0309.生贄と無人機
防空艦のサイレンが長く尾を引き、魔装兵ルベルと相棒は飛び起きた。取るものも取敢えず、甲板に出る。
当直の哨戒兵たちが南の空を睨み、次々に状況を説明した。ルベルも【索敵】を唱え、南の空を見上げる。
アーテル空軍の爆撃機が、夜明けの空を埋め尽くす。
「甲板員、【操水】用意。嵐に備えよ」
ルベルは伝声管の声に首を傾げた。
相棒が親指を立て、ザカート港をぐいっと示す。
瓦礫が撤去された陸には、巨大な魔法陣があった。直径は、防空艦の全長と同じくらいだろうか。
中心には、昔ながらの長衣を纏った湖の民の女性と、軍服姿の陸の民が居る。
「……ネーニア家の当主?」
「よく知ってるな。諜報員が昨日、大規模攻勢の情報を仕入れてきたんだ」
「それが、これ」
「そう。シェラタン様にお出まし願って、一晩中掛かって魔法陣を準備していただいた」
魔法陣の外周付近には、八人が等間隔で立つ。ルベルは【索敵】の目を向けた。いずれも老人だ。
諦めた顔で目を閉じる者、神に祈る仕草をする者、憎悪の眼差しで遙か南の空を睨む者、覚悟を決めた目で円の中心を見詰める者……八人の態度はまちまちだが、魔法陣から出る者はなかった。
湖の民を統べるラキュス・ネーニア家の若き当主は、細い腕に槍の束を抱える。
「俺たち、【操水】には参加しないし、陸に揚がっとこう」
相棒に肩を掴まれ、有無を言わさず【跳躍】された。
呪文の詠唱が終わると同時に視点が変わる。瓦礫の山と半壊の廃墟。その向こうに明けゆく日射しを浴びる森が横たわる。
「はい、こっち向いて」
強引に身体の向きを変えられる。二人は魔法陣のすぐ傍にいた。
円内の老人が背筋を伸ばす。
「兵隊さん、今から孫の仇を討ってやります。儂の代わりにどうか……どうか、見届けてやって下さい」
「仇?」
「その身刺し 生命の力 ここに注ぎ……」
女性の凛とした声が、夜明けの大気を震わせた。
老人は魔法陣の中心に向き直り、魔装兵ルベルの問いに答えない。
「大気渦巻き雲を呼べ 黒き雲 涙の滴 地に降らせ……」
軍服の男も詠唱を始めた。こちらは首から【雪読む雷鳥】の徽章を提げる。
……たった一人で嵐を?
いや、違う。槍の束がネーニア家当主の手を離れ、宙を舞う。柄に刻まれた力ある言葉が魔力を帯びて輝いた。
当主のふっくらした胸元で【贄刺す百舌】の徽章が揺れる。
「廻り束ねよ 魔力織り……」
「雷よ 雲より出でて慟哭の怒りの光 嘆きの雨と天を裂け……」
八本の槍が天高く上がり、向きを変えて降り注ぐ。
暗雲が垂れ込め、昇り始めた朝日の輝きを遮った。
「我 翼佐せん この力……」
「天を行く諸の翼を落とせ 落つ先の地を往く者を押し流せ……」
ルベルの眼前で老人が槍を受け、地に縫い留められる。刺し貫かれた胸から夥しい血を流しながらも、槍が支えになり、倒れることすら叶わない。
……百舌の早贄。
全ての槍が円内の贄を貫き、その生命力と魔力を魔法陣に注ぐ。
「翼け衛りて 扉を放ち 天地の間に満ちよ」
シェラタン当主を中心に魔力が膨れ上がり、魔法陣内の大気が歪んで見える。湖の民の緑髪が、吹き上がる突風に煽られた。
梢のようになびく髪に頓着せず、湖の民最高の有力者ラキュス・ネーニア家当主が、軍服姿の術者を指差した。八人から奪った力が、魔法陣の中心に立つ【雪読む雷鳥】学派の男を取り巻き、淡い光を帯びて渦を巻く。
「雨を矢と成し槍と成せ 乱す風 縦吹き 刃を運べ……」
風が起ち、遙か南の沖合で雲を乱して荒れ狂う。
躯が枯れ萎れ、瞬く間に灰と化す。風に散る灰から淡く輝く結晶が落ちた。
……【魔道士の涙】……この為に?
長く生きた者程、後に残る魔力の結晶は大きくなる。老人たちが唯々諾々と贄となった理由は、明らかだ。
「……紫電織りなす雷霆よ 天地に注ぎ 幕を引け」
雷鳴が轟き、腹の底から足の裏まで震わせた。大粒の雨が天と地の狭間に巨大な幕を降ろし、紫の雷光が無数に天を駆け巡る。
突然の豪雨に打たれ、ルベルたちもあっという間にずぶ濡れになった。魔装兵の軍服は略式の魔法の鎧だ。槍となって叩きつける大粒の雨もさほど痛くはないが、その打撃の重みには、足を踏みしめて耐えねばならなかった。
魔法陣を染めた八人の血が、足元で川を成す雨にさらわれ、ネーニア島の大地から女神の涙ラキュス湖へと流れ去る。
魔装兵ルベルは額に手をかざし、槍のような雨粒を防いで【索敵】の目を南の空へ向けた。
爆撃機の群が豪雨の中、激しい風に揺さぶられてふらつく。天を引き裂く雷の直撃を受け、機体が発光した。
兵学校で、航空機には避雷針の役割を果たす放電装置がある、と教わったのを思い出す。
……八人も生贄にして、一機も墜とせませんでしたじゃ暴動が起こるぞ。
老人たちがどのように集められたか、ルベルは知らない。ネモラリス軍とラキュス・ネーニア家は、彼らの死を隠し通せるのか。
彼らの【魔道士の涙】から輝きが失われ、砕け散った。
無数の雷が雨と同じく降り注ぎ、暗雲に閉ざされた天を紫の閃光が染める。
立て続けに撃たれた一機が、ついに爆発した。燃料と爆薬の積載量はいかばかりか。爆炎が周辺の機を巻き込み、次々と誘爆する。
あちこちで同様の連鎖が起こり、黒雲の下に赤い花畑が広がった。
艦上の兵が喊声を上げる。
残った機は、何事もなかったかのように進路を変えず、飛び続けた。大幅に減りはしたものの、まだ五十機近い規模を維持する。
「起ち上がれ 疾風の柱 渦巻き伸びよ 天地を繋げ」
軍服姿の【雪読む雷鳥】学派の術者が鋭い声で呪文を唱え、南の空を指差す。豪雨が弱まり、風が鎮まる。
急速に数を減らした雷が、何機かを撃ち墜として消えた。
南沖の湖水が渦を巻いて起ち上がる。湖面の動揺がザカート港にも伝わり、甲板員が【操水】で艦を安定させた。
竜巻に巻き上げられた塩湖が、天地を繋ぐ柱となって次々と起ち上がる。八本の柱が機体を吸い寄せ、呑み込み、大気の渦に巻き込んで翻弄する。
柱が次第に細くなり、バラバラになった機体の破片が飛沫を上げ、湖の女神パニセア・ユニ・フローラの懐に抱かれた。
「私にできることは、ここまでです」
「ご武運を」
湖の民の当主と【雪読む雷鳥】の術者が【跳躍】した。
暗雲が晴れ、湖面が落ち着きを取り戻す。
肉眼でも機影を捉えられる距離まで接近できたのは、爆撃機と戦闘機合わせて二十機あまりだ。【魔力の水晶】や【魔道士の涙】で強化した魔装兵が、甲板員が起ち上げた水壁に乗り、迎撃に向かう。
「どうなることかと思ったけど、なんとかなりそうでよかったな」
相棒の安心した声に頷くが、ルベルは残機から目を逸らさない。
機体が、やけにのっぺりして平たい。【索敵】の目を凝らすが、操縦席らしきものは見当たらなかった。
戦闘機は、音速に近い超高速で飛行し、焦点を合わせるのは難しい。
進路を予測し、その一点を凝視する。なんとか装甲を抜けた【索敵】の視界にパイロットの姿はなかった。
「えっ?」
見間違いかと思い、更に目を凝らしたが、強化兵の【光の槍】に貫かれ、撃墜される。
「おい、どうした?」
相棒が肩を叩く。敵機の殲滅を確認し、ルベルは相棒に顔を向けた。【索敵】を解き、ルベルを案じる目に視線を合わせる。
「あの機体、何かヘンなんだ」
「変?」
「人が乗ってなかった。全部を見たワケじゃないけど」
「えーっと、【索敵】の術ってそこまで見えるモンなのか? あれって、スゲー速さで飛んでんだろ?」
「うん。まあ、そうだけど、頑張れば何とか見えるんだ」
「ヘンな奴だろうが何だろうが、全滅させりゃいいんだ。さっ、俺たちの任務、始めよう」
相棒に促され、ルベルは東に目を向け、改めて【索敵】を唱えた。相棒がずぶ濡れの軍服から【操水】で雨水を抜き取る。
地に流れた血痕は豪雨に洗われ、刻まれた魔法陣も薄れた。槍は、次にシェラタン当主にお出まし願う時に備え、兵士が回収する。
早く魔哮砲を発見しなければ、アーテル軍が出撃する度にネモラリスの国民が生贄になる。
ルベルの視線が北ザカート市の廃墟を抜け、クブルム山脈の裾野に広がる森へ分け入った。
☆アーテル空軍の大編隊……「307.聖なる星の旗」参照
☆たった一人で嵐を?……「002.老父を見舞う」参照
伏線がロングパス過ぎて、たぶん誰も覚えていないと思いますが、湖南地方の住人の認識として、この術のえげつなさがわかります。
☆俺たちの任務……「304.都市部の荒廃」参照




