0320.バーベキュー
夕方、湖の民の呪医が言った通り、葬儀屋アゴーニが庭に姿を現した。
ロークは薬草を抜く手を止め、腰を伸ばして彼に挨拶する。
「おかえりなさい」
「おっ? 君は確か……」
一緒に居たのがあんな僅かな時間でも、もう一人の湖の民はロークの顔を忘れなかった。頬を緩めて猪を置く。
「色々聞きてぇことはあるが、こいつを先に片付けにゃ、危ねぇからな」
「危ない?」
草毟りを終えた地面で、獲物の猪は動かない。死骸に見えるが、気絶しただけなのか。
アゴーニは首に提げた銀の徽章を示して言った。
「俺は【導く白蝶】だ。人間を弔う術なら心得てるが、食肉に魔物が涌かねぇようにする術は知らねぇんだ」
「あっ……!」
死体の腐敗と雑妖や魔物の発生を防ぎ、食肉として保存するのは、【弔う禿鷲】学派の術だ。
小さく切り分けて塩蔵しても、ある程度は防げるが、こんな大きな動物では処理が大変だ。
小魚なら、魔物が憑いたところで高が知れている。湖の民アウェッラーナは念の為、水抜きした魚に軽く塩を振って対処し、今のところ特に問題はない。
「血抜きは向こうで済ませてきたから……何人だ?」
「えっ?」
「今、ここんちに居るの、何人だ?」
アゴーニが腰に吊るした山刀を抜き、猪を解体しながら聞いた。ロークは指折り数えて答える。
「えーっと、俺たち十二人で、呪医とアゴーニさん入れて十四人です」
「そうかい。そいつぁよかった。俺たち二人だけじゃ、余りを灰にせにゃならんとこだったからな。勿体ない」
ロークは何とも言えない気持ちで、アゴーニの作業を見守った。
他のみんなは、別荘の中でそれぞれの作業をする。傷薬作りとその手伝い、蔓草細工作り、パン作り、服の繕い、データ整理などだ。
ローク一人、何もできることがなく、素材集めと庭の手入れを同時進行する。
気持ちを鎮める香草と傷薬になる薬草、食べられる野草も四種類ある。種類別に袋に入れ、使えない雑草は一カ所に積んだ。
玄関前は、アゴーニが戻るまでにトラック一台分くらいの範囲だけ片付いたが、まだまだ庭は広い。花壇の外だけでも相当な手間だ。
……当分は、草毟りできるな。
以前のロークなら、高校の敷地と同じくらいの庭を一人でやれと言われたら、何もしない内から心が折れただろう。
今は、自分から作業を申し出て、何日も掛かるのを喜んでさえいる。
「兄ちゃんが折角、草毟りしてくれたし、今夜はここで焼き肉にしよう」
「えっ? 夜に……外で?」
ロークは驚いて葬儀屋アゴーニを見た。
黄昏の残照が別荘の白い塀や壁を黄金色に染める。葬儀屋のおっさんは、夕日で陰影が薄れた顔に笑みを浮かべた。
「この塀ン中は、強力な【結界】で守られてる。流石に死肉の内側から涌くのは止めらんねぇがな」
「そうなんですか。じゃ、みんなを呼んできます」
香草と薬草の袋を掴み、別荘に入る。
扉を開けると、パンの焼ける香ばしい匂いが溢れた。
小走りに台所へ行く。丁度、焼き上がったパンをオーブンから出して冷ますところだ。
「アゴーニさんが戻ってきました。猪があるから庭で食べようって」
「そうなんだ。じゃ、トラックから机とか降ろそう。ピナ、ティス、アマナちゃん、みんなを呼びに行ってくれないか?」
女の子たちは明るい声で応え、あっという間に出て行った。
「パン運ぶのは、机とか出してからにしよう」
「そうですね」
作業台に香草と薬草を置き、二人で庭へ戻った。
メドヴェージを待つ間、レノ店長と葬儀屋アゴーニが再会の挨拶を交わす。
「よぉ、パン屋の兄ちゃんも、久し振りだな」
「お久し振りです。アゴーニさん」
「おっ? 俺の呼称、覚えててくれたのか」
「はい……って言うか、さっき呪医に聞いたばかりなんで。あ、俺、レノです」
「俺はロークです」
今更ながら、ロークも慌てて呼称を名乗った。
女の子たちがみんなを連れて出てくる。
「よぉ、運ちゃんも久し振り」
「久し振りだな、葬儀屋。ちょっと見ねぇ間に、肉屋に転職でもしたのか?」
「いやいや、俺ぁこれ一本だ」
アゴーニが夕日に輝く白銀の蝶を指差して笑う。
ロークは、テロリストとその被害者が、何故こんなにも屈託なく笑い合えるのか不思議だった。
……呪医と元々知合いだから? いや、でも隊長さんとあの子は違うっぽいし。
夕飯の準備を手伝いながら、ソルニャーク隊長と少年兵モーフをチラ見する。
モーフは猪を初めて見たらしい。興奮気味にあれこれ質問して、アゴーニとメドヴェージが冗談混じりに答え、ソルニャーク隊長がそれを見て笑う。
ロークも、野生の猪をこんな間近で目にするのは初めてだ。
農作物の被害が出たとの新聞記事で、写真を目にしたことならあるが、実際の大きさと獣臭さ、これからみんなで食べる高揚感。何もかもが初めてだ。
葬儀屋アゴーニが、別荘から金属製の支柱と串を持って来て、今夜は猪肉のバーベキューだ。
クルィーロとアゴーニが熾した【炉】の火を囲み、肉が焼けるのを待つ。
レノ店長は、薬師アウェッラーナにもうひとつ【炉】を作ってもらい、この間もらった深鍋で野草と猪肉のスープを作った。
料理ができるのを待つ間、レノ店長が肉を切り取り、ピナティフィダが串に刺した。二人とも、小ぶりのビニール袋を手に嵌め、袋越しに作業する。
「ちょっと獣臭ぇが、滋養はたっぷりだ。たんと食えよ。残しても、灰にするだけだからな」
「生焼けで食べると病気になることがあります。しっかり火が通ったか、確めてからどうぞ」
アゴーニとセプテントリオーに言われ、みんな神妙に頷いた。
少年兵モーフが、呪医セプテントリオーに恐る恐る質問する。
「説明は後にしましょう。さぁ、焼けましたよ」
呪医は支柱から串を外し、モーフに手渡した。
……あっ! そう言うコトか。
ロークは、呪医セプテントリオーが食事中の説明を避けたことで気付いた。薬師アウェッラーナは勿論、レノ店長とピナティフィダ、クルィーロとソルニャーク隊長も微妙な顔だ。
パン屋の兄妹はさっき生肉を触る時、ビニール袋を手袋代わりにして、素手で触らなかった。
……E型肝炎と寄生虫……か。
ロークはしっかり焼けた串を二本取り、一本をファーキルに渡した。
「あ、有難うございます」
「どういたしまして。ファーキル君、猪って食べたことある?」
「いえ、初めてです。見た目、割と豚に似てるんですね」
「そうだね。親戚だからね」
そんなことを言いながら、息を吹いて冷ました。
「うあっ? あちちッ!」
「はははっ。慌てて食うからだ」
早速かぶりついたモーフが口を火傷する。脂身たっぷりの肉はかなり熱かったようで、唇に火ぶくれができた。
呪医セプテントリオーが、【操水】でコップ一杯くらいの水を起ち上げ、モーフの口に触れさせた。患者が驚いた顔で口を閉じる。呪医は更に別の呪文を唱えて水を離した。
「焼き立ては熱いので、気を付けて下さい」
「……うん」
少年兵モーフは呆然とするが、呪医の治療を嫌がる様子はない。唇はすっかりキレイに治った。
……そう言えば、アウェッラーナさんの手伝いも、文句言わなかったしなぁ。
この暮らしに慣れて、信仰心が薄らいだのだろうか。
それとも、リストヴァー自治区で生まれ育ったから、キルクルス教しか知らないだけで、フラクシヌス教に触れる機会があれば、そちらに馴染む性格なのか。
……俺だって、ホントは。
祖父と両親に押し付けられなければ、フラクシヌス教を信仰しただろう。
ネーニア島を囲み、すぐ近くで輝く広大なラキュス湖。恵み豊かな女神の涙に感謝してはいけないと教え込まれ、幼い頃からキルクルス教徒として育てられた。
自治区外の豊かな暮らしを得る為、キルクルス教の信仰をこそこそ隠し、フラクシヌス教徒のフリをさせられた。
周りはみんな、フラクシヌス教徒だ。
祖父と両親の前では、嫌々フラクシヌス教徒のフリをする演技をしたが、本当は純粋にその祭を楽しみ、神々に感謝した。
だが、歳の近い隠れ信徒の少女ベリョーザは、何の疑問もなく、力なき聖者キルクルスの教えに帰依した。
「迫害されないようにって言うのもあるけど、信仰の強さを試す試練だものね」
ベリョーザの瞳に宿るのは、どこか狂気じみた輝きだ。
整った顔立ちで、明るい笑顔も可愛かったが、仲良くしたいとは思えなかった。
互いの両親は、二人を将来、結婚させるつもりらしく、何かにつけて双方の家を行き来させ、二人きりになる機会を設けた。
共通の秘密を持ち、親公認だからか、ベリョーザの方は、完全にその気でいたようだ。ロークのディアファネス家に来る時はいつも、手作りの菓子を持って来た。
甘くベタつく記憶を振り払い、猪肉にかぶりつく。
臭みはあるが、脂の甘みと肉の濃い味に打消され、すぐ気にならなくなった。何の味付けもない、ただ焼いただけの肉がこんなに美味いとは思わなかった。
みんなも同じなのか、どんどん肉が減る。
「おいしいねー」
「ねー」
エランティスとアマナが、笑顔を向け合う。
野趣あふれる肉で腹いっぱいになり、もうどう頑張っても食べられなくなった。
「後で欲しいっつっても、ねぇぞ。いいな?」
「もう無理……」
「ご馳走様でした」
口々に猪とアゴーニへの感謝を言葉にする。
アゴーニが頷き、魔物の発生を防ぐ為、残りを灰にした。呪医セプテントリオーが、残った灰を水に溶かし、花壇に撒く。
みんなは声に出さずに猪の命を弔い、心の中で感謝の祈りを捧げた。
☆一緒に居たのがあんな僅かな時間……「0194.研究所で再会」「0195.研究所の二人」参照
☆この間もらった深鍋……「0288.どの道を選ぶ」参照
☆歳の近い隠れ信徒の少女ベリョーザ……「0048.決意と実行と」「0052.隠れ家に突入」参照




