0302.無人の橋頭堡
朝食が終わるまで、挨拶以外、誰も口を利かなかった。
昨日、女の子たちが拵えた小袋に【魔力の水晶】を分配する。
「我々は不要だ」
案の定、ソルニャーク隊長に断られた。その横でメドヴェージと少年兵モーフも頷く。袋を作った針子のアミエーラでさえ、手を後ろで組んで首を横に振った。
「いえ、あの、私も、触りたくないって言うか……」
キルクルス教徒の針子に青褪めた顔をされ、クルィーロは少し腹が立った。
……何もそこまで汚い物扱いしなくてもいいのに。
キルクルス教徒以外の八人で、手に入った【魔力の水晶】を分ける。
まず、トラックの運転席に元々備え付けられた【魔除け】の護符と、ロークの私物の護符に魔力を補充し直した【水晶】を入れた。
作用力を補う高品質のものはギリギリ六人分。力なき民にひとつずつ渡す。魔力の貯蔵だけのものは、魔法使いのアウェッラーナとクルィーロ、それから、魔法の手袋を持つファーキルとロークに分配した。
袋を首から提げると、ずっしり重い。
クルィーロは作業服の胸ポケットにも分けて入れた。
北ヴィエートフィ大橋の袂へ向ける目には不安しかない。
空には魔獣の群が見えないが、頑丈な鉄扉は閉まったままだ。
「様子を見に行こう。クルィーロ君、いいか?」
ソルニャーク隊長に呼ばれ、立ち上がる。アマナをピナティフィダに頼み、二人だけで袂へ歩いた。
「どう思う?」
みんなから充分離れた所で聞かれたが、何とも答えられなかった。戦いの物音は聞こえない。
更に近付いて、クルィーロは絶望で足が震えた。
気のせいだと思いたいが、足を前に進めるにつれ、状況がはっきり見えてくる。
ソルニャーク隊長が、声もなく鉄扉に触れた。
鉄扉は向こう側からの大きな力でひしゃげ、鼠が通る程の隙間がある。そこから見える金属製の閂も歪んでしまった。
頷きあい、二人で左右から隙間に手を入れて力いっぱい引く。
手が震え指先が白くなる。壊れた鉄扉は微動だにしなかった。大きく息を吐き、同時に手を離す。
「人力では無理だな」
「そうですね。俺たちが知ってる術じゃ、こんなのどうにもできませんし」
諦めて、隙間から向こうを覗く。
土の地面には、信じられない大きさの蹄の跡がある。地面があちこち抉れ、軍の建物、道路沿いの僅かな民家や商店、何もかもが破壊し尽くされた姿が見えた。
「おーい! 誰かーッ!」
クルィーロは扉の隙間に口を付けて叫んだ。
しばらく待ったが、何の物音もしない。あちこち焼け焦げた跡があり、ゼルノー市の空襲跡を思い出させた。
見える範囲に魔獣の姿はないが、ひとつの人影もない。
「一応、やっつけた……のかな?」
「負傷者を運んだにせよ、見張りを一人も残さないのは不自然だ」
隊長に言われ、元々アーテル側からの侵入を警戒する拠点だったと思い出す。
クルィーロは、状況を推測してみた。
魔獣の群は殲滅できなかったが、何とか森へ追い返せた。死傷者が多く、完膚なきまでに破壊された拠点に残せる見張りも居ない。
別の駐屯地へ【跳躍】し、今後の対策を練るのだろうか。
「救護を呼びに行けたなら、そこから直ちに無傷の部隊を派遣できる筈だ」
クルィーロは希望をあっさり否定され、もう一度、状況を見直して考えた。ソルニャーク隊長が、若者の甘い考えを見透かしたように淡々と推測を述べる。
「兵を喰らい尽くした魔獣の群が、朝になって森へ引き揚げたと見るのが妥当だろうな」
そう言われると、隊長の考えの方が正しいように思えた。
「じゃあ、ここがやられたの、どこかへ知らせないと。アウェッラーナさんに」
「不要だ」
「どうしてです?」
「あの時、援軍を呼んだと言っていただろう。他の拠点にも、ここが魔獣の襲撃を受けた件は伝わった筈だ」
薬師アウェッラーナがファーキル経由で傷薬を渡した時、受取った兵がそう言ったのを思い出した。
「報告を寄越さず、帰還もしなければ、必ず斥候を出して状況を確認する」
ソルニャーク隊長に断言され、クルィーロは少し安心した。
それなら、今日中にラクリマリス軍が助けてくれるだろう。大橋守備隊の兵士たちは気の毒だが、クルィーロたちにどうにかできることではない。
みんなの所へ戻り、ソルニャーク隊長が簡潔に説明する。
幸い、食糧はまだ一週間分くらいあった。
「私、扉の向こうへ様子を見に行ってきます」
「単独でか?」
ソルニャーク隊長が、薬師アウェッラーナの申し出に難色を示した。
「でも、何も居ないんですよね?」
「瓦礫の中に潜んでいる可能性がある」
「そのくらいのモノなら、明るいうちは大丈夫ですよ」
アウェッラーナが【跳躍】の呪文を唱え、湖の民の姿が掻き消えた。
「きゃッ!」
小さな悲鳴と同時に小柄な少女が尻餅をつく。みんなが驚いて声を掛けた。
「おいおい、姐ちゃん、大丈夫か?」
「は……はい。ここ、【跳躍】除けの結界がありました」
湖の民アウェッラーナは、腰をさすりながら立ち上がった。みんなハッとして顔を見合わせる。
巨大な鉄扉を撤去するのに一体、何日掛かるのか。
……食糧は、アウェッラーナさんに魚獲り頑張ってもらえば、何とかなるけど。
アウェッラーナが橋の柵を見上げ、溜め息を吐いた。クルィーロも、改めて柵を見てギョッとする。
柵の高さは、トラックの倍以上あった。間隔が狭く、猫でも通れるか微妙だ。手足を掛けられる所はなく、乗り越えられそうもない。
アウェッラーナが、柵の格子に記された呪文を黙読する。
「この柵は越えられません。【出入禁止】の術が掛かっています」
振り向いた湖の民に宣言され、クルィーロは辺りを見回した。
通行部分のアスファルトは黒々として、中央分離帯と端に設置された呪文を彫り込んだ石材も、最近できたばかりのようにキレイだ。
……鳥の糞が、ひとつも落ちてない。
この橋は、陸に接した両端以外からは、一切出入りできないのだ。
「えーっと、じゃあ、さ。多分、大丈夫だと思うけど、万が一、明日の朝になっても誰も来なかったら、行こっか」
レノが店長として、努めて明るい声で言った。
エランティスが、兄を見上げて震える声を絞り出す。
「行くって……どこへ?」
この橋の先には、アーテル共和国領ランテルナ島があった。
☆あの時、援軍を呼んだと言っていた……「300.大橋の守備隊」参照




