0310.古い曲の記憶
「ネモラリス島の支持者が、ラクリマリスの支持者経由で新しい動画をUPしてくれたんだ」
諜報員ラゾールニクが、タブレット端末を操作しながら言う。ダウンロードして来た曲が、がらんとした食堂に流れた。
別荘所有者の親戚シルヴァは、ランテルナ島にある別の拠点へ行って、まだ戻らない。
葬儀屋アゴーニも留守だ。北ザカート市西部の拠点で、武闘派ゲリラの素材調達を手伝う。
開け放たれた窓から初夏の風が吹き込み、セプテントリオーの髪を揺らす。新緑と同じ色の髪はすっかり伸びて鬱陶しいが、まだ当分、散髪に行けそうもない。
「旧王国時代に作られた曲らしいんだけど、呪医、覚えてる?」
「もう少し、聴いてみないことには」
長命人種の呪医セプテントリオーは、食卓に置かれた薄っぺらい板が発する音に聴き入った。
ヴァイオリンのゆったりした前奏に続き、管楽器が主旋律を歌うように奏でる。
「これは、聖歌……樫祭で聴いたことがあります」
陸の民の諜報員ラゾールニクは無言で頷いた。
力強い打楽器の響きが加わり、主旋律が調子を変える。コントラバスやチューバの重量感のある音色が大地のように低音部を支え、オーボエ、クラリネット、トランペットが競い合って空の高みを目指し、主旋律を奏でた。
岩山の神スツラーシを讃える聖歌だ。
……フラクシヌス教の聖歌をまとめて交響組曲にしたのか?
山の頂から駆け降りたヴァイオリンが、フルートと共に穏やかに澄み渡る湖面を表し、グロッケンとピッコロが、湖水に陽光のきらめきを添える。
セプテントリオーたちが崇める湖の女神パニセア・ユニ・フローラの聖歌だ。
聖歌と聖歌の継ぎ目は滑らかで、何の違和感もない。信者の少ない神々の聖歌も次々と続く。
セプテントリオーには、その神々の御名は思い出せないが、聖歌には朧げながら聴き憶えがあった。
……憶えがあるくらいだ。耳にしたのは一度や二度ではないのだろうが。
何せ、旧ラキュス・ラクリマリス王国時代は、二百年近く前のことだ。
フナリス群島で暮らした子供時代に聴いたのか、軍医として各地を転戦した頃、どこかで小耳に挟んだのか。記憶を辿りながら旋律に耳を傾ける。
「あッ!」
ピアノの軽快な音色に思わず声を上げた。
諜報員ラゾールニクが、その反応を待っていたように顔を綻ばせる。
ピアノが歌う主旋律は、キルクルス教の聖歌だ。
「神々の祝日……」
旧ラキュス・ラクリマリス王国時代の記憶が、時を越えて甦る。
領内で信仰される全ての神々の聖歌メドレーだ。
年に一度、各神殿や教会、小さな祠に至るまで、この曲を奏でた。勿論、こんな大掛かりな交響楽団ばかりではない。聖職者や信徒が扱える限りの楽器で、その日だけは信じる神の区別なく、三十分に亘る曲を共に奏でた。
共和制移行時に王国軍が解体され、近代兵器を取り入れた共和国軍に再編。呪医セプテントリオーは、軍医の職を辞して公立病院に就職したが、変わったのは何も軍だけではない。祝日も変わり、「信仰の自由」の名の許に「神々の祝日」は廃止された。
共和制移行後百年、その後、半世紀の内乱があり、和平から三十年が過ぎた。百八十年余り耳にしなかった。すぐに思い出せないのも無理からぬことだ。
「呪医、思い出した?」
諜報員ラゾールニクが、子供のような笑顔を見せる。長命人種の呪医セプテントリオーは、曲の余韻が残る頭を微かに振った。まだ、半ば夢の中を漂うような心地だ。
「昔のことも?」
「えぇ。神々の祝日の……祭の様子などを思い出しました」
「呪医って、信心深い系の人?」
軽いノリの質問に思わず苦笑が漏れる。
ラゾールニクは、笑みを引っ込めた。
「やっぱ、それ系の質問って答え難いんだ?」
「いえ……信仰はしていますが、あまり熱心ではありませんね」
「それでも、あの曲は覚えてたんだ?」
「毎年、神々の祝日に国中で演奏されましたからね。当時を知る者なら誰でも」
「忘れてても、聞けば思い出せるカンジ?」
「さあ? 人によると思いますが……私は思い出せました」
言葉を重ねる内に意図がわかってきた。だが、彼らの計画には大きな穴がある。指摘したものか、湖の民セプテントリオーは思案した。
「勿論、二百年くらい前のことを知ってる人があんま居ねぇってのは、こっちの偉いさんもわかってるよ」
「キルクルス教徒には一人も居ませんね」
こちらの考えを見透かすような言葉に懸念のひとつを口にしてみた。
この曲をインターネットとやらで流したところで、平和だった時代を懐かしむキルクルス教徒は居ない。
魔力を持たぬ「力なき民」には、長命人種が生まれないのだ。
湖の民と力ある陸の民でも、数百年の長きを生きられるのは、平均して三割程度だ。それも、戦乱や魔物の襲撃、事故や傷病で亡くなる者が多い。
長命人種には千年近い寿命があるらしいが、セプテントリオーのように四百年余り生き延びた者でさえ、ほんの一握りだ。
……私も、後どれだけ生きられるか。
「当時を直接知らなくても、そんな時代があったって、知ってもらうのが大事なんだってよ」
「それも、支援者の方の発案ですか?」
「そう。聖職者の人と音楽に詳しい人が文章作ってくれて……あ、動画は下に説明文付けられるんだ。動画の下まで読んでもらえたら、まぁ、なって」
アーテル領内で一働きした後、この拠点に立ち寄ったらしい。
ラゾールニクはタブレット端末を撫で、別の曲を流した。ピアノ……先程の「聖歌メドレー」最後の部分。キルクルス教の聖歌のアレンジだ。
「今日はこの部分だけ、単体で流してきたんだ」
その行為の意図を計りかね、セプテントリオーは首を傾げてみせた。
諜報員ラゾールニクは、音楽に詳しい人の受け売りだと一言断って、説明する。
「単純接触効果って奴で、何度も聞いて耳に馴染んだら、その曲が好きになりやすいんだってさ」
「アーテルでは、まず、このアレンジに親しませてから全体を流すのですか?」
「そう言うコト。頭イイ人は理解が早くて助かるよ」
何やら含みのある言い方をされたが、聞かなかったことにして金髪の青年に別の質問をする。
「その、支援者の方々の最終目標は、単なる戦争の終結ではないのですね?」
「ん? さあ? 俺はとっとと戦争を終わらせる為に民衆心理を揺さ振る作戦って聞いたけど?」
とぼけたのか、本当に知らないのか。
ラゾールニクの飄々とした態度に変化はなかった。
☆ランテルナ島にある別の拠点……「0269.失われた拠点」「0279.悲しい誓いに」「0285.諜報員の負傷」参照




