0317.淡く甘い期待
昼食後、ソルニャーク隊長と工員クルィーロが木立を調べた。
伐採された枝の山から、手頃なものを二本ずつ拾って木々に触れる。【幻術】で隠された道の幅がわかると、今度は二人並んで奥へ向かった。
道は、大人二人が木の枝を持ち、両手をいっぱいに伸ばして歩ける幅があった。これなら、移動販売店見落とされた者のトラックも楽に通れそうだ。
待機を命じられた少年兵モーフは、二人の後ろ姿が木立の幻に紛れて見えなくなるまで見送った。
「坊主、呪医はこんなトコで何してたんだ?」
「さあ? 塀があって、そン中の草ボーボーんとこで、ボーっと突っ立ってた」
同じく待機を命じられたメドヴェージが、もどかしげに質問を重ねるが、モーフにはそれ以上のことは答えられなかった。代わりに彼の発言を伝える。
「みんなも一緒か、どうやってこんなトコ来たんだって、あっちも驚いてた」
「そりゃ、驚くだろうよ。ここは敵地なんだから」
メドヴェージは、二人が消えた森の幻を見遣った。
……敵地?
誰にとっての、どんな敵だと言うのか。
ネモラリス人としてのみんなに対するアーテル共和国。キルクルス教徒に恨みを呑むランテルナ島民の魔法使い。フラクシヌス教徒……いや、魔法使い全員を問答無用で「悪」と断じるキルクルス教国となったアーテル共和国。
キルクルス教徒とフラクシヌス教徒、陸の民と湖の民、力ある民と力なき民、長命人種と常命人種……信仰、人種、魔力の有無、職業、年齢、性別、学歴、技能、出身地……何もかもがバラバラの集団だ。
それどころか、テロの加害者と被害者でもある。
少年兵モーフには「自分たち」が何者か、上手く説明できる気がしなかった。
表向きは、空襲で焼け出されたネモラリス人の難民。ここでは大火で焼け出されたリストヴァー自治区民だが、本当にそうなのは、近所のねーちゃんアミエーラだけだ。
針子のアミエーラが、二人の消えた森をじっと見守る。
……俺たちは、橋を渡ってアーテル本土に引越せばいいよな。
少年兵モーフは元々、自分の物など何ひとつなかった。家族は、例の大火で死んだだろう。
今の方が、持ち物が増えた。
近所のねーちゃんアミエーラが作ってくれた鞄には、ファーキルがくれた灰色のトレーナーと、薬師アウェッラーナが作ってくれた傷薬入りの紙コップ、レノ店長が分けてくれた塩がある。
薬師アウェッラーナから傷薬になる薬草の見分け方、レノ店長には食べられる草の料理を何通りも教えてもらった。放送局の廃墟と図書館では、メドヴェージに読み書きを教わった。
そればかりか、ドーシチ市では、商業組合長の屋敷で毎日たらふく食べさせてもらって、身体も丈夫になった。
ふかふかのベッドで眠り、甘い菓子もたくさん食べた。
……この世にあんな美味いモンがあるなんて、知らなかった。
思い出して、レノ店長を見る。屋敷ではパンと菓子を焼いた。屋敷の職人と同じくらい上手く、美味いものを作れる。
ピナと小さい妹もそうだ。魔法ではなく、技術らしいが、どちらもモーフには手の届かないものだ。
ピナたちパン屋の三人も、アミエーラと同じ不安な眼差しを森へ向ける。
彼らは、アーテルに居てはいけない。
なんとかして、ネーニア島へ帰らせてやりたいが、モーフにはどうすればいいかわからなかった。
……力なき民だから、キルクルス教に改宗したら、ずっと一緒に居られるんじゃねぇか?
淡い期待を抱いてパン屋の兄妹を見る。
そう言えば、フラクシヌス教のお祈りをするのを見たことがない。さっきも、検問を突破する為にキルクルス教の聖句を覚え、聖印旗を作るのも手伝ってくれた。
レノ店長は何もしなかったが、ピナは自分から旗作りを手伝うと言ってくれた。
……あれっ? もしかして、結構イケんじゃね?
南ヴィエートフィ大橋を渡った先にどんな街があって、どんな人々がどんな暮らしを送るのか。
アーテル共和国は、リストヴァー自治区民の救済を名目に戦争を始めたのだ。少なくとも、自治区よりマシだろう。
……そうだよな。俺らの家、廃墟以下だったもんな。
文字通り、泥水を啜り、地べたを這いずる暮らしを強いられてきた。
女の子たちの多くは、モーフくらいの歳になると、工員など定職に就くおっさんに嫁がされるか、客を取らされた。
モーフの姉は、不自由な身体のお陰でどちらもせずに済み、内職を頑張った。
近所のねーちゃんアミエーラは、父親にそこそこ収入があり、本人も手に職付けられたから、あんなコトせずに済んだらしい。
……ん? あれっ? あいつ、なんで?
ファーキルは、大橋の警備兵に街と教会の名前をすらすら言った。ラクリマリス人の癖にアーテルに親戚が居るなどと、よくあんな嘘をさらっと言えるものだ。
「なあ、兄ちゃん、何でアーテルの街、知ってンだ?」
思い切って聞いてみると、ファーキルはタブレット端末から顔を上げた。
「知ってるワケじゃないよ」
「えっ? デタラメ言って、たまたま当てたのか?」
「電波が通じるのがわかったから、地図サイトにアクセスして、大橋から一番近い大陸側の街と教会を言っただけ」
「ふーん」
モーフには半分くらい、意味がわからなかったが、取敢えず、あの板があれば、色々調べられることだけはわかった。
「その、なんとかって街、どんなトコなんだ?」
「ん? 見る? ちょっと待って」
ファーキルは板を撫で、少年兵モーフに手招きする。隣に座って板を覗くと、地図があった。それも、図書館で見たのっぺりした平面図ではない。街を空から見下ろしたようにリアルな地図だ。
「これ、イグニカーンス市の航空写真」
ファーキルが指差した橋の傍に赤色で市名が書いてある。長い単語だが、そう言われて文字を追えば、モーフにもなんとか読めた。
「それと、こっちがアストルム教会。建物の写真に被せてあるのは、キルクルス教の教会のマーク」
ラクリマリス人の少年が示した屋根には、星形の周りを楕円で囲んだ印が乗り、その横に青で「アストルム」の文字が並ぶ。
赤茶色の小さな屋根が連なる中、ちょっとした広場に囲まれたその建物は目立った。
ファーキルが指を動かすと、教会が大きくなった。指が隅の印に触れた瞬間、写真がくるりと向きを変える。普通に地面から見た角度だ。リストヴァー自治区の教会よりずっと大きくて立派で、広場にはたくさんの車が停めてある。
指の動きに合わせて、景色が流れた。
教会の門をくぐり、敷地の外へ出る。
正面は、ゼルノー市で見たような商店街だ。四車線道路の向こう側には、様々な商店が軒を並べる。店に出入りする者の姿が、行き交う車の隙間から見えた。
ファーキルの指が動き、視点がくるりと変わる。
今度は教会の塀に沿って歩きだした。道行く人の顔はぼんやりしてよくわからないが、みんなキレイな服だ。バラック街の住民と同じ恰好の者は、一人も居ない。
教会の周囲を一周すると、地図が閉じられた。
「そろそろ電池が減ってきたから、休憩」
「お、おう……えっと…………ありがと」
夢から醒めたような心地で、真っ黒になった板を見る。
「隊長さんたち、遅いね」
そう言われて、森に顔を向ける。二人の姿は見えなかった。
☆例の大火……「0054.自治区の災厄」「0055.山積みの号外」「0212.自治区の様子」~「0214.老いた姉と弟」参照
☆アミエーラが作ってくれた鞄……「0255.魔法中心の街」参照
☆ファーキルがくれた灰色のトレーナー……「0201.巻き添えの人」参照
☆薬師アウェッラーナが作ってくれた傷薬入りの紙コップ……「0203.外国の報道は」参照
☆レノ店長が分けてくれた塩……「0171.発電機の点検」参照
☆放送局の廃墟と図書館では、メドヴェージに読み書き……「0138.嵐のお勉強会」「0168.図書館で勉強」参照
☆検問を突破する為にキルクルス教の聖句を覚え……「0308.祈りの言葉を」参照
☆聖印旗を作るのも手伝ってくれた……「0307.聖なる星の旗」参照
☆アーテル共和国は、リストヴァー自治区民の救済を名目に戦争を始めた……「0078.ラジオの報道」「0154.【遠望】の術」参照
☆ファーキルは、大橋の警備兵に街と教会の名前をすらすら……「313.南の門番たち」参照




