0314.ランテルナ島
ファーキルは今すぐ服を脱ぎ捨て、全力で身体を洗いたくなったが、衝動を抑え込んでナビに徹した。
タブレット端末が、橋頭堡に設置されたアンテナから電波を受信する。メールの送受信とサイトへのアクセスは、問題なくできた。
ランテルナ島内に山はないが、小高い丘が幾つも連なり、森林もある。主要な道路は沿岸部だけでなく、森も通る。魔法使いの住人が【魔除け】などで保護するのだろう。
島の西部は平野が多く、比較的安全だろうが、かなり遠回りになる。
地下街チェルノクニージニクは、南ヴィエートフィ大橋の西の平野、カルダフストヴォー市の下に広がる。
地上の街カルダフストヴォー市は、ランテルナ島最大の都市だ。アーテル本土に最も近いからか、度々星の標のテロに遭う。魔物以外にも気を付けなければならなかった。
「あのー、すみません」
「どうしたんです?」
五分くらい道なりに走った頃、薬師アウェッラーナが、恐る恐る声を掛けた。
ファーキルが身を捻って聞くと、湖の民の薬師は身を隠したまま答えた。
「この島、魔法使いの居住区なら、トラックの旗とか外した方がいいかなって」
「あッ!」
アーテル領に入ったからと思ったが、ランテルナ島民はフラクシヌス教徒だ。改宗させる為にキルクルス教の教会はあるが、聖職者はバス通勤する。
メドヴェージが、ミラーを見ながら速度を落とす。
「後続車があるといけねえ。ちょっとそっちの脇道で外すか」
今のところ、他に車の姿はないが、時間になれば島内を巡る路線バスが通る。メドヴェージが知っているとは思えないが、上下二車線しかない道路をトラックで塞ぐのは、よくないだろう。
放送局のイベントトラックが、一車線分しかない砂利道に入り、車体が揺れた。アスファルトこそないが、木々に囲まれたこの道にも【魔除け】の石碑がある。
適当な所で停め、メドヴェージが運転席を降りる。少し迷ったが、ファーキルも助手席から降りた。
メドヴェージが荷台を開け、ソルニャーク隊長に指示を仰ぐ。
「そうだな。ランテルナ島内なら、アウェッラーナさんが出ても大丈夫だろう」
みんなで木箱と荷物を除け、工員クルィーロが係員室に声を掛けた。
アウェッラーナが合言葉を唱え【鍵】を解除する。クルィーロに魔法のマントを渡し、車外へ出た。
「メドヴェージ、モーフ、腕章も外しておけ」
ソルニャーク隊長が、トラックから聖なる星の道の聖印旗を外しながら言う。二人は素直に従って、ズボンのポケットに入れた。
さっき、大橋の警備兵に語った話では、彼らのテロ組織「星の道義勇軍」は、ほぼ壊滅状態だ。それでも、運転手メドヴェージと少年兵モーフは、彼を隊長と呼んで従う。
彼らの中でテロ作戦が継続中なのか、単に惰性でそう呼ぶだけなのか。
ファーキルの目には、後者に映ったが、大橋での説明を聞いてわからなくなってしまった。
「お兄ちゃん……」
「ん?」
ファーキルの傍らで、小学生のアマナが兄のツナギの袖を引っ張った。妹に手招きされ、工員クルィーロが腰を屈める。アマナが耳打ちすると、クルィーロは頷いてみんなに声を掛けた。
「ちょっとあっち行って来る」
「ん? あぁ、気を付けてな」
レノ店長が軽い調子で手を振った。
……トイレか。
二人の姿が、曲がりくねった林道の先に消える。
女の子はその辺で立ちションと言うワケにはゆかない。兄のクルィーロは魔法使いだ。周囲を警戒してもらえれば、安心だろう。他の女の子たちは、アウェッラーナと一緒に行く。
何かあっても、魔法使いが一緒なら、大抵のことはなんとかなりそうだ。
大橋の警備兵は、魔物が棲むと言ったが、今は昼間だからか、何の気配もない。
この林道は、定期的に人の手が入るようだ。道の上に太い枝はないが、今春、伸びたばかりの細い枝が、風にひょろひょろ揺れる。
ラクリマリスの新道は、【魔除け】の石碑で護られた範囲外のちょっとした薮でも、雑妖が犇めいた。
この道は薮が刈ってあり、雑妖が居ない。わざわざこんな手間を掛けて管理すると言うことは、誰かの私有地かもしれない。所有者にみつかったら面倒なことになりそうだ。
……どうやってネモラリスに戻るんだろう?
あの場は、ああ言うしかなかったが、アーテルには魔道機船が一隻もない。
半世紀の内乱中に破壊された港は、瓦礫が撤去されただけで、それ以上の整備はされなかった。
空港はあるが、湖南地方の大陸本土側の国々と、アルトン・ガザ大陸のキルクルス教徒の多い国としか繋がらない。そもそも、トラックは旅客機に乗せられない。
陸路で他国へ行き、そこから船に乗るにしても、ラクリマリス政府の湖上封鎖がある。
アーテルの西隣、スクートゥム王国は船を出せないが、元々周辺国との交流が少ない為、特に困った様子がない。
一方、東のフラクシヌス教諸国は、航路の封鎖で経済的な損失が出た。フラクシヌス教国でのラクリマリス王国の発言は絶対だ。苦情を言うなど、思いもしないだろう。
鬱憤の矛先がアーテル共和国へ向くのは、中学生のファーキルでも想像がつく。
……フラクシヌス教国が、ネモラリスの援護で参戦しないのは、何でだろ? 元は同じ国だから内輪揉めっぽく見えてんのかな? 例の魔法生物云々のデマが効いてんのかな?
それはそうと現状、湖南地方の遙か東端にあるアミトスチグマ王国まで行かなければ、すぐ傍のフナリス群島にさえ出られない。
アミトスチグマ王国からは、ネーニア島やネモラリス島への直通航路があるが、アーテルの東隣、ラニスタ共和国もキルクルス教国だ。ラニスタ共和国は、同盟国のアーテルを支援し、開戦直後は空爆にも参加した。
国境の検問をどうやって抜ければいいか、悩ましい。北ヴィエートフィ大橋と同じ手が通用するだろうか。それに、道中で魔物に襲われる懸念もある。
この中で【跳躍】の術が使えるのは、薬師アウェッラーナだけだ。彼女一人だけなら、いつでも知っている場所へ移動できる。
移動販売店見落とされた者に同行するのは、医療者として、彼らの生命を守るつもりだからだろう。
ファーキルの知る限り、少なくとも、経済的には大いに助かった。
アウェッラーナが居なければ、ドーシチ市で元貴族の館に泊めてもらえなかっただろう。仕事はキツかったが、報酬として、たくさんの【魔力の水晶】や食糧、道具をもらえた。
「おーい、みんなー」
工員の兄妹が戻ってきた。
「お待たせー。あっちに薬草がいっぱい生えた野原があったぞ」
クルィーロの声で、ファーキルはタブレットの地図を開いた。衛星写真に表示を切替える。撮影日は不明だが、くねくねした道を少し進むと、ちょっとした広場があった。
「昼飯、あっちで食べないか?」
「そうだな。そうしよっか……メドヴェージさん、トラック、いいですか?」
「あぁ。どの途、ここじゃUターンが難しいからな。ありがてぇや」
レノ店長と運転手メドヴェージで話がまとまると、みんなはトラックに乗り込んだ。




