずっと、女性兵士は租借地の病院で性暴力に晒され続けます。男性の兵士は、自分たちが治療を受けたいから何も言いません。魔法なら骨折とかも一瞬で治りますから、問い詰めてもそんなの嘘だって否定します。私たちは、租借地と祖国の男性たち、両方から搾取されてるんです」
病院部長が盛大に溜息を吐いた。
彼女は、否定の言葉を先回りして封じたつもりだろうが、魔法文明圏の住民、あるいは、魔法文明圏の常識を知る者なら噴飯ものだ。
「この暴力を止める為に……私たちを助ける為に……心ある人は立ち上がって下さい」
女性は決然と顔を上げて締め括った。
動画が終わり、呪医セプテントリオーは、悪い夢から醒めたような心地で言う。
「えーっと……確かに……魔法文明圏の人なら……子供でも嘘だとわかる杜撰な内容ですね」
「セプテントリオー様……お気を確かに」
命令を完遂し、呪縛から解放された近衛兵ジャドが、王族出身の呪医を気遣う。
我知らず震えた声を情けなく思い、セプテントリオーは鎮花茶のカップを鼻先に上げた。
病院部長と医療秘書官ヂェーニも気遣わしげな目を向ける。
幼い頃から呪医の修業を始め、四百年以上、呪医として働いてきた身は、常に男女の枠の外に置かれた。そんな目を向けられたことなどなく、どう反応していいかわからない。
……よりによってこの私がそんな冤罪を掛けられるとは。
「セプテントリオー様」
ノックと同時に声を掛けられ、呪医セプテントリオーはカップを置いた。
☆よりによってこの私がそんな冤罪……「632.ベッドは一台」「2946.二種類の動機」参照
※ セプテントリオーが赤ん坊の頃で記憶がなく、本編に組込むのが難しい説明。
出産に立ち会った呪医が女児にしては違和感があると気付き、父親が【明かし水鏡】を使用。「今日、産まれた我が子の性別は女性である」と確認したところ、嘘判定されたので、呪医として育てることに決定。
セプテントリオーは性分化疾患のひとつ「5α-還元酵素欠損症」。
染色体はXYで本人の性自認も男性だが、停留精巣も併発し、外見上はどっちもついてない状態。
兄弟姉妹にも知らされなかったが、ウヌク・エルハイア将軍ら、王家の一部要人だけは、両親から情報共有。広く知れ渡ると「ほぼ女神様」派がヒートアップし過ぎるので、本人の精神衛生上、世間には伏せています。
セプテントリオー自身は隠し通せたつもりでしたが、軍医時代、【索敵】を悪用した騎士のせいでバレました。
それ系の騎士たちの間では「身体もほぼ女神様状態」だと情報共有されましたが、本人には内緒。覗きがバレたらクビですから。
セプテントリオーが、姫扱いする連中を毛嫌いして塩対応なのは、つまりそう言うコトです。
リアルでは、停留精巣の影響がない症例なら、子孫を残せる可能性があるそうです。




