表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第二章 印歴二一九一年二月二日

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

31/3489

0031.自治区民の朝

 日が暮れても煙は収まらず、父娘は煙たさで(ほとん)ど眠れなかった。

 隣近所からも、夜通し咳込む声が聞こえる。どこも同じらしい。


 それでも、朝になると寝不足の頭を振って、外へ出た。



 仕事が休みの日は、一日一食だ。

 何も食べずにシーニー緑地へ向かう。

 沿岸のバラック地帯は、ラキュス湖の塩分を含む為、農耕に適さない。この辺りの土では、家庭菜園もできなかった。


 父娘は慣れた足取りで、バラック小屋を縫う獣道同然の通路を行く。

 上下水道がなく、地区の共同トイレは日に二回、朝と夕方に汲み取りの係員が来る。専用車で屎尿を回収して、肥料の製造工場へ持って行く。

 二月二日、祝日の今朝も、いつも通りの光景が広がっていた。


 ……今日は何の日だっけ……? 自治区に「最初の学校ができた日」……だったかな?


 祝日と言っても、学校や工場などが休みになるだけで、アミエーラたちはいつも通りに日々を過ごす。業種によっては、曜日も祝日も関係なく働いていた。

 娘が先に立って、通い慣れた坂道を上る。

 アミエーラの勤務先は、団地の商業区域にある。客は(もっぱ)ら、団地地区の裕福な住人だ。


 配達を終えた新聞屋の少年が、坂を駆け下って来た。

 必死の形相(ぎょうそう)で何か叫ぶが、内容は聞き取れない。ただ、切羽詰まった様子で、何か尋常ではないことが起きたらしい、とだけ思った。

 父が、近付くまで来た少年に声を掛ける。

 「どうした? 何があった?」

 「大変だ! 大変なんだッ!」

 「あぁ、大変はわかった。何があった?」


 少年は足を止め、しどろもどろに答えた。

 「大変なんだ! せっ戦争って!」

 「戦争? どことどこが?」

 父が少年の両肩を掴んで問う。

 新聞少年は一気に(まく)し立てた。

 「自治区の星の道義勇軍と、政府軍って、号外が出てるんだ! もう全部配っちまったから、下町のみんなには、お前が言って来いって言われたんだ!」

 父娘は寸の間、時が止まったように黙りこんだ。


 先に父が我に返り、少年を解放する。

 「そ……そうか。ありがとよ。急いでんのに、すまんかったな」

 「うん!」

 父が手を離すと、少年は先程と同じように叫びながら坂を駆け降りる。二人は後ろ姿が見えなくなるまで見送った。

 「お父さん、どうする?」

 「どうもこうも……まぁ、今日のところは予定通りやろう」

 父が坂を上り始めたので、アミエーラも後に続いた。


 ……戦争……? 魔法使いに喧嘩売ったの? 冗談でしょ?


 二人の足取りは重く、言葉もない。ただ、足元だけを見て坂を上る。

 手には、土を持って帰る為のビニール袋と、土を掘るのによさそうな細い木片。アミエーラたちの家は、泥棒が同情して逆に何か置いて行ってくれそうなくらい、何もない。

 戦う力は何もなく、二人には戦う理由もなかった。


 アミエーラの母は、アミエーラが八つの年に病死した。弟妹も居たが、いずれも乳幼児の頃に亡くなり、何人居たのかも憶えていない。

 父娘の肉親は、お互いだけだった。

 逃げるにしても、どこにも行き場がない。


 ……昨日のあの煙。あれがそうだったんだ。


 アミエーラの頭の中で、新聞少年の言葉と昨夜の出来事が繋がった。

 寝不足と空腹で、何もかもに現実感がない。

 時折、風向きが変わり、北から焦げ臭い空気を運んでくる。肌寒さと、恐ろしさに身の震えが止まらなかった。


 坂の途中、団地とバラック地帯の間の斜面に、目的地のシーニー緑地が広がる。

 ここまで来ると土地の塩分が減り、寒さに強い植物が元気に()い茂る。

 振り向くと、東側はバラック小屋で埋め尽くされ、その向こうには湖岸沿いに建ち並ぶ大小の工場が見えた。


 ……戦争だなんて。みんなが戦えるワケじゃないし、戦いたいワケでもないのに。大体、私たちに何も知らせないで、いきなり始めるなんて、(ひど)いじゃない。


 事前に知っていれば、どこかに避難できたかもしれない。

 自治区の北部と西部で隣接するゼルノー市が戦場だろう。

 ならば、南のクブルム山脈を越えるしかない。

 力なき民だけでは、魔物だらけのラキュス湖を渡れない。


 クブルム山脈にも魔物は居るが、船を沈められるより、まだ助かる見込みがありそうな気がする。

 命懸けで山を越えられたとしても、南のラクリマリス王国は魔法使いの国だ。

 難民化した力なき民がどう扱われるか。

 どちらを向いても、絶望しかないように思えた。


 ……父さんの言う通り、今はできることをするしかないのね。


 アミエーラは、足元だけを見て緑地に入った。

 枯れ草の隙間に嘔吐物がこびり付いている。アミエーラは顔を(しか)めて立ち止まった。

 嘔吐物が動いた。いや、草の陰に隠れて生き残った雑妖だ。

 アミエーラたちに驚いたのか、不定形の身体をくねらせる。雑妖が動いても枯れ草は動かない。この世のモノではないからだ。


 風が吹き、草の隙間に光が差す。

 朝日を浴びた部分が溶けて凹む。そこから、元々定かでない身体がぐずぐず溶け崩れ、あっという間に姿を消した。

 雑妖は弱く儚い存在だが、力なき民にとっては充分、脅威になる。

 自滅してくれたことにホッとして、アミエーラは蔓草(つるくさ)を採った。


 挿絵(By みてみん)

☆日が暮れても煙は収まらず……「0023.蜂起初日の夜」参照

☆予定通り……「0027.みのりの計画」参照

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ