0312.アーテルの門
肉眼では島影が霞んで見えたが、トラックは一時間ばかりで北ヴィエートフィ大橋の南端、ランテルナ島の北東端に到着した。
薬師アウェッラーナは、交換品でもらったスカーフを頭にしっかり巻き付け、別布を額に括って固定した。
湖の民の特徴である緑色の髪と眉は隠したが、脱げと言われればそれまでだ。
鉄扉の上から、橋頭堡の見張り台が顔を覗かせる。
アウェッラーナは、荷台奥の係員室で毛布に包まって息を殺した。
トラックが停まり、助手席の戸が開く。
ソルニャーク隊長の良く通る声が、見張りに呼び掛けた。
「我々は、星の道義勇軍だ。聖者キルクルス・ラクテウスの名の許に日の光注ぐこの地まで逃れてきた。心ある学びの友よ。この扉を開けて欲しい」
ややあって、高い所から拡声器の声が降ってきた。
「リストヴァー自治区の者か」
「そうだ。魔法使いの放火に遭い、多くの同胞が生命を奪われた。今、世界中の友より支援を受け、復興しつつあるが、魔法使いに囲まれたあの地では、また、いつ何時、迫害を受けるやも知れん」
……演技……よね?
心のどこかで、これがソルニャーク隊長の本音ではないかとの思いが燻ぶる。本心だったとしても、アウェッラーナには、彼ら自治区民を責める筋合いはなく、そんな気にもなれなかった。
テロ以前のリストヴァー自治区東部の暮らしは、およそ人間の最低限の尊厳すらないものだった。
アウェッラーナたちフラクシヌス教徒が、半世紀の内乱の痛手から立ち直り、元通りではないにせよ、安心して平和な生活を送る間、自治区民は文字通り、泥水を啜る暮らしだったのだ。
そして、テロを起こした星の道義勇軍は、軍人ではない市民や警官の返り討ちに遭って鎮圧された。
力なき民の彼らが多少武装したところで、力ある民には勝てないのだ。
「荷台には、焼け出された孤児も乗っている」
ソルニャーク隊長の声を受け、メドヴェージが運転席を降りて荷台を開けた。小声で少年兵モーフを呼んで扉を閉める。
モーフとメドヴェージが、トラックの前に出て叫ぶ。
「ちっちゃい女の子も居るんだ! おっちゃん! 早く開けてくれよー!」
「荷台は暑い。こんなとこでじっとしてたら、子供らが蒸し焼きになっちまう! 助けてくれ!」
「向こうの検問はどうした!」
拡声器が厳しい質問を寄越した。ソルニャーク隊長が澱みなく答える。
「魔獣の群に襲われた! 我々は混乱に乗じて強行突破してきたのだ! 証拠写真もある!」
耳障りな軋みに続き、複数の足音が近付いた。
知らない声が、キルクルス教の祈りの詞を唱える。
「日月星蒼穹巡り、虚ろなる闇の澱みも遍く照らす」
「日月星、生けるもの皆、天仰ぎ、現世の理、汝を守る」
星の道義勇軍の三人が、残りを唱和した。
アーテル共和国でも、この【魔除け】の呪文の湖南語訳と同じ祈りを捧げるらしい。警備兵の声から険しさが消えた。
「大変だったな。念の為、写真を見せてくれ」
助手席の戸が開き、沈黙が続く。
……大丈夫、よね?
湖の民の薬師アウェッラーナは、毛布の中で身を縮めた。
係員室の戸には【鍵】の術を掛けたが、工具で壊されればないのと同じだ。息を殺して外の声に聞き入った。
「確かに一昨日、向こうの空を穢らわしい化け物共が飛び回るのが見えたが」
「こんなコトになってたのか」
「写真全部、送ってくれないか?」
「このタブレットは、私の物ではないんだ」
足音が荷台の後ろへ駆け、少年兵モーフの声がファーキルを呼んだ。二人の足音がトラックの前に走る。
「えっと、兵隊さんのメルアド、教えて下さい」
ファーキルと兵士の一人が写真の受け渡しを始める。
その傍らで、他の兵士がソルニャーク隊長たちに質問を続けた。どのように自治区を脱出したのか、トラックの入手経路は、ここまでどう辿り着いたのか。
ソルニャーク隊長とメドヴェージが、少しずつ嘘を混ぜて答える。
「我々の作戦について、知っているか?」
「いや?」
「ラニスタの支援を受け、数年に亘って準備を整え、武装蜂起を決行した。空襲の数日前だ」
「仲間はかなりやられちまったが、警察署と市民病院は粗方制圧できて、いいとこまで行ったんだがな」
「自治区の住宅密集地に放火された」
実際には制圧寸前で反撃を受け、ソルニャーク隊長ら、僅かな生き残りも捕縛された。あの大火が放火なのは、ほぼ間違いないだろうが、何者の犯行か不明だ。
「この子らの家は焼け、家族は残念なことになった」
「ああ……それなら、湖南経済新聞のサイトで見た」
聖印を切ったのか、数秒の沈黙があった。
☆魔法使いの放火に遭い/あの大火……「0054.自治区の災厄」「0055.山積みの号外」「0161.議員と外交官」「0212.自治区の様子」~「0214.老いた姉と弟」参照
☆テロ以前のリストヴァー自治区東部の暮らし……「0018.警察署の状態」「0019.壁越しの対話」 「0045.美味しい焼魚」「0046.人心が荒れる」「0294.弱者救済事業」参照
☆星の道義勇軍は、軍人ではない市民や警官の返り討ち……「0015.形勢逆転の時」「0017.かつての患者」「0020.警察の制圧戦」参照
☆証拠写真……「0303.ネットの圏外」参照
☆ラニスタの支援……「0036.義勇軍の計画」参照




