0321.初夏から夏へ
結局、昨夜はパンを食べなかった。
一晩経ってもまだ、猪肉が残るのか、みんなの食が細い。香草茶と、切り分けたパンを一切れ食べただけで済ませた。
レノは、食糧の残りに考えを巡らせた。
どうやってネーニア島へ戻るのか。いつまでここで過ごすのか。
全く見当がつかず、途方に暮れる。
……売り物も作らなきゃなんないし、パン焼くの、二日に一回くらいにしようかな?
今の季節なら、食べられる野草が何種類もある。種類はともかく、量が欲しい。たくさん採って、クルィーロに水抜きしてもらって、保存したかった。
いつまで居て、いつ移動するか不明では、準備すべき保存食の量もわからない。
ここの食糧も乏しい。呪医セプテントリオーと葬儀屋アゴーニの食事は、ここしばらく、庭の草とアゴーニがネーニア島の森で得た獲物で賄うと言う。
「実際、獲るのはオリョールたち、魔法戦士の連中だ」
「そうなんですか?」
「昨日は群と出喰わして、たんと獲れて、ザカート市の駐留部隊へお裾分けしに行ってたぞ」
「えっ?」
アゴーニの話は意外だった。
……ゲリラが正規軍にお裾分け?
「哨戒兵は【索敵】の術で、ゲリラが何してんのか見えてるからな。国のお偉いさんはどうか知らねぇが、現場の連中は見て見ぬフリだ」
「正規軍の作戦の邪魔になったりしないんですか?」
「ラクリマリスの湖上封鎖で、ずーっと防戦一方だからな。代わりにやってくれたって、喜んでる奴もいるらしいぞ」
「そうなんですか」
「こんなこたぁ、長くは続かねぇよ。今夜は甘い果物、持って帰るから、期待しててくれ」
レノの複雑な胸中を察してくれたのか、アゴーニはやさしい微笑を浮かべて肩を叩いた。
緑髪の葬儀屋は、それだけ言って表へ出る。レノが玄関で見送る中、アゴーニはネーニア島へ【跳躍】した。
レノは改めて庭を見回した。
庭に出した苗箱は青々と育つ。幾つか枯れてしまったが、野菜の苗はそろそろ植え替えた方がよさそうだ。
今朝はピナ、ティス、ローク、ファーキルが草毟りする。みんな冬物の袖を捲って暑そうだ。レノも額の汗を拭って参加した。
……食糧もだけど、服も何とかしなきゃなぁ。
この別荘がランテルナ島内の街から、どのくらいの距離かわからない。
アーテル領内の力ある民を隔離する島だそうだが、島内でフラクシヌス教徒として振る舞っていいか、大橋の兵をやり過ごしたようにキルクルス教徒のフリをした方がいいのか。
……本格的な夏が来る前に、服、何とかしなきゃ、暑さでやられちまうぞ。
あっという間に暑さで思考が鈍る。今は初夏だが、昼頃になれば、日射しが痛いくらいにキツい。これからもっと暑くなる。
ランテルナ島の街で買えればいいが、土地勘のある者は一人も居なかった。
「あ、そうだ。ファーキル君」
「はい?」
「後で、地図、見せてくれないか?」
こっちを向いたファーキルが、申し訳なさそうに俯いた。
「すみません、ここ、電波届かなくて、繋がらないんです」
「えっ? あ、いや、ファーキル君のせいじゃないし、気にしなくていいよ」
ファーキルは、レノの言葉に小さく首を振り、草毟りを再開した。
……じゃあ、アウェッラーナさんに……いや、もっとダメだ。
薬師アウェッラーナなら、【跳躍】の術でドーシチ市に戻れる。何かと夏服を換えてもらおうと思ったが、薬師の彼女が一人で行けば、また捕まるかもしれない。教え子は優秀だが、まだまだ一人前には程遠かった。
……アゴーニさんはどうなんだろ?
ザカート市の廃墟へ行ったが、地元のゼルノー市の他にもよく知る土地……無事な街があるのだろうか。
年配だから、一度くらいは聖地ラクリマリスで巡礼したかもしれない。【跳躍】の術は、よく知る場所に跳ぶものらしいが、彼は聖地を覚えているだろうか。
クルィーロは、【跳躍】の術は魔力の制御が難しくて、修行をサボっていた自分には使えないと項垂れた。
……後で呪医にも聞いてみよう。
昼食の準備でレノたち兄妹は、一足先に室内に戻った。
みんな汗だくで、クルィーロとアウェッラーナが【操水】の術で洗ってくれた。
「呪医、呪医って、ゼルノー市以外の街って【跳躍】できますか?」
「よく知っている場所、ですか? そうですね……クルブニーカとクレーヴェルの近くの基地と、聖地ラクリマリス……後はここと森の研究所くらいですね」
緑髪の呪医は食事の手を止めて、指折り数える。
レノは礼を言って考え込んだ。
ゼルノー市とクルブニーカ市は、アーテル軍の空襲で壊滅した。あれから四カ月以上経つが、立入制限がどうなったか、何の情報もない。
ネモラリス共和国の首都クレーヴェルは、今のところ軽微な被害で済んだようだが、物資の量や実際の物価はわからない。
ラクリマリス王国の王都にも、ネモラリス人難民が多数、流入した。治安や物価が心配なのは同じだ。
……それに、いつ、ゲリラの人たちが怪我して戻ってくるか、わかんないし。
一刻を争う負傷者の治療の為、呪医に買物を頼むのは無理だと結論する。
「どうされました?」
「あ、いえ……どうやって、ネーニア島に帰ろうかなって……放送局にトラック返さなきゃいけませんし」
「流石に、あんな大きな物を運ぶだけの魔力はありませんよ」
呪医が苦笑する。
みんなが食べる手を止めて、湖の民の呪医を見た。注目を浴び、呪医は居心地悪そうにみんなを見回す。
「シルヴァさんが戻られたら、何か手がないか、聞いてみましょう。トラックは最悪、あの空襲で壊れたことにしてしまっても……仕方がないでしょうね」
みんなが気マズそうに顔を見合わせる。
……仕方ない、か。そりゃあ、命とトラックどっちが大事かって言われたら、命だけど。
トラックなしでは、戻った後の移動と生活が大変だ。
そもそも、全員がネーニア島かネモラリス島へ渡りたいかもわからない。
キルクルス教徒の四人は、南ヴィエートフィ大橋を渡って、アーテル共和国で暮らしたいかも知れなかった。
ソルニャーク隊長は眉ひとつ動かさず、少年兵モーフは運転手メドヴェージに気遣う目を向ける。メドヴェージは少し口角を上げ、モーフに小さく頷いてみせた。
昼食の後片付けは、クルィーロが魔法で手伝ってくれて、すぐに終わった。レノはできることがなくなり、途方に暮れる。
……あれもこれも、魔力がなきゃ、何もできないんだよなぁ。
呪文のメモを見ても、気が散ってちっとも頭に入らない。食卓ではピナがティスとアマナに勉強を教える。その傍らでは、ロークが呪文のメモを見ながら【不可視の盾】の呪文を練習中だ。
ファーキルは、日当たりのいい席で充電しながら、データを整理する。
方針を決めるには、やはり、みんなの意思を確認しなければならない。
トラックを動かせるのは、メドヴェージ唯一人。彼がアーテル本土に渡りたいと言えば、譲らざるを得ない。運転手が行くと言えば、懐いている少年兵モーフも一緒に行きたがるだろう。
彼らならきっと、どこへ行ってもやってゆける。
リストヴァー自治区より酷い暮しがあるとは思えなかった。
星の道義勇軍の三人は、最初に通された部屋で蔓草細工を編む。針子のアミエーラは、寝室として割り当てられた部屋で、端切れを組み合わせて袋を縫う。
薬師アウェッラーナとクルィーロは、別室で傷薬と香草茶を作った。
……シルヴァって人が帰ったら、メドヴェージさんにどうしたいか聞こう。
レノは、先延ばしにしない決心をした。
☆ラクリマリスの湖上封鎖……「0127.朝のニュース」「0144.非番の一兵卒」「0154.【遠望】の術」「0161.議員と外交官」「0285.諜報員の負傷」参照
☆苗箱……「0271.長期的な計画」参照
☆大橋の兵をやり過ごした……「0307.聖なる星の旗」「0308.祈りの言葉を」→「0312.アーテルの門」「0313.南の門番たち」参照
☆捕まるかもしれない……「0235.薬師は居ない」「0236.迫りくる群衆」「0230.組合長の屋敷」~「0232.過剰なノルマ」参照
☆教え子……「0266.初めての授業」「0280.目印となる歌」参照
☆立入制限……「0168.図書館で勉強」「0181.調査団の派遣」参照




