0331.返事を待つ間
ファーキルは朝食後、老婦人シルヴァに傷薬が入った紙コップをひとつ差し出した。シルヴァは受取らず、エプロンのポケットから出したメモを渡して言う。
「代わりにこれ、お願いね。私は今から、坊やの服を調達して……そうね、お昼前には戻るから。絶対、お爺さんの部屋に行かないでね」
「はい。お願いします」
シルヴァを送り出し、ファーキルは割り当てられた部屋に戻った。
玄関は老婦人シルヴァが【鍵】を掛けたので、合言葉を言わない限り、開けられない。
昨日は、太陽光の充電器を外して直接、コンセントに繋いで充電できた。この家には自家発電装置がある。主に冷蔵庫と、寝たきり老人が退屈しないよう、テレビを点けっぱなしにするのに使うようだ。
アーテル仕様の住宅で、家中に配線が巡らせてある。昨夜はタブレット端末を片付けようとした時に気付き、何だか損した気分になった。
運び屋からは、まだ返事がない。
……明日まで待ってもレスがなかったら、直接行って頼むしかないな。
それで断られたら、自力で傷薬を換金するしかない。
ウェブマネーで支払ってもらえればいいが、現金なら、代理店でケータイ会社のプリペイドカードを買わなければならなかった。
ファーキルは最寄りの代理店を検索した。単語や地名を何度も変える。焦りでタイプミスし、その度に自身の動揺に苛立ちが募った。
諦めて、結論する。
……ランテルナ島には……ないんだ。
だからと言って、南ヴィエートフィ大橋を渡るなど論外だ。支払い条件をウェブマネー限定にして、買取ってくれる店か個人を探すしかないだろう。
……他所者の俺が行くより、地元民のフリで馴染んでるシルヴァさんに頼んだ方が確実だよな。
子供のファーキルでは、騙されて取り上げられるかもしれない。足許を見られて買い叩かれ、一カ月分の料金に届かないかもしれない。それどころか、魔法や暴力で巻き上げられる惧れもあった。
ファーキルは力なき民で、子供だ。己の無力が歯痒いが、こればかりはどうにもならない。それより、運び屋の返事を待つ間もすることはたくさんあった。
まずは、老婦人シルヴァに頼まれたことを片付ける。
さっき渡されたメモを見た。
質問がずらりと並ぶ。どれも、ラクリマリス王国の動きに関するものばかりだ。質問には番号が振られ、二十三番まであった。新聞の折り込み広告の裏に番号と、念の為に質問の本文も書き写す。
ファーキルが直接、見聞きした一次情報と、それを補うネットの情報を分け、それぞれをなるべく詳しく書き込んだ。
一次情報がない項目は、その旨断ってネットの情報だけを書き、掲示板の噂話レベルしかなく、情報源が不確かなものは、正直に「わかりません」とだけ書いた。
ラクリマリス王国内でのネモラリス難民の扱いについては、詳しく書けたが、政府の方針などはわからない。
……あのお婆ちゃん、ラクリマリスのことなんか調べて、どうすんだろ?
タダで世話になるワケにはゆかず、首を捻りながらも、問われるままに答えを書き連ねた。
ふと、タブレット端末を操作する手が止まる。
久し振りにアクセスした掲示板に気になるスレッドが立った。思わず開き、視界に飛び込んだ文字列に息を呑む。
【アーテル】魔女狩り無人機全滅ザマアwwwww【焦土作戦】
ふざけたタイトルの下に続くのは、真面目な本文だ。ニュースを引用し、要点と疑問を箇条書きする。
今、議論が白熱するのは、アーテル軍が四百二十機もの無人機をどんな手段で調達したか、生贄を必要とする【贄刺す百舌】の術による迎撃の非人道性についての二点だ。
――半世紀の内乱から三十年しか経ってない。やっと復興したばっかで、あいつら全員、カネなんかねぇだろ。
――何で、カネをドブに捨てるような戦争、おっぱじめたんだ?
――リストヴァー自治区で迫害されてるキルクルス教徒を助ける為ってニュースで言ってましたよ。
――建前に決まってんじゃん。
――ネーニア島の銅山が欲しいんじゃね? リストヴァー自治区の近所にも鉱床があるんだろ?
――地図見たら、ゼルノー市に鉱山マークついてるな。
――領土戦争? 今更?
――流石にラクリマリスに喧嘩売る程バカじゃねぇんだ。
――話を戻そう。カネもないのにどうやって無人機四百機も用意できたんだ?
――これ、出撃の画像。
基地から離陸する無人機の編隊を捉えた画像と、情報源のリンクが貼られる。
ファーキルはアドレスを確認した。
アーテル共和国内の業者が運営するブログサービスだ。リンクを踏まず、掲示板内のレスを読み進める。
――リンク先、個人ブログかよ。アーテルのミリヲタ?
――こんなの大丈夫なのか? よく検閲に引っ掛からなかったな。
――いいじゃん、見れるんだし。
――ガチヲタだな。見学会行きまくり。
ファーキルはリンクを踏んだ。確かに軍事マニアのブログらしい。掲示板に転載された画像の他にも、多数の戦闘機の画像と機種名の略称、装備する弾薬の名称まで載る。
アーテル領内の回線からは、大部分の外国サイトに閲覧制限が掛かるが、他国からは、アーテルにサーバがあるサイトは普通にアクセスできる。
……機密って言うか、これ系は、軍事力を誇示する為に敢えて撮らせるんじゃないかな? 全部、撃ち墜とされたみたいだけど。
基地の見学会では、機密に触れない範囲でしか見せない。個人がブログやSNSで拡散すれば、広報の手間が省ける。
ファーキルはブログを閉じ、掲示板に戻った。
軍事に詳しい者が、ブログの記述にはなかった詳細な機種名を書き込む。
――バルバツムで型落ちした奴、解体処分しないで売り払ったんだな。
――二十年くらい前のだろ? まだ使えるんだ?
――バルバツム製のは性能いいからな。
――アーテルみたいな小国は、喉から手が出るくらい欲しがるだろ。
アーテル共和国は、国土こそ広いが、山林や南西部のスクートゥム王国との国境付近の地域には魔物が多く、人が住めない。
国力は、隣国のラニスタ共和国の半分くらいだ。
ラニスタの面積は、アーテルの三分の一程度しかないが、ここ百年ばかりは概ね平和で、アーテルより人口が多く、経済力も高かった。
ファーキルは機種名で検索した。
画像と名称を複数のサイトで確認し、書き込みの情報が正しいらしいと頷く。
中古とは言え、アーテルにとって高価な物であることに変わりない。
年度末や予算の決定時期には毎年、財源不足を嘆くニュースがしつこく流れる。増税の議論が起こっては、庶民の反対で立ち消えになった。
中学生のファーキルでも、厳しい財政状況だとわかる。いつの間にあんな大量の無人機を調達したか気になった。
……でも、こんなコトしてる場合じゃなかった。
ファーキルは、ラクリマリス王国の難民支援団体について補足説明になる情報を拾い、チラシの裏に要点をメモした。




