0300.大橋の守備隊
橋頭堡の手前で停車すると、やっと数人の兵士が出てきた。
近代的な軍服や迷彩服ではなく、【鎧】を纏う。かつて科学文明国で使われた金属製の防具ではなく、厚手の布に強力な防禦の術を織り込み、刺繍で縫い込んだ魔法の【鎧】だ。
魔法戦士たちは、軽快な足取りで運転席に駆け寄った。
「どうされました?」
「森の道に化けモンが出たんだ!」
「魔物ですか? 魔獣ですか? 数と大きさは?」
兵士たちは、誰何ではなく質問を優先した。薬師アウェッラーナは少し安心したが、まだ足の震えが治まらない。
運転手メドヴェージが、興奮した声で早口に捲し立てた。
「二匹だ。昼間っから出てっから魔獣だろ。どっちもこのトラックよりデケえ! まっ黒けで目鼻も何もわかんねぇ奴と、もう一匹は、全体が緑色で赤い角がある」
「どの辺りですか? 大体の場所はわかりますか?」
「プラーム市へ行きてぇんだが、丁度そこの角に居座ってやがったから、こっちに曲がってきたんだ」
「成程。あれがそうですか?」
兵士が指差し、メドヴェージが窓から身を乗り出して振り向く。
「うわっ! ついて来やがった!」
「迎撃します」
「橋頭堡に避難して下さい」
兵士の指示より先にエンジンが起動し、トラックが前進する。
開けられた門を通過し、橋のすぐ手前で停車した。その直後、背後で重い音を立てて閉まる。トラックの前方は頑丈な鉄扉が塞ぎ、ネーニア島と北ヴィエートフィ大橋を隔てる。
「このトラック、防禦はどうなってます?」
「荷台も含めて、【結界】と【魔除け】しかねぇ」
「わかりました」
兵士の足音が離れた。
みんなは荷台の前方で身を寄せ合い、後方に意識を集中する。
薬師アウェッラーナは係員室から荷台へ戻り、状況を説明した。
「大丈夫よ。兵隊さん、戦ってくれるみたい」
「う……うん」
エランティスはぎこちなく頷いたが、アマナはクルィーロにしがみつき、作業服の胸に顔を埋める。
他のみんなも緊張を解かず、外の物音に耳をそばだてた。
何かがぶつかる激しい物音、獣の咆哮、破裂音が断続的に響く。
アウェッラーナはハッとして、自分の荷物を掴んで係員室に入った。
……戦いの音。メドヴェージさん、「ついてきた」って……村の中で戦ってるってコトじゃない!
恐怖で停止した思考が回りだす。
二頭の内、どちらが来たのか。両方がトラックを追い掛け、追いついたのか。
あの闇の塊は、アウェッラーナが見た限り、ゆっくり動いた。その気になれば、トラック並の速度を出せるのか。
万が一、橋の守備隊が全滅したら、逃げ切れるのか。
今はそれより、確実に魔獣を撃退してもらうことが先決だ。
……戦う力がなくても、少しでも支援して、兵隊さんに頑張ってもらわないと。
トラックの周囲で怒号が飛び交い、足音が駆けてゆく。
薬師アウェッラーナは、鞄から紙コップを取り出した。以前、一人分ずつ作った傷薬だ。背伸びして、係員室の小窓に手を伸ばす。
バックミラーに映るメドヴェージの目が険しい。
「これを兵隊さんに!」
アウェッラーナは机の端に片膝をつき、精一杯、小窓から手を伸ばす。
助手席のファーキルがシートベルトを外し、身を捻って受取った。少年の顔も蒼白だ。無言で頷き、助手席の窓を開ける。
「兵隊さーん! 傷薬! 傷薬、ありますッ!」
窓から身を乗り出して叫んだ。すぐ近くから足音が駆け寄る。
「かたじけない」
メドヴェージが申し訳なさそうに言う。
「なんか、すまんな。俺たちが逃げ込んだせいで」
「いや、近隣の街や村でなくてよかった」
紙コップを受け取った軍人が、安心させる為の微笑を浮かべ、落ち着いた声で状況を説明した。
「既に援軍は呼んだ。今、この拠点に居る民間人は君たちだけだ。後は」
その声が、兵士の悲鳴に遮られた。
「すまないが、橋まで退避して欲しい」
「えっ?」
メドヴェージとファーキルが同時に声を上げる。
アウェッラーナは、バックミラー越しに運転手の強張る顔を見詰めた。
……そんなに強いの?
「空から新手が来た。恐らく、血の匂いを嗅ぎつけたのだろう。橋には強力な防護の術があり、魔物や魔獣は侵入できない」
「おいおい、あんたら、大丈夫なのかよ?」
「負傷者は出たが、この分なら、援軍の到着まで持ち堪えられる」
「……わかった。ご安全に」
「お気遣い、かたじけない」
メドヴェージがエンジンを掛ける。ファーキルは窓を閉め、シートベルトを締め直した。
橋頭堡の奥にある鉄扉が左右に開く。前を見る三人は、思わず息を呑んだ。
四車線の道路が、ラキュス湖の向こうへ伸びる。
純白の支柱が蒼天へ伸び、そこから張られた鋼糸の束が扇の骨の如く広がる。道の両脇と中央分離帯の石材には、この距離でも読み取れる大きさで力ある言葉が刻まれる。
科学と魔法……両輪の技術の粋を集めた巨大な橋は、美しかった。
到底、二十年近く使われることなく、塩湖の風に晒されたとは思えない。各種防護の術で、つい最近できたばかりのような最良の状態が保たれる。
メドヴェージがアクセルを踏む。
「取敢えず、Uターンできるとこまで行くゎ」
ずっと遠くに目を凝らすと、橋の一部が横に膨らむのが見えた。事故時の退避場所だ。
……陸から、あんなに離れなきゃいけないの?
水平線の彼方で島影が霞む。
この橋の対岸は、ランテルナ島。アーテル共和国領だ。
「あっ……」
メドヴェージが微かな叫びを上げた。アウェッラーナの掌にじわりと汗が滲む。
ファーキルが運転手に不安な顔を向けた。
「あ……あぁ、いや、兵隊さん、橋の戸を閉めちまったんだ」
ファーキルが助手席側のサイドミラーを見て、息を呑んだ。
トラックを退避場所まで進め、Uターンした。エンジンを切り、メドヴェージが荷台を開ける。
「何もわかんねぇと、余計おっかねぇもんな」
「おじさん、こんなとこでお外出て大丈夫?」
エランティスがレノ店長にしがみつき、顔だけ荷台の外へ向ける。
湖上を渡る風は強く、荷台に籠った汗の臭いと熱を吹き払った。
クルィーロが、アマナの肩を叩いて立ち上がらせて、代わりに答える。
「さっきの兵隊さん、橋の護りは強力だって言ってたし、大丈夫だよ」
妹の手を引いて荷台から降りた。他のみんなも、おっかなびっくり、北ヴィエートフィ大橋に降り立つ。
薬師アウェッラーナも係員室から出た。
生まれて初めて、ネーニア島を外から眺めた。
……こんな状況じゃなきゃ、きっと感動できたんでしょうけどね。
北ヴィエートフィ大橋のラクリマリス王国側の鉄扉が、堅く閉ざされた。
モースト市上空には、大きな鳥のようなモノが十羽近く飛び交う。動きが速く、正確な数さえわからない。
ネーニア島の岸に沿って、ラクリマリス王国の街並が灰色に見えた。
その向こうは深い森の濃い緑。西半分には、プラヴィーク山脈が横たわる。その北に連なるクブルム山脈が、ネーニア島を南北に分断し、ネモラリス共和国領は見えなかった。
初夏の空は晴れ渡り、女神の涙と称される世界最大の塩湖ラキュスは、日射しを浴びて水晶の破片をちりばめたように輝く。
「我々にできることは何もない。取敢えず、食事にしよう」
ソルニャーク隊長に言われ、パン屋の兄姉妹がのろのろ荷台へ戻り、昼食の準備を始める。
他のみんなは、橋の袂に目を凝らした。




