0306.止まらぬ情報
コンサート終了後、楽屋として借りた教室で、ソプラノ歌手が老婆に扮した竪琴奏者の老人の傍に来た。
「申し遅れましたが、私はオラトリックスとお呼び下さい」
ラクエウスの世話を買って出た年配の女性は、呼称を名乗って微笑んだ。
この【歌う鷦鷯】学派の術者は、ソプラノ歌手であると同時に熱心な信者でもあるのだろう。祈る女性は、ラクエウスが外出する際、化粧と付添いをすることで話がまとまった。
「先生の呼称もなんとかしなくてはなりませんね」
「ご本人がすぐお返事できるものが、怪しまれなくていいでしょう」
自宅に匿ってくれるスニェーグに言われ、ラクエウスは考えた。
すぐ答えが出る。
「ハルパトーラにしよう。若い頃は、ハルパトールと呼ばれていた」
「成程。女性名に変えるんですね」
「ハルパトーラ先生……そうですね。竪琴の先生と言うことで」
スニェーグとオラトリックスは、わかりやすいと賛成した。
スニェーグは平日、働きに出る。
午前中は大きな音楽教室の外部講師、午後は飲食店でピアノの生演奏。ラクエウスよりほんの少し年下の老人だが、なかなか多忙だ。毎日に張りがあるからか、髪こそ白いが、実年齢よりずっと若やいで見える。
ラクエウスは留守中の家事を引き受け、それ以外は、竪琴の練習と新聞やラジオでの情報収集に励んだ。
ネモラリス共和国内のメディアは連日、「何もかも失い、涙さえ枯れ果てた人々が、次々とゲリラ活動に身を投じる」と報じる。
政治家の地位と肩書を捨て、「竪琴奏者の老婆ハルパトーラ」となったラクエウスは、せめて、枯れ果てた涙を呼び戻そうと練習を重ねた。
魔哮砲の件は、スニェーグにだけ詳細を伝えてある。
クラピーフニクからも話が通っており、彼は深刻な表情で聞き入った。
「折を見て、政府の不正を糾弾しましょう」
時機を誤れば、取り返しがつかなくなる。皮肉にも、アーテル軍の攻撃で魔哮砲が失われた今、この情報は使い途がなかった。
遅い夕飯の席で、スニェーグが明るい話題を出す。
「クラピーフニクさんとは、同志を介して連絡を取り合っています。王都郊外の支援者の許で、アミトスチグマに逃れた人々の支援や、情報収集をなさっているそうです」
術を使えば簡単に行き来できるが、接点のあるスニェーグが直接、接触するのは危険だ。人伝でも元気だとわかり、ラクエウスは胸を撫で下ろした。
「ここ十年程で、ラクリマリス領内では、インターネットが使えるようになりましてね」
ピアノ奏者は、インターネットやそれに使用する機器について、軽く説明した。自分より高齢の老人が理解したのを確め、クラピーフニクの活動を語る。
「折を見て、魔哮砲のことや、現政権の暴挙をネットに流すそうです」
「ネモラリスには、その……なんとかネットがないのにどうやって国民に伝えるのだね?」
スニェーグは、いたずらっぽい笑みを浮かべて答えた。
「そこが狙い目なんですよ。慈善活動でラクリマリスやアミトスチグマに行く人や、難民として留まる人は、ネットの情報に触れられます」
「だが、機器はどうするんだね?」
「機器の費用は寄付で賄います。名義は両国の支援者が貸してくれて……勿論、両方貸してくれる人もいます。一部の人にでも伝われば、広まるのはあっという間ですよ」
スニェーグは席を立ち、鞄から一冊の紙ファイルを出した。食器を脇に除けて開いたが、写真か、図とその解説か、ラクエウスには判然としない。
「今日、ラクリマリスの支援者が、店に持って来て下さったんです」
クラピーフニクの様子も、その者から聞いたと言う。ラクエウスが老眼鏡を掛けるのを待って、スニェーグは説明を始めた。
「これは、誰でも映像や音声を投稿して、公開できる『ユアキャスト』と言うサイトの画面の写しです」
「ほほう?」
「ラクリマリスに逃れた難民の一団が、国民健康体操の曲に平和を願う歌詞を付けて歌ったものだそうです」
ページを捲ると、その歌詞を書き写したらしい詩が綴られ、子供にもわかりやすい平易な言葉が並ぶ。
スニェーグは前のページに戻り、図の下に数字が並ぶ箇所を指差した。
「ほんの数日前に公開されたばかりですが、評判が評判を呼んで、外国のニュースにも取り上げられて、今朝の時点で二百万回以上、視聴されています」
ラクエウスは数字の桁を数えて眼を剥いた。
数ページ捲り、スニェーグは新聞の切抜きを示した。
今日の湖南経済新聞の朝刊だ。
難民が歌う平和の歌とその評判、そこから支援の輪が広がり、国連難民高等弁務官事務所や、国連児童基金などへの寄付が急激に増えたと報じる。
末尾には、新聞社が起ち上げた難民キャンプ支援基金の口座番号なども載る。
「先生もご存知の通り、湖南経済新聞は、アーテルでも地方版が発行されます」
「まぁ、検閲で、この記事が削除される可能性もあるがな」
ネモラリス政府は軍を派遣し、魔哮砲について報じた記事を差止めた。新聞社のネモラリス支局に「輪転機の故障」と発表させ、国民を欺いたのだ。
同じことをアーテル政府がしない保証はない。
「先生。我が国で差止められた記事も、お隣のラクリマリスや、本社があるアミトスチグマ、そのご近所の国々でも、普通に載ってるんですよ」
「何ッ!」
驚いたが、冷静に考えれば、ネモラリス政府の影響が及ぶのは、国内だけだ。
「科学に重きを置く両輪の国や、ラクリマリスのように巡礼者や観光客の多い国は、インターネットの回線網を敷いています」
「どこか一カ所で留めても、他所で発表されれば、一瞬で世界中の知るところとなる……と言う訳か」
スニェーグは雪のように白い頭を縦に振り、満足の笑みを浮かべた。
☆自宅に匿ってくれるスニェーグ……「0278.支援者の家へ」参照
☆若い頃は、ハルパトールと呼ばれていた……「0214.老いた姉と弟」参照
☆アーテル軍の攻撃で魔哮砲が失われた……「0272.宿舎での活動」「0274.失われた兵器」参照
☆難民の一団が、国民健康体操の曲に平和を願う歌詞を付けて歌ったもの……「0275.みつかった歌」参照
☆ほんの数日前に公開されたばかり……「0280.目印となる歌」参照
☆外国のニュースにも取り上げられ……「0290.平和を謳う声」参照
☆魔哮砲について報じた記事を差止め……「0241.未明の議場で」「0259.古新聞の情報」参照
☆「輪転機の故障」と発表……「0244.慈善のバザー」参照




