0308.祈りの言葉を
旗は、一時間足らずで完成した。
星形を貼付けた接着剤は、まだ乾かないが、何とか形になった。本体と星形がどちらも淡色の布なので、油性マジックで星を縁取り、目立たせる。
今日も天気がよく、アスファルトがあたたかい。
ピナティフィダが四隅に教科書を置いた。この分ならすぐ乾くだろう。
フラクシヌス教徒のみんなも、完成したキルクルス教の聖印旗を晴々とした顔で眺めた。
「あ、あの……ちょっといいですか?」
みんなの視線がロークに集まる。高校生の少年は、ひとつ深呼吸してソルニャーク隊長に言った。
「みんなにお祈りの詞を教えて下さい。検問所でホントに信者か確認するのに聞かれて、答えられなかったら」
「そこでおしまいだな。一番短いのは食前の祈りだ」
ソルニャーク隊長は、食前と食後の祈りを諳んじた。
『天と地の恵みを遍く照らす日月星のご加護に感謝します』
『この糧を与え、我を満たし給うた天地の恵みと、叡智の光に感謝します』
フラクシヌス教徒のみんなは慌てて荷台へ戻り、今聞いた祈りの詞をメモした。キルクルス教徒の四人がメモを確認し、書き間違いを訂正する。
ラクリマリス人の少年ファーキルが、何度か祈りの詞を呟いて四人に聞いた。
「この他にも、よく言う短いお祈りの詞ってありますか?」
「そうだな。ちびっ子はともかく、大人はそっちを聞かれるだろうな」
メドヴェージが「よくぞ気付いてくれた」とファーキルの背中を叩いて笑う。
「普段、よく唱える基本の祈りの詞は『日月星蒼穹巡り』」
ソルニャーク隊長が湖南語でゆっくり唱え、フラクシヌス教徒たちがペンを走らせる。湖南語は、この地方の日常語だ。
アミエーラは、一生懸命メモするみんなを複雑な思いで見守った。
これは、何か困った時にご加護を求めて唱える聖句だ。
アミエーラが、たった独りクブルム山脈で過ごした夜、何度唱えても、聖者キルクルスは助けてくれなかった。
一晩中、雑妖の群に囲まれても生き延びられたのは、仕立屋の店長がくれた魔法のコートや【魔除け】の護符、山中を通る道に掛けられた守りの術など、全て魔法のお陰だ。
身に着けたコートと護符は、アミエーラの魔力で今も効力を発揮する。
信仰が揺らいだあの夜、力ある民だと思い知らされた夜が思い出され、やるせない気持ちになった。
隊長が、みんなが書き留めるのを待って言った。
「では、続けるぞ。『日月星、生けるもの皆、天仰ぎ、現世の理』」
「えっ?」
薬師アウェッラーナと工員クルィーロが同時に顔を上げた。
……えっ? 何? 何かマズいことでもあるの?
他のキルクルス教徒三人も、怪訝な顔で魔法使いたちを見る。
「えっと、それ、【魔除け】の呪文と同じなんですけど?」
「何ッ?」
今度はこちらが驚く番だ。
レノ店長がエプロンのポケットから、呪文のメモを出して目を走らせる。
「もう一回、言ってもらっていいですか?」
「あ、あぁ……『日月星蒼穹巡り、虚ろなる闇の澱みも遍く照らす。日月星、生けるもの皆、天仰ぎ、現世の理、汝を守る』だ」
「……同じです」
「何だよそれ、どう言うことだよッ!」
モーフが泣きそうな声で叫んだが、答えを与えられる者は居なかった。運転手メドヴェージが、少年の肩をポンと叩いて笑ってみせる。
「いいじゃねぇか。魔法使いのお二人さんは、聖句を間違いなく唱えられるってコトだろ?」
「えぇ、まぁ、力ある言葉の湖南語訳ですから」
水を向けられた二人が、ぎこちなく頷く。
……そうよ。今はそんなコト気にしてる場合じゃないし。
アミエーラはしゃがんで旗の星に触れてみた。
生乾きだが、外れない程度にはくっついた。重しにしたピナティフィダの教科書を除け、トラックの前に旗を取りつける。
「メドヴェージ、モーフ、腕章を着けろ! ファーキル君、助手席には、私が座ろう」
ソルニャーク隊長の指示で二人が動き、他のみんなも片付け始めた。
緑髪の薬師アウェッラーナが手を差し出す。
「私、係員室に居ます。クルィーロさんのマント、お預かりしますね。ロークさん、ファーキルさんも手袋を」
「あ、はい!」
「鞄に入れときます!」
余計なことを考えないよう、バタバタ準備を整え、トラックは出発した。
☆たった独りクブルム山脈で過ごした夜……「0118.ひとりぼっち」参照
☆一晩中、雑妖の群に囲まれ……「0141.山小屋の一夜」参照
☆クルィーロさんのマント……「0283.トラック出発」参照
☆ロークさん、ファーキルさんも手袋=マジックアイテム
ロークの手袋……「0283.トラック出発」参照
ファーキルの手袋……「0175.呪符屋の二人」参照




