0305.慈善の演奏会
昨日のコンサートは、まずまずの成功を収めた。
リャビーナ市民楽団は今回、市立高校の講堂を借り、慈善活動の報告会の一環として、演奏会を行った。
会場は満員で、立ち見も出た。人々は束の間、世相の暗さや辛い現実を忘れて聴き入る。
「戦禍に全てを奪われた人々には、多くの助けが必要です。寄付やボランティアなどの直接的な援助活動だけでなく、普段の暮らしでも、人助けはできます」
主催者の言葉に聴衆が首を傾げ、隣の者と小声で囁き合う。
疑問の漣が消えるのを待って、主催者は話を続けた。
「植木鉢での家庭菜園や、ちょっとした裁縫や木工、お菓子作りでも結構です。何かを作って、少しでも経済を回して下さい。ひとりひとりの取引は小さくとも、みんなですれば、大きな力になります」
ステージからは、大きく頷く人々がちらほら見えた。
まだピンとこない人々は、怪訝な顔で主催者を見詰める。
「巡り巡って、困っている人たちの手に渡る物もあるでしょう。経営者の方々も大変だとは思いますが、一日一時間のパートタイムでも結構です。なるべく多くの人を雇っていただけましたら、その分、暮しが安定し、助かる人が増え」
「でも、たったそれっぽっちじゃ、食べていけないだろう」
話の腰を折った男性に視線が集まる。
「収入面では勿論、お話になりませんが、人との繋がりを維持することが大切なのです」
「お裾分け目当てってのか?」
男性のよく通る声が、批難の色を帯びてステージまで届く。主催者は、マイクを通した声で応じた。
「それも、あればいいでしょうが、無理強いはできません。日々の暮らしに目的を与え、孤立させないことが重要なのです」
「そう言うもんなのかい」
主催者が肯定する。頷く者が増え、人々の顔が明るくなった。
老婦人に扮したラクエウスが、小さな音で竪琴を爪弾く。
未完に終わった民族融和の曲の主旋律だ。
「長命人種の方々は、ご存知でしょう。ほんの百年前までは、人種や信仰に関係なく、同じ、ラキュス・ラクリマリス共和国の民として、みんなが平和に暮らしたことを」
聴衆の二割ばかりが、小さく顎を引いた。
主催者が竪琴の音色に乗せて、穏やかな声で語る。
「朝の挨拶だけでも結構です。何もかも失った人々に決して一人ではないことを伝え続けて下さい。辛く孤独な日々を送る人を復讐に駆り立てないように」
主催者は言葉を切り、客席を見回した。
千二百席が埋まり、立ち見も含めて千五百人程だろうか。老婆に扮したラクエウスの竪琴を聴きながら、次の言葉を待つ。
「共に手を取り合って、憎悪と悲しみの鎖を断ちましょう」
割れんばかりの喝采が、会場を揺るがした。拍手の中、リャビーナ市民楽団が、交響曲に編曲した未完の曲を奏でる。
「穏やかな湖の風
一条の光 闇を拓き 島は新しい夜明けを迎える……」
ラクエウスの世話役を買って出た【歌う鷦鷯】学派の女性が、堂々たる独唱を響かせると、聴衆の手が止まった。
「涙の湖に浮かぶ小さな島 花が朝日に揺れる」
拍手が止み、透き通ったソプラノに聞き入るが、そこから先は歌詞がない。響き渡るスキャットに、人々が顔を見合わせる。
それでも、指揮者が手を降ろした瞬間、万雷の拍手が沸き起こった。
再び、主催者がマイクに向かう。
「この曲は、共和制移行百周年を記念して作られましたが、半世紀の内乱によって、未完に終わりました」
拍手が冷水を浴びせられたように弱まり、小さくなる。主催者は、疎らな拍手が止むのを待って、締め括った。
「今度こそ、この曲が完成するよう、共に平和の花を咲かせましょう」
アンコールでは【歌う鷦鷯】のソプラノが、ラクエウスの伴奏だけで、もう一度、未完の曲を歌った。
昨日のコンサートで、ラクエウスの出番はそれだけだった。数十年振りに交響楽団の一員として演奏し、ハルパトールに戻って若返った気さえする。
入場料は平時の三分の一に抑えたが、それなりの寄付が集まり、慈善活動への参加者も僅かながら増えた。
孤独に蝕まれ、追い詰められてすり減った心は、その気がなくとも、ふとしたことで自らの命を断つことがある。自棄になった心は、復讐にも走りやすい。
迂遠だが、人々の命を守り、暴力の連鎖を止める為、市民レベルでできることはこの程度しかなかった。
大本の戦争を終わらせ平和を導く為、「平和」だけをどれだけ声高に叫んでも、ゲリラ活動に身を投じる人々の心には届かない。それどころか、「平和」の大合唱で彼らを批難するようなものだ。孤独を深め、ネモラリス社会をも敵と看做しかねない。
……今ならまだ、手を差し伸べれば届く。
その手が深く傷付いた心に振り払われないよう、気を配り、工夫を重ね、幾重にも支援の輪を広げてゆかねばならなかった。
敵対するアーテルの国民には、その声を伝える術さえない。
湖南経済新聞の記事で、僅かに彼我の断片が垣間見えるだけだ。
向こうでも、少数の人々が平和を叫ぶらしいが、アーテル軍による空襲は再開された。攻撃は以前にも増して激しく、ネーニア島北西部の都市を苛んだ。




