0316.隠された建物
少年兵モーフは工員クルィーロを見上げた。彼の目は庭の人物に釘付けだ。モーフの腕を掴む手が震える。
庭の人物が、ゆっくりと歩いてきた。門の手前で足を止め、夢でも見るような目で二人を見詰める。その顔には、モーフも見覚えがあった。
……コイツ、なんでこんなトコ居るんだ?
驚きのあまり声が出ない。
どのくらい見詰め合ったのか。
最初に我に返ったのは、魔法使いの工員クルィーロだ。
「……呪医、何でこんな所に?」
「君たちこそ、どうやってここへ?」
お互い、幻に話し掛けるような声だ。後の言葉が続かない。
少年兵モーフは、湖の民の背後の庭をじっくり見た。
元はドーシチ市の屋敷のように花壇などが整えてあったのだろう。今は雑草が我が物顔で蔓延り、庭を埋める。
その奥には、屋敷より小さいが、立派な家が見える。こちらは特に傷んだ様子はなさそうだ。
……なんで木が消えたんだ? なんでこんなトコに家があるんだ?
見たところで、状況を知る手掛かりになるどころか、謎が増えただけだ。魔法使いの工員クルィーロは、呪医と呆然と見詰め合うだけで、当てになりそうもない。
「おぉーい! どこ行ったー!」
メドヴェージの声が届いた。何度も叫ぶ声は同じ位置から聞こえる。流石のおっさんも、一人では森に入れないらしい。
湖の民の呪医が、二人の背後に目を遣りながら聞く。
「運転手さんも? みなさんで、ランテルナ島へ渡って来たのですか?」
「来たくて来たんじゃねぇよ」
「えっと……話せば長くなるんですが、心配されてるんで、ちょっと戻ります」
クルィーロに視線で窘められ、モーフはムッとしたが、素直に従った。
呪医の声が二人の背中を追い掛ける。
「門の前の木立は【幻術】ですよ。道を隠しているのです」
「えっ?」
クルィーロが振り向き、手近の大木に触れる。その手が幹を突き抜けた。モーフも、恐る恐る薮に手を突っ込んでみる。何の手応えもなかった。
……何だこりゃ?
引っ込めた手をしげしげ眺めたが、異状はない。
来る時は「ある」と思って避けて通ったが、思い切って直進してみた。身体が木の幹も生い茂った薮も素通りする。足に触れる草の感触は生々しい。
クルィーロが、薬草を一本摘んで匂いを嗅いだ。膝くらいの高さに伸びた草はホンモノだ。
少年兵モーフは、さっき放りだした袋を拾い、薬草を入れるよう促した。
改めて周囲を見回す。この木立には雑妖が居なかった。ラクリマリスの新道の脇は、ちょっとした薮の中にも雑妖が居た。
……そっか、ホントは木がなくて日当たりいいから、雑妖が居ねぇンだ。
広場に出た途端、メドヴェージに捕まって頭をわしゃわしゃ撫で回された。
「坊主、どこ行ってたんだ? 急に見えなくなったから心配したんだぞ?」
説明できないモーフに構わず、おっさんはクルィーロに礼を言う。
湖の民の薬師も、おっさんの隣でホッとする。二人しか居ない魔法使いが、両方とも森へ入るのを躊躇したのだろう。
ソルニャーク隊長とレノ店長は、食事をするみんなから少し離れた場所に立って周囲を警戒する。
「おーい! みんなー、出てきたぞー!」
メドヴェージが、この上もなくイイ笑顔でみんなに手を振る。
別々の方向を見張る隊長と店長が、こちらを向いた。焼魚を頬張るみんなも顔を上げる。女の子たちが嬉しそうに手を振り返した。
「あ……あの、アウェッラーナさん、お医者さん、居ました」
「お医者さん?」
クルィーロが、たった今見たばかりのものをたどたどしく説明する。自分でも信じられない顔だ。モーフにも巧く説明できる自信はない。
湖の民アウェッラーナが首を傾げる。あの人物と同じ緑色の髪が揺れた。
「えっ、えっと、森……あっちの森……えーっと、クブルム山脈の麓の研究所に居た人」
「セプテントリオー呪医ですか?」
「そう、その人です」
「兄ちゃん、夢でも見たんじゃねぇか?」
知合いの呼称を出され、メドヴェージが疑わしそうに苦笑した。
「モーフ君も一緒に見たよなッ」
クルィーロに話を振られ、少年兵モーフはこくりと頷いた。
あの呪医は、研究所で長ったらしい呼称を名乗ったが、モーフの知らない単語で覚えられなかった。代わりに、ゼルノー市民病院で情けを掛けられ、水壁で閉じ込められた記憶がまざまざと甦る。
……なんでこんな遠くの島に居るんだ? ここは敵国……アーテルの領土だぞ?
少年兵モーフの胸に呪医への不信感が湧き上がる。
「坊主、呪医はこんな森ん中で、何してたんだ?」
それには、モーフも首を傾げるしかなかった。何故、こんな森の中に建物があるのか。あんな荒れ果てた庭で呪医は何をしていたのか。
「この辺から奥、ホントは木がなくて、【幻術】で森っぽくしてあるだけなんだそうです。後で行ってみませんか?」
「そうなのか? じゃ、まずは腹拵えだ」
クルィーロが言うと、メドヴェージは大きな手でモーフの背を押して、みんなの所へ連れて行った。少年兵モーフが、ソルニャーク隊長にこってり叱られたのは言うまでもない。
☆ラクリマリスの新道の脇……「0297.トラブル発生」参照
☆クブルム山脈の麓の研究所に居た人……「0194.研究所で再会」「0195.研究所の二人」参照
☆知合いの呼称/メドヴェージ……「0017.かつての患者」参照
☆ゼルノー市民病院で情けを掛けられ、水壁で閉じ込められた……「0013.星の道義勇軍」参照




