0303.ネットの圏外
ファーキルは血の気を失った顔で、北ヴィエートフィ大橋の南端に横たわるランテルナ島を見遣った。
……ランテルナ島へ行くだって?
ここまで来て、アーテル領へ逆戻りさせられるかもしれない。
全財産をはたき、命懸けでネーニア島へ渡った。アーテル軍の一方的な攻撃に晒された街……アーテル政府が隠す真実を伝える為の努力、それら全てが水の泡になりそうだ。
全身の力が抜けそうになり、震える膝でどうにか身体を支える。
「兵隊さんたち、きっと戻って来てくれますよ。作業に何日か掛かっても、食べ物は一週間分くらいありますし、イザとなったら隙間から一個ずつ、堅パンとかくれるでしょうし」
パン屋の娘ピナティフィダが、全力で励ました。早口に言う声が震える。
本人も、自分に言い聞かせるのだろう。
彼女だけでなく、他のみんなも、ファーキルが「ネモラリス領の知人宅で偶然、戦争に巻き込まれたラクリマリス人の力なき民だ」と言った嘘を信じて案じる。
みんなの目が、申し訳なさそうに「不運な少年」ファーキルを見る。
言えることは全て、ピナティフィダが言ってしまった。何か言い掛けた口を閉じて目を逸らし、頭を掻いたり、壊れた鉄扉を睨んだりする。
ファーキルは、タブレット端末の電源を入れた。
「魔物の群が暴れ、軍が警備する国境の拠点が壊滅した」のは大ニュースだ。兵士が他の拠点に伝達し、周辺住民や観光客に避難や防護の補強を呼掛けるかもしれない。
それなら、湖南経済新聞などのニュースサイトにも載るだろう。
起動したブラウザに大きなフォントで、エラーメッセージが表示された。
サーバが見つかりませんでした。
……えっ? 何でッ?
エラーメッセージの続きに目を走らせた。
アドレスが間違っていないか、確認してください。
他のサイトも表示できない場合、端末のネットワーク接続を確認して下さい。
ファイアウォールやプロキシで、ネットワークが保護されている場合、WEBアクセスが許可されているか、確認して下さい。
画面の隅を確認する。アンテナの表示が一本もなかった。
背筋の毛が一斉に逆立つ。思わず画面から顔を上げると、メドヴェージの気遣わしげな視線とぶつかった。
「どうした? 何かあったのか?」
「……ないんです」
「何が?」
「アンテナ……えっと、電波が受信できません」
「それが、故障したのか?」
ソルニャーク隊長とレノ店長、工員クルィーロが、あっという間にファーキルを囲む。
ファーキルは首を横に振り、タブレット端末を見せた。ソルニャーク隊長が、共通語で表示されたエラーメッセージを湖南語に訳す。
「あー……じゃあ、アレか? 基地にあったラジオの電波塔みたいなのが、戦闘で壊れたってコト?」
魔法使いのクルィーロが、自信なさそうな声で聞いた。インターネットを全く知らない彼の理解力に内心驚きつつ、ファーキルはこくりと頷く。
「情報収集と……観光客とかを通して、救助要請できると思ったんですけど」
言いながら項垂れるファーキルに、レノ店長が明るい声で言う。
「昨日、分かれ道の所、木が薙ぎ倒されてたって言ってたよね?」
ファーキルが無言で頷くと、運転手のメドヴェージが話に加わった。
「あぁ。道のすぐ傍は、踏み潰されたみてぇな木が、いっぱい散らばってたな」
巨体の魔獣が、踏み荒らしたのだろう。
運転手は軽く首を傾げ、ネーニア島を見遣って、記憶を手繰る。
「んで、その近くは、新しく道作ったみてぇに草一本生えてねぇとこが、森の北の方へまっすぐ続いてたな」
それは、本当に脇道の普請工事か、魔獣の仕業かわからない。
メドヴェージが魔獣の姿を語る。
「で、道のど真ん中に緑の奴がでーんと居座ってて、黒いのは、草がねぇとこに居て……ありゃ、縄張り争いでもしてたのかな?」
それには、誰も答えられない。
昨日、ファーキルは助手席からその魔獣たちを撮った。画像フォルダを開き、魔獣の写真を拡大表示する。
「兵隊さんに見てもらおうと思って、撮ったんですけど、言いそびれちゃって」
「これ……!」
レノ店長が息を呑んだ。
「知ってるんですか?」
「知ってるって言うか、この黒い奴は、ゼルノー市の焼け跡で見たコトある。でも、ごめん。何を食う奴で、どんな能力があるとかは、わかんない」
こっちにも居るなんて……と青褪める。
クルィーロが長命人種のアウェッラーナを呼び、場所を譲った。画面を見た湖の民の薬師が、顔を曇らせる。
「私も、放送局の廃墟で見ました。どんな魔獣なのかまでは知りません。緑色のは、火の雄牛と呼ばれる魔獣です」
緑色の魔獣は、確かに雄牛と似た姿だ。
大きさは、四トントラックよりはるかに大きく、四車線の道路を完全に塞ぐ。蹄はトラックのタイヤくらいの大きさだ。こんな物で踏まれたら、乗用車なんてひとたまりもないだろう。
「牛っぽいですけど、肉食です。角の間に魔力を貯めて火球を飛ばすので、そう呼ばれています。角は、肝硬変を治すお薬の素材になるんですけど」
アウェッラーナの説明で、誰からともなく溜め息が漏れた。
昨日の爆発音は、こいつの仕業だったらしい。
魔物や魔獣は、この世の生物や、魔力のあるものを食べれば食べる程、際限なく成長する。普通の生物のような寿命の限界もない。
この魔獣は相当、喰らった個体だ。
道路に居た魔獣一頭の正体はわかったが、それでどうにかなる訳ではない。「肉食」情報に腹の底が冷える思いがしたが、鉄扉を見て自分を励ます。
「でも、今は居ないんですよね?」
ファーキルは、様子を見に行った二人に確認した。
「何をする気だ?」
「写真を撮ります。最悪、ランテルナ島の近くまで行けば、そっちの電波は届くでしょうから、ネット経由で救助要請できるかなって」
ソルニャーク隊長が同行してくれた。
鉄扉にある程度近付いてから、北ヴィエートフィ大橋の袂の全景を撮る。もう少し近付いて扉全体の破壊状況。歪んだ扉の隙間から、破壊された町並を撮った。
瓦礫があちこち焼け焦げ、空襲の焼跡とそう変わらない様相を呈する。
巨大な蹄の跡にぞっとしながら、ピントを合わせる。ファーキルの腕程もある羽毛もみつけた。
惨状をなるべく詳しく写し、みんなの所へ戻る。
……ここの部隊が全滅して……食べられて、手負いの魔獣が森へ戻ってたら?
次に通る車輌が危ない。生物以外は【無尽袋】などで運搬できるから、トラックで運ぶのは、きっと生きた家畜などだ。
モールニヤ市からここまで見た限り、自家用車の保有率は低いが、全く通らないことはないだろう。
惨状からの連想で、考えがどんどん悲観的になる。
……まだ、ラクリマリス軍が様子を見に来ないって、決まったワケじゃないし。
トラックの前に立つパン屋の娘と目が合う。ピナティフィダは、励ましてくれた時と同じ穏やかな微笑を浮かべ、ファーキルを迎えてくれた。




