0327.あちら側の街
「ファーキルさん、大丈夫かな?」
ロークが、蔓草から余分な枝葉を取り除きながら、誰にともなく言った。
この部屋には、答えられる者は居ない。本人も、特に返事を期待しないらしく、黙って作業を続けた。
少年兵モーフは、ソルニャーク隊長に教えてもらって帽子を編む。
「帽子があったら、草取りが楽になると思うんスけど」
モーフがそう言うと、隊長は「その通りだ」と笑ってくれただけでなく、「いいところに気付いたな」と褒めてくれた。
褒められ慣れないモーフは、なんだかむずむずして何と言っていいかわからず、愛想笑いを返すしかなった。
やっとひとつ目が編み上がったが、何とも歪だ。鍋敷きも満足に作れないロークをとやかく言えない出来だ。
こんな失敗策をピナたちに被らせるワケには行かなかった。
……でも、解いてやり直すのは面倒臭ぇし、捨てんのは勿体ねぇ。
結局、自分で被ることに決め、ふたつ目を作り始めた。
人里離れた森の中だからか、ここはとても静かだ。
それも、落ち着いた静寂だった。
空襲後のゼルノー市で過ごした死の静寂とは違う。
耳を澄ませば、木々の葉擦れや、敷地の外で囀る小鳥の歌が聞こえる。生きた静けさだ。
リストヴァー自治区では、常に工場の稼働する音が聞こえた。大きな道は、ダンプカーやトラックが地響きを立てて行き交う。
モーフの家は、トタン板や廃材を寄せ集めたバラック小屋だ。
家族が横になって眠れるだけの場所しかない。隣近所の話し声は全て筒抜け。雨漏りは当たり前で、雨の夜は殆ど眠れなかった。夏は害虫、冬は隙間風に悩まされる。
モーフは家族を捨て、星の道義勇軍に身を寄せた。帰る家はとっくの昔になかったが、あの大火で本当に喪われてしまった。
騒音と喧騒しか知らなかったモーフには、この静けさが不思議だった。
……イグニカーンス市って、どんな音がするんだろうな?
ファーキルがあの板で見せてくれた街には、工場らしきものはなかった。教会と家と店。大きな道には、トラックは少なく、その他の車がたくさん走る。
……きっと、静かなんだろうな。
トラックがあったから、ここよりはうるさいだろうが、自治区のように話もできないくらいうるさいなんてことはないだろう、と考える。
家はみんな立派で、みすぼらしいバラックなんてひとつもなかった。
科学の力だけであんなに発展した街だ。
魔法が使えないことで蔑まれることも、惨めな思いをすることもない社会。
モーフはせっせと蔓草を編み、帽子の鍔を広くする。
枝葉を取り終えたロークが、たどたどしい手つきで鍋敷きを編み始めた。
……あの兄ちゃんもさ、魔法使えねぇんだし、南の橋、渡っちまえばいいんだ。
ロークだけではない。ピナたちパン屋の三兄妹も、イグニカーンス市へ行った方が幸せに暮らせそうだ。
無理してネーニア島へ帰る必要はない。戻ったところで、帰る家も待つ人も全て喪われてしまったのだ。
この四カ月で、どこでだって暮らしてゆけることがわかった。
イグニカーンス市の人々は、みんないい服を着ている。
……自治区の工場より、給料いいんだろうな。
父が事故で亡くなってから、モーフも小学校に行くのをやめて働きに出るようになった。
モーフは一日中、怒鳴られ殴られながらコキ使われても、やっとゴミ同然の食材で作った昼食と、堅パン一個か古いコッペパン一個しかもらえなかった。
服は、母がご近所さんに頭を下げて、お古をもらってきた。
母と姉とモーフ、三人で一日中頑張って働いても、食うや食わずやだ。
イグニカーンス市には、そんな暮らしを送る者は一人も居ないように見えた。
……ここしばらく、商売の手伝いしたし、あの街でも、どっかの店で雇ってもらえるだろ。
そうしたら、一生懸命働いて、ピナたちが焼いたパンを買いに行こう。
最初は、ピナたちもどこかのパン屋で雇われるしかないだろうが、カネが貯まったら、また、自分たちの店を持てる。
早くそうなるように、ありったけの給料でパンを買うのだ。
あんなに美味いパンや菓子を作れるのが三人も居る。きっとすぐ、自分たちの店を手に入れられるだろう。
……あっちの街へ行くには……まずは、おっさんの説得か。
トラックを運転できるのは、メドヴェージしか居ない。何と言えば、おっさんを納得させられるか、考えながら帽子を編んだ。
☆あの大火……「0054.自治区の災厄」「0055.山積みの号外」「0212.自治区の様子」~「0214.老いた姉と弟」参照
☆ファーキルがあの板で見せてくれた街……「0317.淡く甘い期待」参照
☆怒鳴られ殴られながらコキ使われて……「0117.理不尽な扱い」参照




