0304.都市部の荒廃
アーテル軍の攻撃回数が増した。
ネモラリス水軍は、アーテル空軍を迎撃せねばならない。
魔哮砲の捜索どころではなくなり、各艦は元の持ち場へ戻らざるを得なかった。
魔装兵ルベルはほんの数日前まで、ネモラリス島南西沖に停泊した旗艦オクルスに乗組み、魔哮砲の為に超遠距離からの【索敵】で哨戒した。
抜錨作業に加わらず、甲板で南の空を睨むルベルの許へ、伝令兵が駆け寄る。
「至急、艦長室へ」
次は防空艦ノモスでネーニア島北部へ移動し、前線部隊に敵機の経路を伝えるのだろう。
旗艦オクルスの艦長が、ルベルに伝えた司令部の命令は、予想とは違ったが至って単純だ。
魔哮砲搭載艦レッススが沈み、操手と、他に魔哮砲をよく知る兵も一度に失われた。他にあれの姿を詳細に知る魔装兵は、ルベルら超遠距離哨戒員しか居ない。
「十日後、交代の哨戒員を寄越す。当面は十勤三休だ。死ぬなよ」
……発見したら、次の操手にされるのか。
何となく予測はつくが、上官の命令は絶対だ。
ルベルは、ザカート市で艦を降ろされた。【巣懸ける懸巣】学派の工兵が応急処置したザカート港で、旗艦オクルスの航跡が見えなくなるまで見送る。
「さて、どこから捜す?」
「まずは、北だな」
相棒として付けられた【急降下する鷲】学派の魔装兵に答え、【索敵】の呪文を唱える。鷲の徽章を提げた兵は、目を細めて北を見遣った。
「害意 殺気 捕食者の姿 敵を捕える蜂角鷹の眼
敵を逃さぬ蜂角鷹の眼 詳らかにせよ」
魔哮砲は「敵」ではないが、拡大した視界に入れば同じことだ。術者に害意を持つ何者かを視認した場合、殺気を皮膚感覚として捉えられる違いしかない。
ルベルは、北ザカート市の廃墟を見透し、国道沿いに視線を走らせた。北のガルデーニヤ市へ続く道には何者も居ない。
ラクリマリス王国からの救援物資は、空襲が再開された現在も、夜明け直後に一日一便、継続中だ。今の時間はラクリマリス領に戻り、輸送車両の姿はない。
平野部を走る国道の東は牧草地帯。【魔除け】を施した牧柵の中には、平時と変わらず、牛や羊が草を食む。牧場の東は魔物や魔獣が巣食う森林地帯で、湿地などもあり、人が住むには適さない。
国道を少し先に進むと、半農半漁の村が見えた。
ここも空襲を受けたようだが、【結界】の塀は修復され、家屋の残骸は片付けてある。村人たちの様子は、比較的落ち着いて見えた。
……あんな闇の塊が出たら、大騒ぎになるだろうな。
夜間に移動し、村から離れた場所を通ったなら、全く気付かないだろう。
視線だけで、同様の小さな村を幾つも辿る。
どの村も、ザカート市やガルデーニヤ市から逃れた人々のテントや車が、ちょっとした空き地を埋める。
ラクリマリス王国の救援物資が行き渡ったのか、避難者の魔力を防護の力としてアテにするからか、ルベルの目には、人々の姿が平穏そのものに映る。
実際は、両者の間に軋轢が生じない筈がない。
北へ、北へと視線を飛ばし、沖合の小島も見て回る。
あの闇の塊は、初夏の日射しのどこにもみつからなかった。
ガルデーニヤ市に達した視線を撤去の手が回らない瓦礫の中へ潜らせた。雑妖の群が、まだ回収されない遺体から次々と湧き出る。
……雑妖が居るから、ここじゃないな。
隣の廃墟へ眼を向ける。こちらも同様だ。
「あれは、雑妖を喰らって魔力を蓄える」
旗艦オクルスの艦長は、司令部の極秘情報を伝えた。決して口外せぬよう釘を刺され、念を入れて【渡る白鳥】学派の【制約】の術まで掛けられた。
防空艦レッススが湖の藻屑となった今、ルベルが持つ【花の耳】は、この艦長としか繋がらない。それで安心したのか、驚くべき内容を淡々とした口調で、詳細に伝達した。
開戦直後、ネモラリス政府は、多くの犠牲者が出たネーニア島南東部の諸都市に立入制限を敷いた。
その目的のひとつは、住民の避難と保護だが、最大の目的は魔哮砲の充填だ。
「充填?」
「雑妖を喰らい、魔力に変換して蓄える。だから……」
ネーニア島東部は、首都クレーヴェルから近い。救助へ向かう者が多いだろう。人払いの為の立入制限だ。
それでも逃げ遅れた国民の目に触れぬよう、細心の注意を払って、魔哮砲を夥しい死者を出した都市に運搬した。そして夜間、焼け跡に放ち、そこに生じた雑妖を一掃させた。
ザカート市内は、既に他艦に乗組む哨戒兵が捜索済みだ。ルベル程の長距離は見通せないにせよ、彼らもまた、【飛翔する蜂角鷹】学派の【索敵】が使える。
大きさと黒さだけを伝えられた彼らからは、芳しい報告が上がらなかった。
「ならば、次に捜すべきは、もっと北の都市だ」
……我が軍が気付かない間にどこからか上陸して、大好物の雑妖がいっぱい居る廃墟に居るかもって?
雑妖は山や森、沼などでも自然発生する。魔装兵ルベルは、湖に落ちた黒ペン一本を探せと命じられたに等しい。だが、やるしかなかった。
取り残され、疲弊しきった人々は、昼間から陰の気を引きずり、日影に入っただけで雑妖を吐き出した。生まれたばかりの雑妖は、発生源の人物が持つ【魔除け】の効力で、泡のように消えてゆく。
ガルデーニヤ市民は、汚らしいシャボン玉を吐き出しながら、日々の暮らしに追われる。
二月の空襲で破壊された区画は瓦礫の撤去が済み、今は避難者のテント村になった。空襲が再開されたせいで、建物の再建が中断した。
区役所付近の更地は、即席の火葬場だ。
役人が身元や特徴を記録し、【導く白蝶】学派の術者が、流れ作業で遺体を灰にする。【魔道士の涙】が残れば、役人が回収し、色などの特徴を書き留めて別の係に手渡した。
廃墟のひとつで、若い女性が複数の男に蹂躙される。傍らで幼児が泣き叫ぶが、男たちは見向きもしない。半ば崩れた部屋には、缶詰や堅パンが山積みだ。
子供が居るなら癒し手ではなく、【白鳥の乙女】の制約もない。
食糧と引換えの取引なのか、それを餌に騙されたのか、単なる暴力か。若い母親は虚ろに眼を見開いて、されるがままだ。日の射さない部屋で、誰もが雑妖をまとわりつかせる。
魔装兵ルベルは、遙か南のザカート市だ。両者の関係がわからず、彼女を救えない。吐き気を催す光景から逃げるように眼を逸らし、隣の廃墟を探る。地上部には雑妖が居なかった。
……ここか?
埋もれた階段をみつけ、地下室へ視線を潜らせる。窓のない部屋には、手足を縛られ、猿轡をされた老人が何人も転がる。
壁には、布に描いた【魔除け】と【退魔】の印が、ガムテープで貼ってある。
部屋の中央の床では、炭で描かれた円が待ち構える。
二人の男が動かない老人の手足を持ち、円の中心に置いた。生きた人間を扱うように見えず、遺体を扱うにしてもぞんざいな態度だ。
別の一人の口が動き、円内で炎が輪になって踊った。
……【炉】?
肉と衣服の焼けた煙が、円内に充満して半球を成す。
老人を運んだ二人が【操水】を唱えたのか、隅の樽から水が起ち上がった。
水の膜が煙で満ちた半球を包み、握り潰すように崩れる。煙が水に呑まれ、灰が溶け込む。男が水流に手を入れ、淡く輝く結晶を掴み取った。
……【魔道士の涙】……口減らし兼、魔力源の確保……か。
ネーニア島東岸で空襲の大きかった都市や、避難民が殺到した都市は、どこも同じだ。
恐らく、当局に通報しても、黙殺されるだろう。
警察と治安部隊は、死体を喰らって力をつけた魔物や魔獣の対応で手いっぱい。特に口減らしは、都市を守る【結界】維持などの為、暗黙の了解になった可能性さえある。
暗澹たる思いで視線を転じ、自らに現在の任務を言い聞かせた。




