0318.幻の森に突入
クルィーロとソルニャーク隊長は両手に一本ずつ枝を持ち、慎重に足を進める。
足には草の感触があるが、前に突き出した枝は、木の幹を通り抜ける。横に伸ばしたもう一本の枝にも、触れる物がない。一歩、横に進めば、枝が木に触れる。トラックが楽に通れる程度の幅員があるらしい。
注意すると顔に注ぐ日射しが、木漏れ日ではないのもわかった。
二人が歩くのは、鬱蒼と生い茂る雑木林ではなく、初夏の日差しが燦々と降り注ぐ、日当たりのいい草地なのだ。
……そりゃ、こんだけ照ってりゃ、雑妖なんか居ないよな。
不意に目の前の風景が変わった。
高い塀と開け放たれた門。門前にはまだ、緑髪の呪医セプテントリオーが居た。
「隊長さ……」
左を見たが、ソルニャーク隊長の姿はなかった。
「君は確か、力ある民でしたね?」
呪医がその場から動かず、質問を寄越した。クルィーロは立ち止まり、大きく頷いてみせる。
「魔力がなければ、ここを囲む【結界】を越えられないのです」
「えっ? でも、さっきはモーフ君……?」
「あなたが腕を掴んでいたからでしょう」
「ちょっ……ちょっと待て下さい。隊長さん、隊長さーん!」
一歩戻って見回すと景色が一変した。元の雑木林だ。
十歩ばかり奥にソルニャーク隊長の驚いた顔がある。
「一体どこへ? 急に姿が……」
「えっと、術で隠してあるっぽいです。ちょっとこっち来て、手を繋いでもらえますか?」
隊長が引き返し、戸惑いを隠しきれない顔でクルィーロの手に触れる。力ある民の工員はその手を握り、一歩、前へ踏み出した。
ソルニャーク隊長が息を呑む。
「……これは?」
「私も【巣懸ける懸巣】学派の術には詳しくありませんので、原理などは説明致しかねます。力ある民や【魔力の水晶】などを持つ者だけを選択的に通す【結界】のようです」
湖の民の呪医の説明を頭の中で反芻し、移動販売店見落とされた者の状態に当て嵌める。
キルクルス教徒の四人以外はみんな通れる。いや、こうやって手を繋げば、彼らもここに来られるのだ。もしかすると、トラックごと入れるかもしれない。
南ヴィエートフィ大橋を渡ってしまえば、それこそ、帰る手段を失ってしまう。
幸い、北ヴィエートフィ大橋のランテルナ島側の守備兵たちは、移動販売店のトラックが、魔物や魔法使いに襲われることを懸念した。島内で「行方不明」になっても、捜索しないだろう。
ここで匿ってもらえれば、帰る手立てを探す時間が稼げる。
「呪医、ちょっと、どいてもらっていいですか?」
「トラックで侵入できるかどうか、試してみたい」
ソルニャーク隊長も同じことを考えたらしい。呪医が頷いて庭の奥へ引っ込む。
二人は枝を捨て、広場へ駆け戻った。
説明を聞いたメドヴェージが複雑な表情を浮かべる。
「トラック、大丈夫ですかい?」
「やってみなければわからん。助手席は魔法使い二人どちらか。荷台は【水晶】を持つ者を分散させる。どうだ?」
ソルニャーク隊長が、メドヴェージ、アウェッラーナ、最後にクルィーロを見て言う。隣を見ると、アウェッラーナと目が合った。
クルィーロは、湖の民の薬師に頷いてみせる。
「助手席は俺が行きます。荷台の一番後ろ、いいですか?」
「はい。他の皆さんは等間隔に並んでもらっていいですか?」
薬師がみんなを見回し、メドヴェージで視線を止める。
アマナがクルィーロにしがみついた。
「大丈夫だって。あの辺は幻なんだから」
頭をくしゃりと撫でて笑顔を向ける。妹は不安のこびりつく顔で小さく頷いた。話が決まり、みんな大急ぎでトラックに乗り込む。
「じゃ、じゃあ、行くぞ」
「まっすぐです。まっすぐ行けば、大丈夫ですから」
運転手メドヴェージがゆっくりとアクセルを踏み、四トントラックが動きだす。メーターは時速二十キロ、自転車を少し飛ばしたくらいの速さで、木々が生い茂る森に突入する。
メドヴェージが顔を強張らせ、アクセルから足を放した。ブレーキはなんとか堪え、車体が慣性で前進する。木立がフロントガラスを突き抜け、後ろへ流れた。木の幹がサイドブレーキにめり込んで見える。
「は……ははっ、ホントに……幻なんだな」
「門はすぐそこです。まっすぐで、お願いします」
メドヴェージの肩から力が抜け、再びアクセルを踏んだ。唐突に景色が変わり、運転手が息を呑む。トラックはゆるゆる進み、開け放たれた門を抜け、荒れ果てた庭園で停まった。
「じゃ、みんなを降ろしましょう」
呆然と景色を眺める運転手に声を掛け、シートベルトを外す。
メドヴェージはエンジンを切り、首を捻りながら車外へ出た。
「運転手さん」
「呪医……ホントに、呪医なのかい? また、幻じゃねぇだろな?」
「私の【青き片翼】学派に【幻術】はありませんよ」
湖の民の呪医セプテントリオーが苦笑する。
クルィーロは鍵を受け取り、荷台を開けた。
みんなが、おっかなびっくり降りて来る。アマナが飛び付いた。
「なっ、大丈夫だったろ?」
「うん。ここ、誰のお家?」
「えっ? さあ? それはまだ聞いてないな」
アマナを抱きしめ、顔だけ呪医に向ける。
……あの人もテロで職場ぶっ壊されて、同僚とか担当の患者とか殺されたのに。
メドヴェージと話す呪医は、穏やかな微笑を浮かべる。
クルィーロは、自分たちの神経がおかしいのかと思ったが、呪医を見てわからなくなってきた。
「私の家ではありませんが、みなさん、中へどうぞ」
「呪医の家じゃねぇって、誰んちなんだ?」
「中でお話しますよ」
呪医は、装飾が施された立派な扉を開き、さっさと入ってしまった。みんなが顔を見合わせる。微妙な表情が互いをちらちら窺った。
「ここまで来たんだ。行くしかないだろ」
幼馴染のレノが、店長として先頭に立ち、玄関に入った。妹のピナティフィダとエランティスが慌てて後を追う。少年兵モーフが続き、メドヴェージや他のみんなも遠慮がちに入った。
湖の民の呪医が廊下の先で待つ。
ドーシチ市のお屋敷程ではないが、ここもクルィーロたちの実家よりずっと立派なお屋敷だ。
長い廊下を抜け、日当たりのいい部屋に案内された。ソファとローテーブルが、広い部屋に散らばる。
「どうぞ、お掛け下さい」
「椅子、動かしていいか?」
「どうぞ」
メドヴェージに快く応じ、呪医もソファの移動を手伝う。四脚のソファで一台のローテーブルを囲み、腰を落ち着けた。




